ちくま学芸文庫

ベル・フックスを学び直すこと――学問の自由とブラック・フェミニズムの実践
ベル・フックス『学ぶことは、とびこえること』解説

ベル・フックスが自らの経験をもとに、教育の可能性について語った『学ぶことは、とびこえること』が、この5月にちくま学芸文庫になりました(2006年に新水社より刊行された『とびこえよ、その囲いを』の改題文庫化)。本書の巻末に収録された解説を全文公開いたします。アメリカ研究がご専門の坂下史子さんが、アメリカにおける学問の自由の問題と照らして、いま本書を読み直す意味についてお書きくださいました。

  
 本書は、ブラック・フェミニズムを代表する文化批評家・教育者・活動家ベル・フックス(一九五二〜二〇二一年)が一九九四年に刊行した著作の翻訳の文庫版である。彼女が亡くなった二〇二一年は、二〇二〇年のブラック・ライヴズ・マター(BLM)運動の再燃によって、重層的な抑圧構造を説明するインターセクショナリティ(交差性)や制度的人種主義の概念が日本でも認知され始め、ブラック・フェミニストの著作が次々と翻訳されていた時期だった。長らく絶版であった本書が復刊されたのには、そうしたことも関係しているのだろう。三〇冊を超える彼女の著作が扱うテーマは、政治・経済・社会状況からメディア、文化表象、教育までと幅広い。その中でも教育実践についての本書が復刊されることは、アメリカ合衆国において「学問の自由」をめぐる闘いが現在進行形であることを踏まえると、きわめて意義深いことである。ここでは、フックスの経歴と本書が刊行された時代背景を簡単に振り返った上で、学問の自由をめぐる近年の動向を確認し、二〇二〇年代における本書の今日的意義についてあらためて考えてみたい。

 ベル・フックス(本名グロリア・ジーン・ワトキンス)は、一九五二年、南部ケンタッキー州の貧しい労働者階級の家庭に生まれた。アメリカ連邦最高裁が「ブラウン対教育委員会」裁判において、公立学校での人種隔離教育を違憲とする歴史的判決を下す二年前のことである。公民権運動が長年にわたって挑んだ人種差別は、一九六四年の公民権法と翌年の投票権法の成立をもって終止符が打たれたとされる。このような時代背景を考えるとき、本書でくり返されるフックスの教育歴―人種隔離された黒人学校で教育を受けたのち、隔離が撤廃された高校で白人生徒と席を並べて学んだこと―は、フックスが公民権運動の「成果」の恩恵を受けた第一世代であったことを示している。
 しかし、黒人生徒の精神を解放するような教育をフックスに提供してくれたのは、「人種統合」された学校ではなく、むしろ人種隔離時代の黒人学校であった。教師の大半が黒人女性だった小学校で、彼女は「学ぶことへの、精神生活への献身が対抗ヘゲモニックな行為であること、白人の人種主義的植民地化の戦略に抵抗していく基本的な方法であることを、かなり早い時期から学んでいた」(一一頁)のである。幼少期に経験した学ぶことの喜びが、皮肉にも人種差別撤廃措置によって奪われたあとも、フックスは自由のための教育の可能性を信じてスタンフォード大学に入学する。しかし、批判的な思考者になりたいという願いとは裏腹に、「権威への服従」を学ぶに過ぎない知識詰め込み型の大学・大学院教育に、彼女は再び失望することになる。そうしたときに出会ったパウロ・フレイレの批判的教育学と、黒人小学校での学びの原体験によって、フックスは自由と解放の実践としてのブラック・フェミニズム理論を打ち立ててゆくのである。
 学部生のときに草稿を執筆したという『アメリカ黒人女性とフェミニズム―ベル・フックスの「私は女ではないの?」』(一九八一年、訳書二〇一〇年)は、第二波フェミニズムへの異議申し立てとして生まれたブラック・フェミニズムの主要著作群のひとつである。人種差別、性差別、階級格差という複合的な抑圧の被害者たる黒人女性の立場から、白人中産階級女性中心のフェミニズムを批判したフックスの視座は、次作『ベル・フックスの「フェミニズム理論」―周辺から中心へ』(一九八四年、訳書二〇一七年)のタイトルにも如実に表れている。彼女は周縁化されてきた黒人女性の経験を中心に据えることで、フェミニズム理論の再構築を促したのである。

 こうしたフックスの視座は本書にも通底している。彼女は、スタンフォード大学で開講されたばかりの女性学の講座での経験―白人教授が語る「女性」が、「経済的に豊かな階層の白人女性」を前提としていたこと―を何度も振り返る。そして、「この偏った前提に疑義を申し立てることは、わたしの人格と知性の根本に関わる大問題だった。わたしは、自分が黒人であること、あるいは特定の民族の労働者階級の女性であることを消し去ってしまう、そんな行為の共犯者になることはできなかった」(三〇五頁)と回想する。自身の存在価値そのものに関わる問いと格闘する、圧倒的な当事者性から編み出されるフックスのフェミニズム理論は、「ジェンダーの問題を正当に視野に入れ、性差別の撤廃を求めるフェミニズムの闘争を変革の必須要素として位置づける黒人解放理論の再節合」(一九〇頁)を目指すものであった。
 平明な言葉で一般読者に開かれているだけではなく、たえず実践を伴うフックスの思想は、教育論である本書からも顕著に読み取れる。すべての章で、彼女がいかに「人種とジェンダーのどちらの問題にも立ち向かい、有意な回答を用意すると同時に、それを伝える有効で適切なやり方を見つけ出す」(一九一頁)ために試行錯誤を繰り返してきたかが、教室での学生とのやりとりとして描き出されているのだ。「自由の実践としての教育とは、単にそのことを知識として教えることではない。授業のなかで、それを実践すること」(二四六頁)だとする、彼女の立場は実に明快である。白人フェミニズムへの批判も自由と解放のための学びとして実践され、フックスは一枚岩ではない女性の多様性を受け止めるよう対話を重ね、より包括的なフェミニズムを実践するために連帯する道を提示している。
 本書がアメリカで刊行されたのは一九九四年だが、こうしたフックスの言葉の数々が現在もなお、当時と同様あるいはそれ以上の喫緊性とともに読者の胸に迫るのは、私たちを取り巻く状況がかつてのそれを彷彿とさせるためであろう。たとえば彼女はこう語る。 

 近ごろのわたしは、すっかり考え込まされてしまうのだ。いったいどんな力が、われわれの前進を、違った生き方を可能にする価値観の革命を、阻んでいるのだろうか。……「多文化主義」などという言葉がもてはやされるずっと以前から、彼[キング牧師]はわたしたちに「世界的な視点を育てる」ように求めていた。ところが昨今、わたしたちが日々の暮らしのなかで目にしているのは、……偏狭なナショナリズム、孤立主義、外国人嫌悪への回帰なのだ。(五七頁)

 このような危機感は、フックスと同じく批判的教育学を実践する同僚の白人男性哲学者との対談(第一〇章)においてもくり返し提示される。たとえば彼女は、「多文化主義を批判して、その授業をまた閉鎖にもち込もうとする動き」や「進歩的な教育学を引きずり落としてやろうとする大きなバックラッシュが起こっている」(二四一頁)ことを指摘している。これは、一九八〇年代から九〇年代にかけて興隆した多文化主義的な大学カリキュラムに対する、「文化戦争」と呼ばれる反動のひとつである。当時大学では、人種マイノリティや女性、労働者の視点に立ったアメリカ史が教えられ、それまでの西洋中心的な思想や文化・文学作品などの「正典(キャノン)」が相対化されつつあった。そうした動きに対して、アメリカの「伝統的な価値観」を守ろうとする保守派のみならず、リベラル派の一部からも激しい反発の声が上がったのである。

「文化戦争」は現在もなお、アクターを代えて続いている。フックスらブラック・フェミニストの思想を理論的支柱として二〇一三年に誕生したBLM運動は、二〇一七年の「女性の行進」や#Me Too 運動、翌一八年の高校生による銃規制運動などと接合しながら二〇二〇年に再燃し、世界中に拡大した。周縁化された人びとの命や暮らしを脅かしてきた複合的な抑圧構造に対して声を上げるBLM運動がもたらした「価値観の革命」は、一九九〇年代の多文化主義へのバックラッシュと同様、共和党保守派から凄まじい攻撃を受けている。とりわけ政治的な標的となっているのが教育現場である。たとえば二〇二一年、フロリダ州やテキサス州を含む複数の州では、法律や制度など社会のあらゆるところに人種差別が埋め込まれていると論じる「批判的人種理論」(critical race theory)を初中等教育の現場で教えることを禁じる法律が成立した。同時に、人種差別や黒人の歴史、LGBTQなどのテーマを扱った書籍を公立学校や図書館から排除させる禁書運動も、空前の規模で全米に拡大したのだ。ある統計によれば、二〇二一年から二二年の一学年暦に禁書の対象となった書籍は、一六〇〇冊以上にのぼったという。
 二〇二三年一月には、アメリカの大学入試の標準テストSATやAPプログラムと呼ばれる高等教育カリキュラムなどの策定と運営を行っている米国大学協議会が、同プログラムのひとつ「アフリカン・アメリカン・スタディーズ」のコース内容の大幅な変更を発表した。これは、二〇二四年の大統領選挙で共和党の最有力候補と目されているフロリダ州知事ロン・デサンティスとフロリダ教育省による、同コースへのバッシングを受けての変更であったとされる。彼らが反対したのが、同コースのカリキュラムにおける六つのテーマ―二一世紀の黒人闘争、ブラック・クィア・スタディーズ、インターセクショナリティ、BLM、ブラック・フェミニスト文学理論、奴隷制に起因する人種格差に対する賠償請求運動―であった。同協議会は、BLMや賠償請求運動、マイノリティの大量収監といったテーマを必修分野から除外した。それだけではなく、本書の著者であるベル・フックス、インターセクショナリティ概念の生みの親であるキンバリー・クレンショー、反監獄運動を牽引するアンジェラ・デイヴィスなどのブラック・フェミニストの理論や、制度的人種主義への言及をコース内容から削除したのである。
 さらに、同年二月にフロリダ州では、大学がダイバーシティ、エクイティ&インクルージョン(DE&I)教育・活動に予算を配分することを禁じる下院法案が提出された。同法案はまた、女性学やジェンダー学が批判的人種理論の信念体系から派生したものであるとして、それらを主専攻・副専攻のリストから除外することも命じている。学生時代のフックスが唯一開かれた学びの場だと感じていた学問分野が、政治的圧力によって教育現場から排除される危機に直面しているのだ。この事例は本稿執筆時点での最新の出来事だが、学問の自由への政治的介入は今後も続く恐れがある。こうした動きにどう対峙すればよいのか。三〇年前のフックスは、私たちにこう語りかけている。

 バックラッシュが勢いをまし、予算がカットされ、教授のポストがますます少なくなるなかで、大学をつくり変えて文化的多様性に開かれた状況をつくっていこうとする数少ない進歩的な試みのほとんどが、足元をすくわれたり、中止においやられたりしている。こうした脅威に、見て見ぬふりを決め込んではならない。……文化的な多様性をもつ大学と学問の世界を創造するために、わたしたちは、ありとあらゆる努力を払わなくてはならないのだ。……さまざまな運動から学び、闘いが長期戦であることを受け入れて、どこまでもねばり強くそして抜け目なく闘いつづける意志が必要だ。(六四〜六五頁)

 世界中でこれまで以上に自由と解放のための教育が必要とされる今、本書はその道筋を私たちに照らしてくれるはずだ。

 

 

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