1940年に刊行された森田たまの半自伝的長編小説『石狩少女』が復刊・文庫になると知り、嬉々として手にとった。本書は、千野帽子著『文藝ガーリッシュ』(河出書房新社)で存在を知って以来、ぜひ読んでみたい作品だった。同著にて、千野氏は「「文学少女」小説の最高峰」と絶賛しており、何より私自身が主人公と同じ札幌の出身だからだ。
ちょうど札幌の仕事から戻る道中、電車の中でゲラを読みはじめ、私は思わず噴き出してしまった。登場人物の生き生きしていること。なるほど、主人公は大人にも難しい本を読みこなす早熟な「文学少女」なのだが、それだけではない魅力がある。
舞台は明治末の札幌で、語り手は15歳の少女・悠紀子。男性からの甘い承認の言葉に流されない芯の強さの持ち主だ。
読みはじめてすぐに、私は悠紀子のことが大好きになった。東京から来た帝大生・一郎の「この子はいまにきっとすばらしいヴァンプになるぜ」という一言に悠紀子は憤る。ヴァンプとは男を「悩殺」する悪い女のこと。彼女は「恥はこの男こそ知るがよい」と読者に力強く言い放ってみせるのだ。痛快すぎる。そんな誇り高い悠紀子なのだが、実は不器用で可愛い一面もあって目が離せない。特にハムエッグに挑む場面は忘れ難い。
彼女はある事件に巻き込まれる。投稿誌に自作が掲載されたことをきっかけに、全国の女子と文通を始めるのだが、その中の「川原みず枝」という人物が、実は自分は男性であると手紙で告白。今でいうネカマのような存在だろう。思わぬ形で噂が広がり、学内でスキャンダルになってしまう。他にも男性との関わりの中で、危ないところだった……とヒヤヒヤする場面が(ときには別の少女の話として)登場する。今も昔も少女の運命は前途多難である。
母は自分に従順な姉の方ばかり可愛がり、悠紀子のことを何かと邪険に扱う。そんな彼女にとって支えになるのが、学校で英語の授業を担当する土屋先生の言葉だ。
「あなたはこの町で平凡にお嫁にいって、平凡に人妻として一生を終るべき人じゃない。かならずあの太陽のように、日本の上にかがやく人だと思うのです」
一少女には荷が重すぎないかと心配になるが、土屋先生が示した運命の一部を彼女は確かに乗り越えていくのだ。
この小説の大事な要素であり、実に見事だったのが、悠紀子自身の内面と重ねるように札幌の自然がふんだんに描かれること。札幌の夏の夜は、どこか寂しく切なさが漂う。その独特の空気感を完璧に描きだしていた。悠紀子と同じように藻岩山を眺めて育った私には馴染み深く、同時に生まれ育った土地の風景をこれほど豊かに描き出せる筆力に驚いた。
〈自分は誰からも愛される草花のような女にはならなくともよい、むしろ誰からも離れて、たった一本、山の頂きに咲いている桜の花のような女になろう。……〉
どれほど男性から言い寄られ、承認されようと、彼女の本質は孤独なのだ。だからこそ、窮地に陥っても彼女は気高さを失わない。後半部、悠紀子たち一家は大火事に見舞われてしまう。自分の家が燃えている場面にもかかわらず、その描写は美しい。病に倒れても、家が全焼しても、彼女の姿は崩れることがない。
不幸が立て続く中、叔母の思惑によって(なんと、祖母が遺言で決めた許婚と会うために)秋田の田舎に滞在することになった彼女。そこで初めて、大人として生きる哀しさを知る。
内地の歴史に触れて無邪気にはしゃぐ悠紀子に対し、許婚の長兄である小二郎はこのように告げる。
「ここには歴史がある。……だがその歴史という奴がねえ、僕等にとってはなかなかの重荷なんだよ」
悠紀子は初めてシビアな現実に直面し、どんな人にも事情がある、という成熟した見方を手にいれる。そこにはもう、顔を真っ赤にして憤る彼女はいない。そっと飲み込んで、自分自身の道をゆく覚悟を決めるのだ。
反抗心を内に秘め、周囲からはみ出していく悠紀子。私のなかにも澄んだ瞳の彼女が息づいている。10代の頃、誰もが思い描く、少しだけ特別な女の子として。
森田たま『石狩少女(いしかりおとめ)』が復刊・文庫化されました。1940年に刊行され、少女小説の傑作と名高い本作について、小説の舞台でもある北海道・札幌出身の詩人である文月悠光さんにエッセイをご寄稿していただきました。ぜひお読みください!(PR誌「ちくま」2月号から転載)