ちくま新書

「国民の健康」か「自由な活動」か

『病が分断するアメリカ――公衆衛生と「自由」のジレンマ』はじめに

コロナ禍のアメリカは、世界最悪の死者数116万人を記録した。ワクチン接種に反対が根強く、マスク着用では国が分断された。国民の健康と、自由な活動という深刻なジレンマを抱えていたのだ。20世紀初頭以来の公衆衛生史をひもときつつ、社会格差・地域格差・人種格差などによって分断されているアメリカの諸問題を追究した、ちくま新書8月刊『病が分断するアメリカ』。「はじめに」の全文を公開します。

はじめに
 病は社会を分断する。一方で社会の分断が病の種類や軽重を左右することもまた事実である。個人の病や健康を左右する社会の分断とは何だろうか。
 現在のアメリカの分断といえば、共和党と民主党のイデオロギー的分断がまず思い出される。しかしそれだけでは病や健康の格差は説明できない。政治体制がもたらす公共政策の作られ方、人々の行動をみちびく価値観、所得格差や働き方の違いなどが、病と健康に大きな影響を及ぼす。そこにあらわれる分断は、「赤い地域」と「青い地域」だけでは解釈できない。
 人々が集合的に持っている価値観には、それぞれの国や地域の歴史的経験や、社会の制度が影響する。公共政策として病の予防を推進する公衆衛生もまた、その価値観に左右されている。本書は公衆衛生の観点から、病と健康に影響を及ぼす社会の状況を、歴史をひもときながら検討する。
 人は太古の昔から病と格闘しながら生きてきた。パンデミックでは中世のヨーロッパの人口を激減させたペスト、19世紀に世界を繰り返し襲ったコレラ、1918年に発生した「スペイン風邪」が有名である。それ以外にも、風土病から公害病、遺伝性疾患、生活習慣病など、病はあちこちにある。そして、病をコントロールするために人は専門知を開拓し、行動を変容させるための制度を構築する。
 しかし、これらの知と制度は残るものの、人はその原因となった病を頭から簡単に消し去る。2019年末からの新型コロナウイルス感染症(COVID-19)で、そのうちのいくつかは思い出され、メディアやネットでは折々に取り上げられた。しかし1989年に原著が出版されたアルフレッド・クロスビー『史上最悪のインフルエンザ――忘れられたパンデミック』のタイトルが示している通り、1980年代には「スペイン風邪」さえもほぼ忘却されていた。
 そしてCOVID-19の際でも、「スペイン風邪」は語られたものの、1957―58年に世界で一千万人前後の死亡をもたらしたインフルエンザ「アジア風邪」は、ほとんど参照されなかった。1958年には東京で第3回アジア競技大会が開催された点でも、2020年東京オリンピック開催延期と並んで考察されてしかるべきだったのではと思う。このアジア競技大会は1964年オリンピックの東京招致をかけたものだったため、成功を期待する圧力は強く、関係者は神経を使ったことだろう。しかしその経験は一般には忘れ去られたままである。
 公衆衛生は非常にパターナリスティックである。「こうすることがお前のためになるのだ」という指導を、時には強制する。病の予防が目的だから人々は支持しないことはないものの、抵抗は大きい。そして、それをもたらした病の記憶は忘却され、システムはある程度残存する。
 この厄介ながらも人々の福利に寄与してきた公衆衛生を、アメリカから見てみようというのが本書の試みである。一般的に国が豊かであれば国民の健康度は高くなる。国民の所得が高ければ十分なカロリーと栄養バランスの良い食事を摂取できる。教育程度が高ければ科学リテラシーが高まり、病の原因となるものを生活から遠ざけることができる。税収が安定的に高まれば、上下水道やごみ処理などのシステムを維持できる。研究体制を維持・充実させる意思が形となれば、病の研究や、新薬や医療機器の開発を継続することができる。
 実際、アメリカの研究機関には世界中から専門家が集まり、アイディアを持ち寄り刺激を与えあうことで、新しい専門知識を生み出している。また、医療を志す人の育成も活発であり、人口当たりの病院数や医師数は充実している。そしてそれを支えるために政府の補助金や民間――製薬や医療機器メーカーの他、財団など――からの資金が拠出されている。これらが人々の健康レベルを上げ、働ける身体を作り出し、国の豊かさを支え、教育と研究を推進する循環を作り出す。
 一方で、集合体としてのアメリカ人の健康状態が他の先進国と比較して良好とはいえないことは統計的に示されている。平均寿命はG7諸国の中では短く、乳児死亡率は高い。これはどうしてだと思うかと日本の大学生に問えば、国民の肥満率が高い、ドラッグ中毒が多い、国民皆保険制度がないから病院に行けない人がいる、という答えが返ってくる。また、ストレスからくるメンタルの不調が多いことを指摘する学生もいる。


「食生活が原因ではないでしょうか。なんとなくハンバーガーとフライドポテトばかり食べているイメージがありますし、アメリカのお菓子ってどれも驚くほど甘いです。なのに自動車を使うのが普通だから、あまり歩かないですよね。」
「競争社会だからストレスも大きそうです。人種間の緊張もあるでしょうし。もっとも、ちょっとした不調に病名をつけているという気がしないでもないですが。」
「でもアメリカ人ってエクササイズが好きですよね。ジョギングしている人をよく見かけます。健康意識は高いのだろうなと思います。医療保険がないならそうなるのかもしれません。ただ、真夏の暑い盛りに頭から水をかけながら外を走っている人も多くて、どうして朝や夜の涼しい時に走らないのかなと思いました。」


 学生たちの観察はある程度の真実をつかんでいる。しかし、これらはもっと掘り下げることができる。アメリカの菓子が日本のものに比べて甘いのはその通りだが、軽いレベルのベジタリアン(牛肉と豚肉を食べない程度)は多いし、糖質制限を実践する人もかなりいる。自動車を所有していても、大都市部では駐車場確保や渋滞が面倒なので平日はそれほど使わないという人もいる。昼間からジョギングできるような生活を維持している人たちが医療保険を買えない層だとは思えない。
 アメリカに国民皆保険システムがないのは事実だが、民間医療保険への加入を促す2014年施行のオバマケア(医療保険改革法)によって、医療保険に加入していない人は大幅に減った。それでも無保険者は2700万人ほど存在している。
 病を自己責任に帰せる部分はもちろんあるが、さまざまな環境下で生きる人は、その環境に応じた行動をとらざるをえない事情もある。アメリカ社会と病の関係を知るためには、もっと突っ込んで観察することが必要である。そうすることによって、日本社会が抱える諸問題との比較が可能になり、アメリカ社会の成功と失敗から学べることが見えてくる。
 社会格差や情報格差はどのように作用しているのか、地域による違いはあるのか、歴史的な経験はどのように影響しているのか、どのようなシステムが健康を支え、病を予防するのか。本書はこれらを公衆衛生の観点から検討していく。COVID-19の記述が多くなるが、COVID-19の展開そのものを説明するというよりはむしろ、どのような歴史的経験の上に今があるのかを説明するものである。
 公衆衛生システムは、近代国家が整備してきたさまざまな制度と絡み合いながらそれぞれの国家や地域で充実してきた。年齢・居住地・収入を把握する人口管理、新しい病が発生した時の疫学調査研究、住民に行動変容を説得する広報・教育、そして行動制限を徹底させるための強制手段などが、公衆衛生システムを支えている。現代の公衆衛生は、行政機構の充実度とそれを維持・発展させる政治的意思、それらに対する住民の理解と信頼によって左右される、まことに「現代的」な性格を持つ。
 このように公衆衛生とは非常に広い範囲をカバーするものだが、本書が扱う公衆衛生は、ある意味古典的な急性感染症予防に留まっている。公衆衛生は本書が検討する範囲以外にも、労働者の健康管理を推進する産業衛生や乳児とその母親を対象とした母子衛生、食品衛生、自殺予防を含む精神衛生、環境衛生、交通安全対策などが含まれる。かつては民族衛生と言われた優生学をここに入れることも可能だ。これらのテーマについては、別の機会に検討したい。
 これまでに出版されたアメリカと医療を扱った書物は、アメリカの医療制度を説明するもの、医療現場で経験したこと、そして医療保険制度を検討するものが中心である。とりわけオバマケアなど医療保険制度の研究蓄積は厚い。そのため本書では医療保険制度についての検討は行っていない。医療保険制度に関心を持つ人は、巻末の参考文献を参照されたい。
 なお、本書で使用した写真は、出所を記していないものはすべてウィキメディア・コモンズのパブリックドメインのものである。
 

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