ちくま新書

これが、日本版「LIFE SHIFT」だ!

「70歳の壁」や「80歳の壁」という言い方が流行っているが、果たして人生に「壁」というのはあるのだろうか。あると思うと、それに捕らわれてしまうのが人間だが、「そんなものはない」と考える方向にシフトしていくのが、これからを生きていく上でのヒントになるのではないか。宗教学を学んで50年、ちょうど70歳にさしかかる著者が考える、人生120年時代の「死に方」「生き方」とは? 「怒らない」「超然とする」「学ぶテーマを見つける」がポイントとなる。ちくま新書9月刊行『大還暦』の「はじめに」を公開します。

のび続ける寿命
 人生100年時代が訪れました。
 これは、考えてみれば、人類が経験するはじめての事態かもしれません。
 日本では、2022年9月の時点で、100歳以上が9万人を超えました。1970年にはわずか310人でした。それ以来52年連続でその数が増えています。
 女性が全体の九割近くを占めていますが、男性も一万人を超えています。
 年末には喪中はがきが送られてきますが、それを見ていても、亡くなる方の年齢がしだいに高くなっているのが分かります。これまで私が受け取ったはがきの場合、最高齢は104歳でした。
 私は1953年の生まれで、2023年11月8日には70歳を迎えます。70歳と言えば、「古希」のお祝いです。これは、中国の有名な詩人杜甫の「人生七十古来稀なり」に由来します。
 杜甫は唐代の人物で、712年に生まれ、770年に亡くなったとされます。50歳代後半で亡くなっているわけですから、その時代、70歳まで生きるのはたしかに希なことでした。
 戦国時代に天下統一を目指した織田信長が、当時流行していた幸若舞の「敦盛」にある「人間五〇年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」という箇所を好み、自ら舞ったことはよく知られています。この時代の認識では、人間の寿命は50年とされていたわけです。
 歴史を遡れば、寿命はさらに短くなります。過去の平均寿命については統計調査などありませんから推定値しかありません。そうしたものによると、縄文時代で15歳、平安時代で30歳と言われます。これは乳幼児の死亡率がかなり高かったからで、今の感覚とはかなり違うはずです。
 1920年(大正九年)から国勢調査も行われるようになり、平均寿命が統計として算出されるようになりました。最初の頃の調査では40歳代前半で、それが次第にのびるようになり、1947年に行われた戦後はじめての調査では、男女とも50歳を超えました。それでもまだ、「人間五〇年」ということばが現実のものだったのです。
 現在の日本の平均寿命は男女とも80歳代です。それでも最近亡くなった著名人の年齢を見ていくと、90歳代というのがとても増えているように思えます。
 70歳代で亡くなると、「まだお若いのに」と言われます。80歳代でも、「もっと生きられたはずなのに」と残念がられます。90歳代なら、ようやく「しかたがない」と周囲は受け取ります。
 信長の生まれについては、天文3年5月12日説と同月28日説の2つがあるようです。当時のヨーロッパではユリウス暦が用いられていましたので、それぞれ1534年6月23日と7月9日に当たります。
 亡くなったのは天正10年6月2日で、これは1582年6月21日に当たります。生まれはどちらにしても、亡くなったときの満年齢は47歳でした。信長がタイムマシンに乗って現代に現れ、人生100年時代ということばを聞いたら、さぞやびっくりすることでしょう。
 信長が亡くなってから450年ほどになります。その間に、人間の寿命についてのとらえ方は、50年から100年へと倍になりました。日本の歴史の長さを考えれば、あるいは人類の歴史全体を考えれば、450年はとても短いものです。終戦直後はまだ「人間五〇年」だったわけですから、80年近くの間に、大きな変化が起こったことになります。
 ですから、私たちはまだ人生100年時代に慣れてはいません。長い人生をどうやって生きていけばいいのか、それに戸惑っているようにも思えます。

長い人生、どう生きていけばいいのか
 私のように、文章を書くことで生計を立てている人間には「定年」がありません。それが好ましいことなのかどうかは分かりませんが、多くの人たちは65歳で定年を迎えます。その後も、年金では足らず、働き続けなければならないという人も少なくないでしょう。私も大学などに勤めていた期間が10年ほどしかないので、年金額を調べてみると、あまりにも少額なので驚きました。
 なかには、大企業や官庁に長年勤めていて、生活をしていく上で十分な年金額の人もいるでしょう。私の同級生などにはそうした人間が少なくありません。そうなると、65歳以降、長い老後が待っています。
 仮に100歳まで生きるとしたら、老後の期間は35年にも及びます。働き始めるのが18歳、あるいは22歳とすると、労働期間は45年前後になります。労働に費やしてきた期間に比べれば、それよりは短いわけですが、老後が相当に長いことは間違いありません。
 私の祖父は、父方も母方も72歳で亡くなっています。昭和の時代のことですが、その時代の定年が60歳だったとすれば、老後は12年です。寿命も短ければ、老後の期間も短かったわけです。父方の祖父などは最後認知症になってしまいましたから、健康だった老後の期間は10年にも満たなかったのではないでしょうか。
 長い間仕事をしてきて、いざ定年を迎え、それからが10年にも満たない短さなら、やりたいことも十分にはできません。寿命が短いということは、健康である期間も短いわけですから、なおさらです。
 現在はそういう時代ではなくなりました。人によってそれぞれですが、長い老後を持て余すような人もいます。寿命がのびたことが、果たして幸せなのかどうか、そこに疑問を持つ人もいるでしょう。
 人間は、大昔から「不老不死」を求めてきました。それも、実際に寿命が短く、老いがすぐに訪れたからです。
 もちろん、いくら人生100年時代を迎えたからといって、死ななくなったわけではありません。それは今後も変わりません。最後には必ずや死が待っています。死の前には老いや病いが待ち構えています。
 仏教を開いた釈迦は、王族として何不自由ない生活を送っていたものの、若い頃に人間には老い、病み、死ぬ苦があることを知り、それで深く悩んだと伝えられています。これに生まれることの苦を加えた生老病死は、「四苦」と呼ばれます。釈迦が家族を捨ててまで出家したのも、この四苦から解き放たれたいと考えたからです。
 生まれること自体が苦であるというのは、古代からあるインドの考え方です。人間は、さらに言えばあらゆる生き物は輪廻をくり返し、苦の生活を送り続けていかなければならないと考えられたからです。そこまで生まれることを嫌う感覚は日本にはありません。それでも、老病死が苦を生むことは間違いありません。
 しかし、昔に比べれば、老病死の苦はかなり軽減されるようになってきました。少なくとも、それを軽くするさまざまな手立てを講じることができるようになってきました。

宗教の衰退現象が進んだ
 もし釈迦が、やはりタイムマシンに乗って現代に現れたとしたら、果たして出家して、解脱を求めたでしょうか。おそらくそうはならなかったはずです。善き父親として、妻とともに授かった子どもを育て上げていくことに力を尽くしたのではないでしょうか。
 釈迦が出家をしないのであれば、仏教という宗教は生まれません。この点は、人生100年時代を考える上で、とても重要なポイントになります。仏教を含めた宗教というものが、時代とずれてしまうようになってきたからです。
 私は長年宗教について研究をしてきました。それに関連して多くの本を出してきました。東大の宗教学科に進学したのは20歳のときでしたから、宗教学を50年にわたって学んできたことになります。
 その間に、宗教をめぐる状況は大きく変わりました。今、宗教というと「原理主義」や「カルト」といったことばが浮かんでくるでしょうが、50年前には、そうしたことばは宗教学の世界でもほとんど使われていませんでした。その点では、世界情勢における宗教の重要性、あるいは危険性ははるかに増したと言えます。
 しかし、一方で、特にこれは日本などの先進国について言えることですが、宗教の衰退という現象が50年間でかなり進んだことも事実です。
 私が宗教学科に進学してすぐ、ゴールデン・ウィークの時期に学科旅行に奈良県天理市を訪れました。天理市は、戦前には新宗教のなかでもっとも大きく拡大した天理教の教会本部があるところです。
 教会本部も3000畳敷きの巨大な建築物ですが、その周囲には、「親里館」や「詰め所」と呼ばれる天理教関係の建物がいくつも建っていました。5、6階建てですから、今の感覚で言えば、それほど高いものではありません。でも、まだ高層ビルなど珍しい時代です。私は、天理教の巨大建築物の群に圧倒されました。教会本部で行われる夕方の礼拝にも参列しましたが、おびただしい数の信者がそこに集まっていて、それにも驚かされました。
 ところが、それから50年が経ち、現在の天理教では信者の数が減り、巨大建築物を維持するための費用の捻出に苦労するようになったと聞きます。これは一例ですが、他の新宗教の教団でも、あるいは神道や仏教の既成教団でも信者の数はどこも減少していて、同様の事態が起こっています。人生100年時代が訪れたことと、宗教教団が信者数を減らしていることの間には、どうやら密接な関係がありそうです。
 宗教は、人類が誕生した当初の段階から存在するものと考えられます。大昔は文字がなく、文献史料がないので、それがどういうものだったかはっきりとは分かりませんが、考古学の発掘によって、人を埋葬した跡など、何らかの信仰が存在したことが明らかにされるようになっています。
 それほど長い歴史を持ち、世界の動向に影響を与えてきた宗教が、現代になって力を失ってしまっているのです。これは重大な出来事で、私たちの生活にも大きな影響を与えています。
 人生100年時代を、私たちはどのように生きていけばよいのでしょうか。その点を考えることが、この本のテーマになります。
 通常なら、まずそうした時代の生き方についてふれ、その後に、死についてふれることになるでしょう。生き方が先で、死に方は後になります。
 しかし、人生の終わりには必ず死が待ち受けているわけで、現代における死のありさまがどのようなものであるかをしっかりと見極めた上で、生き方を考えた方が焦点が定まってくるように思えます。
 そこで、まず最初に死について考えていくことにします。私たちは死んでからどのようになるのか。来世や墓、葬式、そして実際に私たちはどのように死んでいくのかを見ていってから、人生100年時代の生き方を考えていくことにしましょう。
 

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