ちくま新書

民主主義が機能不全に陥ったとき、私たちは何を考えるべきなのか
『民主主義を疑ってみる』まえがき

民主主義が機能不全に陥ってしまったとき、私たちはどうすればよいのか。民主主義のみならず、それを抑制・補完する原理としての自由主義、共和主義、社会主義といった重要思想を取り上げ、それぞれの歴史的展開や要点を手際よく紹介した梅澤佑介著『民主主義を疑ってみる――自分で考えるための政治思想講義』。同書より「まえがき」を公開します。

†空前の「民主主義」ブーム?
 ここ数年、「民主主義」という言葉を冠した本が数多く出版されています。その内容は民主主義を擁護するものから批判するものまでヴァラエティに富んでいます。同じ立場に立つものであっても、切り口やアプローチはさまざまです。しかも著者を見ると、狭義の政治学者だけでなく、いわゆる文化人と呼ばれるような人たちも民主主義について一家言があるようです。出版業界ではいま民主主義がブームになっているように見えます。
 また、民主主義ブームは本の世界にとどまりません。最近も安倍元首相銃撃事件に際して、「民主主義に対する挑戦」というフレーズがしきりに使われました。このことから窺えるのは、「民主主義」という言葉が一般にも認知されているということ、そしてそれだけでなく、「民主主義は大事だ」という認識も広く共有されているということです。むろん政治思想は民主主義だけではありません。「○○主義」と名の付くものだけでも、自由主義、共和主義、社会主義、保守主義、全体主義、無政府主義など、いろいろなものがあります。にもかかわらず、ほとんど「民主主義」だけが日本のお茶の間にまで浸透するような格別の地位を占めているのです。
 しかしながら、政治学者、なかんずく政治思想史研究者として断っておかなければならないことがあります。それは「民主主義は万能薬ではない」ということです。民主主義の基本は言うまでもなく「みんなで決める」ということにありますが、「みんなで決める」ということが時として、みんなのためにならない、、、、結果をもたらすこともあるのです。
「民主主義は大事だ」という認識をみんなが持っていることは大変望ましいことです。しかし、その「根拠」もあわせて考えることが重要です。そして民主主義の重要性を知ると同時に、その問題点も押さえておく必要があります。これらのことが民主主義に対する深い理解につながり、また民主主義を実際に守っていくことにもつながるのです。空気のように当たり前に存在する身近なものだからこそ、そのかけがえのなさを知るためにも、あえて一度距離を取ってみるというのも一つの手でしょう。タイトルにもある「民主主義を疑ってみる」という言葉はそのような作業を意図しています。

†「選挙は大事」というけれど……
 反対に、これといった根拠もなく、ただなんとなく、、、、、「民主主義は大事だ」と思っている状態は危険、、であるとすら言えます。
 例えば、「政治的無関心」の問題は政治学科の学生の間でもしばしば話題に上ります。実際、筆者が大学教員として学生と接するなかで、多くの若者が「選挙に行くことは大事だ」という意識を持っていると感じます。これは政治に積極的に関心を持っている学生だけでなく、なんとなく政治学科に進んだという学生に関しても言えます。なかには「投票を義務化すべきだ(投票に行かない人に罰金を科すべきだ)」という意見に接することもあります。
 ですが一方で、「みんなが政治学を勉強すべきだ」という意見を耳にすることはほとんどありません。むしろどちらかといえば、「国民全員が政治学を学ぶことは現実的ではない」という声のほうが聞こえてきます。しかし実際には、少なくともほんの一昔前まで、世界はそのような方向に向かっていました。2002年、イギリスでは労働党政権の下、政治リテラシーの涵養を目的とした「シティズンシップ」という科目が、中等教育段階の必修科目として導入されることになります(梅澤 2020,516頁)。この動きは世界中に波及し、日本でも一部の自治体で「市民科」という科目を採り入れる試みがなされました。つまり大学で政治学科を選んだ一部の国民だけでなく、全国民が一定の政治リテラシーを身につけるべきだという理念が実現に向けて動き出したのです。
 しかし、このような流れは現在勢いを失いつつあります。2011年には保守党政権の下、イギリスではシティズンシップ教育が必修科目から外されました。日本においても政治教育の必修化を求める声が政治学者以外から上がることは稀です。その一方で、「ポピュリズム」なる現象が世界各地で見られるようになっています。アメリカ合衆国の第16代大統領であるエイブラハム・リンカンの有名な言葉に「人民の人民による人民のための統治」というものがありますが、「人民による」政治的判断が、「人民のため」にならない、、、、政治的帰結を引き起こしていると言えます。
 この「人民による(by the people)」と「人民のための(for the people)」をつなぐ役割を果たすのが政治リテラシーです。投票率を上げたり、選挙権年齢を下げて票の母数、ないし国民全体に対する有権者の割合を増やしたりすることが問題の解決につながるとは限りません。票のだけでなくも重要なのです。本書は投票を含む政治的判断の際の「判断材料」を増やすという意味で、とりわけ「政治思想」に関するリテラシーの向上を目指しています。

†政治「思想」の重要性
 ではなぜ政治「思想」を学ぶことが重要なのでしょうか。今日「思想」という言葉が想起させるのは、まずもって「机上の空論」というネガティヴなイメージでしょう。そこに「頭でっかちな学者の考えた」という形容句を付けたくなる人もいるかもしれません。あるいは「イデオロギー」という言葉に関連づけて、「偏った考え方」と理解している人もいると思います。いずれにしても、「政治思想」なるものに良いイメージを持っている人はあまり多くないのではないか、というのが思想史研究に長く携わってきた筆者の所感です。
 しかしながら、政治思想史に疎い人ほど過去の思想家が練り上げた政治思想の影響下にあることが、実際に政治思想史という学問分野を研究していると分かってきます(堤林 2016,24頁参照)。人間は真空状態に生まれ落ち、誰にも頼ることなく、ゼロから思考を組み立てるわけではありません。人間が生まれ落ちるのは、多種多様な「政治思想」(ここでは「政治に関する体系的な考え」とゆるく定義しておきましょう)が渦巻く混沌とした世界です。生まれ落ちる時代や場所によって、どの政治思想が優勢でどの政治思想がそうではないかに差があります。そしてどの政治思想を大切にしてどの政治思想を蔑ろにするかの選択によって、将来の政治のあり方というものも変わってきます。
 かつて戦後日本を代表する政治学者の丸山眞男(1914-96)は、ビスマルクの言葉を引いて、政治を「可能性の技術」として捉えました(丸山 2014,357-8頁)。つまり現実を可能性の束として捉えたうえで、どの可能性を伸ばし、どの可能性を抑えていくかという観点に、政治的な思考法の重要な契機を見いだしたのです。本書においてはこの「可能性」という言葉を「政治思想」と重ねて考えてみたいと思います。例えば先述した内容に関連づけて言うと、仮に票のを重視するのが「民主主義」、票のを重視するのが「共和主義」と考えたときに、現段階においてはどちらを選びとるべきか、ということです。この例に関しては両者は必ずしもトレードオフの関係にあるわけではありませんが、異なる政治思想どうしが対立するような状況も少なくありません。
 そのとき人は政治的選択を迫られることになります。選択に際して、それぞれの政治思想が何を意味し、どのような重要性と問題点を有するのか、どのような場合にどの政治思想とどの政治思想が対立することになるのか、どの政治思想を支持すること(あるいは廃棄すること)がどのような世界を招来しうるのか、といったことを知っておくに越したことはないでしょう。そこで本書は民主主義、自由主義、共和主義、社会主義の4つの政治思想の、とりわけ現代の日本に関係が深いと思われる側面に注目しつつ、話を進めていきたいと思います。
 これらの4つは反発し合う部分もあれば重なり合う部分もある、という関係にあります。にもかかわらず、これらの4つがそれぞれある程度独立した体系的な政治思想をなしています。このように民主主義だけでなく、それ以外の政治思想もあわせて見ることによって、民主主義の意義と限界について考え、その欠点を補完する方法を模索していきましょう。

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