ちくま新書

日本の自衛隊には何ができ、何ができないのか?
『自衛隊海外派遣』ためしよみ

戦闘が激化するスーダンへの自衛隊派遣について、連日報じられています。敗戦後、憲法九条の規定により軍隊の海外活動を禁じていた日本が、湾岸危機後のペルシャ湾に自衛隊を派遣してから30年。ウクライナ戦争もふくめ、緊迫する国際情勢に対するこの国のあり方がいま、あらためて問われています。海外における自衛隊活動の全貌を網羅した必読の通史『自衛隊海外派遣』から「はじめに」を公開します。

自衛隊海外派遣とは何か
 自衛隊海外派遣とは何か。実はこの疑問に対する答えが難しくなっている。以前であれば、1980年10月28日に出された稲葉誠一衆議院議員の質問主意書に対する答弁をもとにして答えればよかった。それによると、自衛隊海外派遣とは、武力行使の目的をもたないで部隊を他国へ派遣することだった。武力行使目的の部隊派遣を海外派兵とし、それと区別している。2015年に成立した平和安全法制において、存立危機事態においては集団的自衛権を行使することが認められた。この本の執筆時点では、集団的自衛権は行使されていない。行使された際には、海外派兵となるのかもしれない。そうなったとき、自衛隊海外派遣という言葉がどうなるかはわからない。
 武力行使以外、すなわち自衛隊海外派遣の定義の難しさに話を戻すと、その理由は自衛隊の任務が拡大しているためである。1991年4月のペルシャ湾掃海艇派遣以来、自衛隊は海外に派遣され、しかも任務の種類は増えている。国連平和維持活動(PKO)、災害に対する救援活動である国際緊急援助活動だけではなく、給油目的の艦船派遣、ソマリア沖での海賊対処など、自衛隊は数多くの任務をこなしてきた。
 2023年現在、自衛隊が部隊として派遣されているのは、ソマリア沖の海賊対処活動のみとなっている。しかし、これ以外にも自衛隊は海外に派遣されている。国際連合南スーダン派遣団(UNMISS)に派遣されていた部隊は撤退したが、司令部要員は残っている。そして、エジプトのシナイ半島におけるエジプト軍とイスラエル軍の停戦監視を任務とする多国籍軍監視団(MFO)にも司令部要員が派遣されている。
 加えて、能力構築支援として、インド太平洋地域の軍隊等に対して自衛官が派遣され、その国の軍隊の能力向上に手を貸している。そして、単発的ではあるが、国際緊急援助活動や在留邦人保護のための活動なども行っている。1991年に始まって以来、任務が飛躍的に拡大しているのが自衛隊の海外における活動である。しかも、それは部隊派遣に限定されていない。海外派遣の多様性が定義を難しくしている原因といえよう。
 1991年4月26日に海上自衛隊の掃海部隊がペルシャ湾に派遣された。これが自衛隊海外派遣の始まりと言われている。しかし実は、自衛隊の海外における活動はこれが初めてというわけではない。1965年のマリアナ海域漁船集団遭難事件での災害救助や、1972年に本土復帰に備えて当時は米国の施政権下にあった沖縄への円輸送を海外派遣の始まりとすることもある。しかし、これらは特殊例であり、通常想定される自衛隊海外派遣とは異なるだろう。
 自衛隊海外派遣とは、海外における活動のために自衛隊の部隊、もしくは自衛官を派遣することと、ここでは定義する。海上自衛官が幹部候補生学校卒業後に練習艦隊で行う遠洋航海や環太平洋合同演習など他国での訓練目的での派遣などは除外する。

どうして自衛隊は海外に派遣され、何をしてきたのか
 これまで紹介してきたように、自衛隊の海外における活動にはさまざまなものがある。本書は自衛隊がどうして海外に派遣されるようになったのか、そしてこれまで何をしてきたのかを整理する。
 1991年のペルシャ湾掃海艇派遣以降、自衛隊の任務が飛躍的に拡大した。しかし、どうして1991年まで自衛隊海外派遣は行われなかったのだろうか。憲法九条があるからというのはそれを説明するときによく使われる理由だ。だが、自衛隊海外派遣が行われるようになったとはいえ、憲法が変わったわけでも、解釈が変わったわけでもない。にもかかわらず、なぜ1991年以前には自衛隊海外派遣が行われず、現在は行われているのか。それを知るためにも自衛隊海外派遣がどのように始まったかを確認する必要があろう。
 自衛隊海外派遣の始まりと同様に重要なのが、その後どうなったのかという問題だ。先ほども紹介したように、自衛隊海外派遣が始まって以降、自衛隊の海外における任務は拡大し続けている。一体どのようにして、ここまでの変化が起こったのかを見ていく必要が
あろう。
 ここからは本書の構成をもう少し詳しく見ていく。
 第1章では、アジア・太平洋戦争終結後、日本が軍隊の海外活動を禁じるに至ったのかを論じる。自衛隊海外派遣が、1991年まで行われなかった理由の出発点となろう。
 続く第2章では、軍隊の海外活動を禁止した後、日本が国際社会にどのような協力をしようとしたのかを論じる。軍隊の海外活動が禁止されたが、日本が経済復興を遂げ、経済大国の仲間入りを果たす中で、経済援助だけでなく、人的な貢献が必要との議論が出てきた。しかし、軍隊の海外活動は憲法上許されない。このジレンマを日本政府がどのように解消しようとしたのかを論じる。
 第3章は湾岸危機、続く湾岸戦争と自衛隊海外派遣の開始を取り上げる。1990年8月のクウェート侵攻によって始まった湾岸危機は、日本にとっても試練だった。同盟国である米国から支援を求められた。これに対して、経済援助だけでなく、人的な支援も検討するが、湾岸危機は湾岸戦争へと発展する可能性が高く、多国籍軍への支援は戦争協力ではないかとする議論もあった。こうした中で日本政府が何を選択したのか、そしてなぜ自衛隊初の海外派遣がペルシャ湾への掃海艇派遣になったのかを論じる。
 第4章では湾岸戦争後の自衛隊海外派遣の拡大について論じる。ペルシャ湾掃海艇派遣の後、日本政府は自衛隊の海外における活動をPKOや国際緊急援助に拡大していく。冷戦終結後、地域紛争が頻発し、不安定化する国際情勢を受け、自衛隊はアジアだけでなく、アフリカにも派遣されるようになった。2001年に発生した同時多発テロは、米国との協力という観点から、自衛隊の海外における任務を拡大させるきっかけともなった。
 第5章は米中対立下における自衛隊海外派遣の変容について論じる。自衛隊は海外における任務を拡大させていったが、国際情勢は変化し続けていた。台頭する中国とそれへの対応は、日本だけでなく、国際社会にとっても関心事となっていった。そうした中で、自衛隊の海外における活動がどのように変化したのかを論じる。
 ここまで紹介してきたように、本書は自衛隊海外派遣がいかに始まり、そして何をしてきたのかを論じるものである。ここでは部隊派遣だけでなく、能力構築支援など、自衛官の活動についても紹介する。1945年からの長い物語になるが、日本が国際社会といかに向き合おうとしたのかを自衛隊海外派遣を通じて論じていく。そこから、日本が今後国際社会とどのように向き合うのか、答えとまでは言わなくても、読者の皆さんの一助となれば幸いである。
 

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