ちくま文庫

戦前庶民文化史の名ガイド

岩瀬彰さんの『「月給100円サラリーマン」の時代』を高く評価してくださっている庶民文化史研究家(?)のパオロ・マッツァリーノ氏が寄せた解説を掲載。本書を読めば、戦前を舞台にしたフィクションがどれだけおもしろくなるか、を鮮やかに示してくれます!

 NHKのいわゆる朝ドラは、戦前から戦後にかけての話を描くことが多いのですが、なんだかうっすら気持ち悪いんです。戦前を模したセットのなかで、戦前を模した服を着た役者たちが芝居をするのですが、登場人物の倫理観や言動はまるっきり現代人のもの。外見だけ時代考証されてるけど、戦後生まれの脚本家と演出家が、現代人が共感・尊敬できる理想像をキャラに投影しているので、人工的に合成された歴史のニオイが漂ってきます。
 などとエラそうなことを申しておりますが、私はまだ四〇代です。当然、戦前の日本人や日本社会をこの目で見たわけではありません。でも私は史料をもとに、日本の近現代庶民文化史を研究してきました。戦前の新聞雑誌などもかなり読みました。むかしの新聞の投書欄を読めば、当時の庶民がどんな不満や主義主張を持っていたか、その生の声を活字から聞くこともできます。
 史料から客観的な戦前日本人像を探求してる私からすると、日本人の心情や行動が戦前・戦後で変化したというのは、誤った歴史認識だと断言できます。変わったのは政治や社会の大枠だけ。日本人そのものは、少なくともこの一〇〇年くらい、基本的に変わってません。その証拠に、いま起きている社会問題のほとんどは、多少カタチは変われども、戦前にも起きていたんです。
 たとえば、電車で化粧をする女性の増加が最初に問題視されたのは、大正時代のことでした。ちかごろ、振り込め詐欺、オレオレ詐欺のニュースを聞かない日はありませんけど、戦前昭和の詐欺被害認知件数は、いまの一〇倍以上もありました。戦前の新聞にも、電話を使って金品をだまし取る手口の犯行が報じられてます。
 こういった小さな歴史的事実を収集するにつけ、ああ、人間って変わらないのだな、という思いを強くします。むかしの人もいまの人と同じように、他人のマナー違反に腹を立てたり、カネをダマし取られてへこんだりしてました。過去の日本人に親近感が湧いてきませんか。
 なのに近現代の庶民文化史という分野は、まあー、気が遠くなるくらい人気がありません。歴史に興味があると公言する日本人は少なくないけど、彼らのほとんどは戦国武将か幕末の志士か太平洋戦争、このどれかのファンだと思ってまちがいない。歴史の本の売れ筋もそのあたりのものばかりです。
 戦前の庶民文化、庶民生活がテーマの『「月給100円サラリーマン」の時代』という本も、もともとは新書という買いやすく読みやすい形態で発売され、これ一冊で戦前庶民文化を概観できてしまう名著でありながら、正当に評価されませんでした。長いこと増刷もされず品切れ状態が続いていたのです。
 私もじつは、この本をはじめて手にしたのは図書館でした。第一章を読み終わらないうちに購入を決定。帰りに書店に寄るものの、すでにそのとき新品は品切れで、古本屋をはしごして入手しました。なので私が払ったお金は、著者の岩瀬さんには印税として一円も渡ってないことになります。すみません。
 でもおもしろい本が無視されているのは他人事ながら悔しくて、ことあるごとにこの本をブックガイドや、自著の参考文献でおすすめしてきました。それが筑摩書房の編集者の目に留まり、このたびめでたく、ちくま文庫の一冊として復刊の運びとなったわけです。
本書は「お金」という身近で具体的な切り口から、戦前庶民文化の実像に迫っています。お金の価値はつねに変動するので、とてもイメージがつかみにくい。昭和初期といまとでは、貨幣価値がおよそ二〇〇〇倍違うという目安を知るだけでも、戦前庶民生活を理解するための大きな手がかりとなります。
 今回私は、本書が戦前庶民文化史のガイドブックとしてどれほど役に立つかを検証してみました。岩瀬さんも本書冒頭で言及してますが、昭和四年生まれの向田邦子が当然のこととして書いてるディテールが、現代のわれわれにはピンとこないんです。私は小説もドラマも未見だったので、この機会に一九八〇年にNHKで放送された向田邦子脚本によるドラマ『あ・うん』を観てみることにしました。
 ドラマは昭和一〇年、四国に赴任していたサラリーマンの水田(フランキー堺)が東京本社に栄転になり、一家で上京するところからはじまります。鋳物工場の社長である門倉(杉浦直樹)は、親友の水田のために、芝白金に借家と仮の家財一式を手配しておきます。
 その借家の家賃が三〇円。本書が示す目安どおり二〇〇〇倍していまの価値にすると六万円。安っ。シロガネーゼで有名なあの白金ですよ。いまや東京でもっとも所得が高い人たちが住むといわれる町。賃貸一戸建ての家賃は、三〇万から一三〇万円だそうです。
本書を読んだかたなら、戦前昭和で三〇円の家賃は平均的な金額で、大手企業の管理職サラリーマンなら払えた額だとわかります。ほら、たったこれだけの知識でも、ドラマの世界をより深く理解できるのです。知らなければ、もやもやしたまま鑑賞することになります。
 第三話では、水田の部下が会社のカネを使い込んでいたことが発覚。その額が五〇〇〇円。いまのお金で一〇〇〇万円。かなりの額ですね。上司として管理責任を問われるだろうと悩む水田に、門倉はこれで穴埋めしろと、ぽんと五〇〇〇円を貸すのです。
この場面も、五〇〇〇円の価値がわからないと、彼らの友情の固さを正しくイメージできないでしょう。親友のピンチとはいえそんな大金を出せるのは、当時の工場が軍需景気でうるおっていたからです。が、そのとき門倉の工場はすでに傾いていて、まもなく倒産してしまいます。
 しかし第四話では何事もなかったかのように、会社を再建し、元の生活を取り戻しています。現代人の感覚だと「なんで?」と、ご都合主義的展開にぽかんとしますけど、戦前の資本家は人脈さえあれば、わりとたやすくやり直せたようです。何度も会社を潰しては再建し、みたいなことをやってた人がけっこういたので、荒唐無稽な展開ってわけでもないんです。
 水田の年老いた父(志村喬)が山師という設定がまたシビれますね。過去に息子のカネに手をつけて大損したために、長男の義務として同居・扶養するものの、水田は一切、父と口をききません。なのに老父はまだ懲りず、悪い仲間とつるんで一攫千金を夢見ています。
 最近作られた昭和ノスタルジードラマや映画には、ダメなオトナや、社会からはみ出した人が出てきません。むかしの日本人はみんな勤勉で前向きで、父祖はみんな立派だったという幻想を信じてるスタッフが、幻想を求める観客に向けて作っているからです。
現実には戦前にもダメな人やダメな親はたくさんいました。『「月給100円サラリーマン」の時代』がもうひとつ好ましいのは、守銭奴のような小役人やしょうもない大学生や娼妓など、社会の主流からちょっとはみ出した人にもスポットをあてているところです。
ちなみにですが『あ・うん』は演出の深町幸男、主演のフランキー堺、杉浦直樹も向田とほぼ同い年。少年少女時代に戦前の社会と人間を見ている人たちにとっては、ダメな父親の存在に抵抗がなかったのでしょう。それどころか、死ぬまで山師の夢を追っていたダメ老父を否定しないまなざしすら感じられます。
 さて、他にも言及したいところはたくさんありますが、全部私がしゃべってしまうと読者のみなさんの興を削ぐことになります。ぜひみなさんも、まずは本書を一読した上で、むかしのドラマや映画を鑑賞してみてはいかがでしょうか。予備知識があれば、これまで見過ごしていたディテールにも気づくはず。そして、ひとりでも多くのかたが、庶民文化史のおもしろさに気づいてくれることを願ってます。

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