ちくま新書

"神に仕えるスパイ" の肖像
『キェルケゴール――生の苦悩に向き合う哲学』はじめに

キリスト教国家デンマークに生まれ、いまなお哲学史にその名を刻むセーレン・キェルケゴール。苦しみと絶望に塗れた生涯、そしてその憂愁の淵から立ち上がった〈実存哲学〉の全体に迫る決定版入門書『キェルケゴール――生の苦悩に向き合う哲学』より、「はじめに」を公開します。

 セーレン・キェルケゴール(1813〜1855)は、キリスト教プロテスタント・ルター派を国教とする北欧の小国デンマークを生きた。コペンハーゲン大学で哲学や神学を学び、ソクラテスやヘーゲル、ルターらからのさまざまな影響のもとに思想を構築した。著作家として創作活動を進め、『おそれとおののき』や『不安の概念』、『死に至る病』などの後世に名を残す作品を生み出した。「単独者」「不安」「絶望」といった概念に象徴される、反思弁的で主体的な実存の思想により、死後、実存哲学(実存主義)や弁証法神学といった思想潮流の形成に一役買った。21世紀以降も、たとえば実在論哲学など、思想界に一定の影響を及ぼしつづけている。
 「キェルケゴール」について手近なツールでざっと調べてみると、おおむねこのような理解がもたらされることになる。キェルケゴールは今日では、過去の偉大な「思想家」の一人と認識されているようだ。
 さてここで、彼と同時代、19世紀なかごろのコペンハーゲンの街に降り立ってみよう。キェルケゴールという人は街ゆく人々の目にどのように映っていたのだろう。
 レギーネ・オルセンという一回り近く年下の女性を口説き落として婚約しながら、一方的にそれを破棄した誘惑者。『あれか、これか』という一風変わった恋愛私小説がベストセラーとなり、一躍時代の寵児となった才人。たいして売れるわけでもない哲学や心理学の小難しい思想書をたくさん、筆名をあれこれ変えながら世に送りつづけた、想像力の尽きることのない文筆家。そしてまたその一方で、真剣で退屈な宗教書を飽くことなく書きつづけもした熱心な宗教家。父親から多額の遺産を相続し、牧師などの定職に就くことなく日々を暮らしつづけることができた成金。それでもごくまれに、気が向くと教会で講話を(聴きとれないほどの小声でぼそぼそと)垂れた、牧師まがいの者。自分の著作に辛口の書評を加えたゴシップ紙に喧嘩を売って、かえって自分の身なりなどを嘲笑の種にされ、社会から孤立していった変人。そして社会から完全に距離を置くようになってしまい、ついには体制派キリスト教という権威に歯向かい、最後には公然とその批判のキャンペーンを繰り広げて死んでいった不憫な活動家……。

 ある良識あるコペンハーゲン人は、亡くなった彼を評して、共鳴板のひび割れた高貴な楽器、とこぼした。とても豊かに鳴り響き、人々の心を満たすだけのポテンシャルをもっていたはずのヴァイオリン。だがそれは、どこかに不具合が生じて台無しになってしまい、結局すっかり耳障りな音しか出せなくなってしまった。もっと違った、もっとまっとうな人生を歩んでいれば、彼の言葉はずっと美しく響いたことだろうし、多くの人がそれを耳にして喜びを得たことだろうに……。キェルケゴールの一生とはそんなものだった、と。
 話を戻そう。キェルケゴールと同時代の人々からすれば、彼をどう評するにせよ、彼は「思想家」などという無害なカテゴリーに落ち着かせることなどできない人物だったことは間違いなさそうだ。冒頭にまとめたキェルケゴールについての一般的認識は、じつはキェルケゴールという異常な人物の生のほとぼりが冷めたあと、デンマークからは遠い異国の思想界において形成されてきた理解が基礎になっている。彼の死後50年以上を経て、おもにドイツ語圏の思想家たちが、自分たちの抱える哲学や神学の問題に、彼の著作とその思想を取り込んだのである。ここに端を発する理解は、戦後は日本にも入ってきた。同時代人たちが見たキェルケゴールは、むしろスキャンダルだった。

 1990年代を境に、キェルケゴール研究は大きく変わった。それまでは、今述べたように、おもにドイツ語圏の思想家たちによるキェルケゴール理解を基点に、研究が進められることが多かった。だが1990年代以降は、19世紀なかごろのデンマーク社会を生きたキェルケゴールその人にきちんと定位すべく、高い解像度で彼の実像を捉えようとする試みがなされるようになった。
 まずは研究のための足場が整えられた。具体的には、キェルケゴールについての知人や友人たちの証言録の集積が行われた*。また、それを一つの資料として、キェルケゴールの生涯をめぐる壮大で綿密な実証的研究がなされ、決定版とも呼びうる伝記が作成された*。そして、最新版のデンマーク語原典全集が、彼の生誕200年にあたる2013年、15年近くの歳月を経て刊行の完結を見た*。この全集は、キェルケゴールが整えたままの手稿を再現することを理念として編集され、また著作のみならず日記もすべて収録している。こうした研究潮流の変化のなかで、当然のことながら、研究の中心は本国デンマークの学者たちが担うようになり、並行して、ドイツ語や英語ではなくデンマーク語でキェルケゴールを読むことが、研究における標準的なこととなった。
 とくに2000年以降になると、これらを足場に、キェルケゴールの思想についての新しい解釈を提示する、さまざまな研究が姿を現すようになった。たとえば、キェルケゴールが著作のなかで展開する思弁思想批判は、かつてはヘーゲル批判と同一視されることがほとんどだった。だが現在では、じつはそれらの多くは、ヘーゲル哲学を信仰の領域に持ち込んだ同時代のデンマークの思想家たちへの批判であることが判明してきている*
 つまり、キェルケゴールが著作で示す思想について、19世紀のデンマークという彼自身の思考の文脈に即した、より正確な解釈がもたらされてきているわけである。

 キェルケゴールとは何者なのか。近年のこうした諸成果を活用することで、思想家というカテゴリーには収まりきらない、キェルケゴールという特異な人物の全体像を復元させることが、今、可能になりつつあるのである。本書はここに形をとる、キェルケゴールの入門書である。なぜ彼は、先に示したようなスキャンダラスな人生を、コペンハーゲンの街を舞台にして送らなければならなかったのか。その彼が生み出した、哲学や神学に分類されうる著作や思想は、その風変わりな人生とどのように関係していたのか。近年もたらされたさまざまな資料や知見を活用し、キェルケゴールという人がどのように生きようとしたのか、基本的なアイデンティティを見定める。そしてそれを導きの糸として、彼の生の全体を統一的に把握し提示することを目指す。
 ここではごく簡潔に述べよう。キェルケゴールは、基本的に神に仕えるスパイとして、キリスト教界にキリスト教を再導入するという任務を遂行した。ここに彼のアイデンティティがあった。そしてその彼が、ゆえあってときに著作を執筆し刊行したのであり、またゆえあって市井の人々や、体制派キリスト教とも対立する羽目になったのである。
 今日、キェルケゴールという人の名を目にするのは、哲学や倫理学の文脈であることがほとんどだろう。そこで彼に関心を寄せるようになる稀有な人がいるとして、彼のことを学者として、思想家として捉え、そのカテゴリーにはめこんで理解しようとするのは、きわめて自然なことである。というより、それ以外の仕方で彼を理解する可能性にすら思い当たらないのが、普通のことかもしれない。だが、長らくキェルケゴールという人の研究に携わってきた者の一人として、私は、まずはそのありのままの姿で彼のことを理解してあげるべきだと、切に思う。神に仕えるスパイという使命を(勝手に)確信し、その活動の過程で後世に名を残す著作をものす一方、どうしたわけかスキャンダラスな人生を送らざるをえなくなってしまった、一人の弱く不器用な人物として。そのようにこそ彼は生きたのだから。
 神に仕えるスパイという視座からキェルケゴールの全体像を捉えること。そのためには、彼が死後の出版を見越して書き残した、膨大な量の日記を読み解くことが必要となる。日記を手がかりにして彼の全体像を立ち上がらせることで、彼の思想家としての側面についての理解も深まる。たとえば『死に至る病』など、彼の著作と思想についてのより正確な理解が可能になる。
 そしてもう一つ。じつはキェルケゴールは、著作の内容とはまったく別の次元で、きわめて重要なメッセージを後世のわれわれに向けて発している。そしてそれは、そのようにして彼の全体像を復元させるとき、はじめて掬い取ることが可能なものなのである。
 そのメッセージとはいったいいかなるものか。それについては本書の最後で確認することにしよう。

 本書の構成は以下のとおりである。
 まず、キェルケゴールの全体像を捉えるための、骨組みを構築する(序章)。キェルケゴールは、自分がかかわった罪への深い懺悔の意識から、神のために生涯を捧げようと決意する。そして、キリスト教が形骸化して露命をつなぐばかりになり果てた社会、キリスト教界に、人間に救いをもたらす真理、本来のキリスト教を再導入することに、自分に割り当てられた任務を見る。彼はこの任務を、著作を一つのツールとする裏工作によって遂行しようとする。約言すれば彼は、基本的に神に仕えるスパイとして、その一生を送るのである。
 このことを確認したうえで、キェルケゴールの生涯を時系列に沿ってたどり、この骨組みにさまざまな肉付けを施すことで、彼の全体像を立ち上がらせていく。
 まず、キェルケゴールがいかにして神に仕えるスパイという基本的なアイデンティティを自覚したのか、誕生から青年期までの生をたどる(第1章、2章)。神に仕えるスパイは、キリスト教界にキリスト教を再導入するという任務を、著作家活動をつうじて果たそうとする。著作家活動全体のデザインを確認し(第3章)、いくつかの著作を概観してその活動の内実を捉える(第4章、5章)。彼は次第に、結婚もできず定職にも就けず、神に仕えるスパイとして活動しつづけなくてはならないという自分の所定の生のあり方に、疑問を抱くようになる。その逡巡の様子をたどる(第6章)。その末に彼は意を決し、今度はより大胆に、キリスト教界に生息するデンマーク国教会の牧師たちとの対立の火種をはらむ、新しい著作家活動へと乗り出し、任務を果たそうとする。この著作家活動について、やはりその全体のデザインを確認したうえで、いくつかの著作を概観することで、全貌の把握を試みる(第7章)。
 これでキェルケゴールは、著作家としては、やれることはすべてやりきった。だが彼は次第に、キリスト教界にキリスト教を再導入するためには、スパイとして身を隠しながらではなく、活動家として直接人々に言葉を投げかけねばならないと考えるようになる。この転身に際しての彼の思索をたどる(第8章)。そしてスパイから活動家に身を転じた彼が、最晩年に精魂を傾けた、国教会の牧師たちを向こうに回しての、体制派キリスト教への批判のキャンペーンを概観する(第9章)。彼はその途次で命を落とすのであり、その最期の日々を見つめる(終章)。
 このように、神に仕えるスパイという基本的なアイデンティティを骨組みにして、彼の全体像を立ち上げてみると、じつは彼が、後世のわれわれに対しても、神に仕えるスパイとして向き合い、自分の任務を果たそうとしていることが垣間見えてくる。彼がわれわれに何を伝えようとしているのか、最後に確認する(おわりに)。


(*1)Bruce H. Kirmmse, Encounters with Kierkegaard, Princeton: Princeton University Press, 1996.
(*2)Joakim Garff, SAK: Søren Aabye Kierkegaard, En Biografi, København: Gads Forlag, 2000.
(*3)Søren Kierkegaards Skrifter, bd. 1-28, K1-28, udg. af Niels Jørgen Cappelørn, Joakim Garff, Anne Mette Hansen og Johnny Kondrup, København: Søren Kierkegaard Forskningscenteret og G. E. C. Gads Forlag, 1997-2013.
(*4)Jon Stewart, Kierkegaard’s Relations to Hegel Reconsidered, Cambridge: Cambridge University Press, 2003.(ジョン・スチュアート『キェルケゴールは反ヘーゲル主義者だったのか? ―― 彼のヘーゲルへの関わりを再吟味する』桝形公也監訳、萌書房、2023年)

 

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