ちくま新書

K-POPは現代史の結晶である
ーー『K-POP現代史』著者エッセイ

1990年代、旅行先のソウルで出会った音楽に惹かれ、その後韓国音楽を研究し続けている著者が韓国音楽激動の100年を読み解く『K-POP現代史』。著者が自らのK-POPとの出会い、K‐POPの位置づけの変化などについて記したエッセイを公開します。(PR誌「ちくま」5月号より転載)

  「〜について通史を書く」という行為は歴史研究の世界では、一般的にその分野を代表する研究者の仕事とされる。それほどに「畏れ多い」ことなのだ。
 今回、ちくま新書の一冊として拙著『K-POP現代史――韓国大衆音楽の誕生からBTSまで』が刊行されることになった。カバーには内容を要約して、


いま世界を席巻するK-POPは、いかにして生まれたのか?[中略]激動の一〇〇年の情勢を押さえつつ、今日に至るジャンルと国境を越えたダイナミックな発展を通史的に論じる。

と書かれている。私が今まさに世に送り出そうとしている書物はK-POPに関する「通史」なのである。実に畏れ多いことをしてしまったわけだ。
 しかし、私が韓国のポピュラー音楽を語る時は、必然的に歴史として語ることになる。それ以外に私は語りえないからだ。
 一九七三年生まれの私は、半世紀にわたる人生でそれぞれの時代の韓国音楽に触れ、その変容を体感してきた。韓国音楽、K-POPは私にとって時代とともに変化する歴史的存在であり、歴史的体験そのものだ。それは私が生まれる前から続いてきたものであり、最新のK-POPもまたその一部である。
 私が初めてK-POPを好きになったのは大学時代に韓国を旅行した際で、ソウルの街に流れる音楽に惹かれた。一九九五年、まだK-POPという呼称はなかった頃だ。ヒップホップ調の音楽が主流で、ヒップホップ世代の私はすっかり韓国のポピュラー音楽に夢中になった。
 一方、九〇年代の日本はJ-POP黄金時代でミリオンセラーが連発する絶頂期にあった。このような時代に韓国の音楽に夢中になる大学生の私は、周囲から見ればマニアックな音楽が好きな「変わり者」であった。
 この頃、「韓国の音楽をよく聴く」と言うと「えっ?演歌が好きなの?」との反応が返ってくることがあった。私の世代が小・中学生であった八〇年代にはチョー・ヨンピルなど韓国の歌手が演歌の世界で活躍し、紅白にもしばしば出場していた。当時の大学生が韓国と聞いて演歌を連想するのも無理はない。
 しかし、世紀を跨いでBoAが日本進出し、その後、東方神起や少女時代、KARAらがK-POPブームを巻き起こした。K-POPは日本社会で一気にメジャーな存在となり、もはや大学生が聴いていても「変わり者」ではないし、韓国音楽から演歌を連想する大学生もいなくなった。
 当時、三十代後半になっていた私は仕事をしながら大学院で朝鮮近現代史の研究を始めた。当初の研究テーマは別にあったが、K-POPブームの中で研究対象をK-POPへと広げた。
 あるときは演歌、ある時期にはマニアックな音楽、かと思えば近年はメジャーな存在へと韓国音楽の位相は日本社会において変化してきた。なぜ、このようなことが起こるのか? その疑問が私をK-POPの歴史的研究へと誘った。
 大小の歴史的事象と音楽とは切っても切れないもので、韓国人演歌歌手の活躍も、今のK-POP人気もすべて歴史の中で生起した出来事である。背景にある歴史を理解せずして、本当にK-POPを知ったことにはならないだろう。
 したがって拙著では、若いK-POPファンだけでなく、その親世代、さらには祖父母世代に馴染みのある過去の音楽や社会の出来事に触れつつ、現在のK-POPへの道を明らかにした。その結果、世代を越えて読むことができる内容となった。
 拙著のタイトル『K-POP現代史』とは、決して“K-POP「の」現代史”という意味ではない。“K-POP「は」現代史”なのであり、“K-POP「こそ」現代史”であるということだ。K-POPは現代を生きる人々の歴史の結晶である。そのことが世界的人気の基盤になっていると拙著から感じていただければ、著者としてこの上ない喜びである。
(やまもと・じょうほう 日韓交流史)

ちくま新書
K-POP現代史
―韓国大衆音楽の誕生からBTSまで    
山本浄邦著
定価946円(10%税込)

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