ちくま新書

(実験26)デシの内発的動機づけ――アメとムチだけで人は動かない
『心理学をつくった実験30』第9章より

心理学史上にのこる30の名実験を選りすぐり、その内容を紹介しつつ心理学という学問の歴史と広がりを一望する、ちくま新書4月刊『心理学をつくった実験30』。ここでは、そのなかから「デシの内発的動機づけ」の実験を紹介します。人を「やる気」にさせるものとは何か。ぜひご一読ください。

 この研究は1971年に、アメリカのロチェスター大学の心理学者、エドワード・デシによって発表されたものである。
 実験の対象者は大学生であった。彼らはまず、ソマと呼ばれるパズルを実験課題として与えられた。ソマといわれるものはアメリカでは普通に売られているようだが、日本では必ずしも入手が容易でない。これは大きめのサイコロのような立方体がつながってできているもので、それらを組み合わせながらさまざまな形を作ってゆくものである。

(イラスト・たむらかずみ)
 大学生の対象者は、とにかく実験に協力してもらうということで、このソマというパズルをやることになったのだが、実はこのとき大学生は二つの異なるグループに分けられていた。一つめのグループでは、ソマのパズルが1問できるたびに1ドルずつお金が与えられていた。それに対し、もう一方のグループではそのような報酬は一切与えられておらず、文字通り、ボランティアで実験に協力するというかたちをとっていた。
 さて、二つのグループはそれぞれ別室でしばらくソマに取り組んでいたが、途中で双方の実験室とも実験の監督者が「今からわたしはしばらく席を外します。その間は自由に何をしていてもかまいません」と告げて実験室を出ていってしまった。
 ところが、実験者はいなくなってしまったように見えたが、本当は隣の部屋から覗いていた。実験室にはワンウェイミラーがあったのである。つまり、実験室の側からみると鏡に見えるが実は窓で、隣室から実験室の様子が覗けるようになっていた。
 さて、その観察結果によると、二つのグループの行動には明らかな違いがあった。まず、パズルが1問できるたびにお金をもらっていたグループの大学生は、実験の監督者が部屋から出たとたんにパズルを解くのをやめてしまい、部屋に置いてあった雑誌を読むなどしてくつろいでいた。一方、お金を支払われていなかったグループの大学生は、実験者が部屋を立ち去っても同じようにパズルを続けていたという。
 この結果をどう理解すればよいだろうか。まず、この実験で用いられたようなパズルの特徴からいえることがある。このパズルは、少々違うかもしれないがあえていえば、ルービック・キューブのようなものである。ルービック・キューブを少しでもやったことがある方ならば容易に想像できると思うが、このような単純なゲームはやりだすと意外に面白く病みつきになるものである。ソマというパズルもだいたいそのようなもので、何気ない気持ちで始めるとどんどんはまってゆくらしい。
 一般的に言って、人はあまり面白くない勉強や仕事に対してはなかなか意欲が湧かないが、このように自分で面白いと感じるようなものに対してはやる気が自然に湧いてくるものである。これはさきほど紹介したハウロウの実験で、サルが報酬つまり餌をもらわなくても一生懸命電灯のスイッチをつけていたという話と同じであり、要はお金をもらわずにソマパズルをやっていた大学生たちは内発的に動機づけられていたのである。これに対し、もう一方のグループは1問できるごとに1ドルずつお金をもらうことでやる気を維持していた。こちらは外発的に動機づけられていたと言える。
 
†環境をコントロールできているという感覚
 
 この実験が明らかにしたのは、人が内発的に動機づけられている状態にあるとき、外発的動機づけを導入してはならないということであろう。楽しいことをして、そのうえお金ももらえれば、やる気はさらにアップするように思える。しかし、実際にはそうならなかった。お金をもらっていたグループは、監督者の目が届かなくなると早々に動機づけを失っていた。外発的動機づけは内発的動機づけを抑制する働きをしてしまったのである。
 では、なぜそのようなことが起こったのであろうか。これは次のように考えることができるだろう。お金をもらわずにパズルをやっていたグループは、自分で楽しいと思い、自らパズルに取り組んでいた。この状況は自分で自分の環境をコントロールしているような状況にあったといってよいだろう。一方、1問できるごとにお金をもらっていたグループの対象者は、本来は自分からパズルに取り組もうとする気持ちを持てるはずであったが、お金という非常に強い誘惑があったために、むしろ注意がお金のほうに向かってしまった。その結果、この実験場面という環境をコントロールしている主体は、いつのまにかお金を握っている実験の監督者であるかのように見えていたのである。つまり、このグループの対象者は、知らず知らずのうちに自分で環境をコントロールすることが不可能であるかのような感覚を学習していたとはいえないだろうか。
 その結果、実験の監督者が部屋を出ていってしまうと、本来ならば面白くて病みつきになってずっと続けてやっているようなパズルに対して、やる気を失ってしまったのである。 このように動機づけにとって決定的なのは、餌があるかではない。むしろ、自分の周囲の環境を自分でコントロールできていると思えるかどうかという認識(認知)なのだ。
 行動主義的な動機づけの考え方は、餌の有無がそのまま動機づけに反映されていた。しかしデシの実験は、餌はいったん頭の中で情報処理され、それがどのような意味をもつか判断された結果、動機づけに影響を与えているということを明らかにした。

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