PR誌「ちくま」特別寄稿エッセイ

ラジオの新たな楽しみ方

3月刊『深夜のラジオっ子』(村上謙三久著)の新刊紹介エッセイを公開します。 ご自身をラジオ番組をやられていた加藤千恵さんのラジオ愛あふれる文章ですので、ご覧くださいませ。

藤井青銅、田家秀樹、鶴間政行、石川昭人、伊福部崇、大村綾人、長田宏、奥田泰、辻村明日香、チェ・ひろし。
 並んだ人名を見て、一人も知らないなあと思う人がいる一方、思わず声をあげて反応しそうになる人もいるのではないだろうか。わたしは完全に後者で、全員ではないが、彼らの名前を何度となく耳にしてきた。なので目次を読んだだけで、早くページをめくらなくては、と焦ってしまったほどだ。
 彼らの共通点は、構成作家であるということ。中には、構成作家というより放送作家と言われるほうがしっくりくると話している人もいるのだが、この本に従い、構成作家という呼び名で統一したいと思う。
 そしてさらなる共通点として、彼らはいずれも深夜ラジオで活躍している。オールナイトニッポンや、JUNKなど、ラジオを聴いたことのない人でも耳にしたことのあるような有名番組に関わってきた、あるいは現在進行形で関わっている人たちだ。
 ここから個人的な話になってしまうのだが、わたしは中学時代から深夜ラジオが好きで、離れていた時期もあるものの、いまだにいくつかの番組を聴いている。夜の時間を持て余しているというだけなら、テレビも漫画も音楽もふさわしいし、今なら動画サイトや配信ドラマなど、いくらだって選択肢はある。それでもついラジオを選んでしまうのは、そこに特別な親密性を感じているからだ。この夜の中で起きているのは、パーソナリティーと自分、そして番組への投稿者たちだけではないのかという感覚。もちろんそれが錯覚だというのはとうに知っているはずなのに、いまだにどこかで、電波に乗っている言葉は、自分に向けられた言葉であるような気持ちを拭いきれない。
 しかし、そんなふうにラジオに馴染み、パーソナリティーが番組中で構成作家の名前を口にしたりしているのを聞いていても、構成作家というのがどういう仕事であるのか、今ひとつわかっていなかった。数年前に小説家の朝井リョウさんと、一年間、深夜ラジオをやらせていただくという機会に恵まれたのだが、そこで初めて、構成作家の人とともに仕事をし(ちなみにこの本にも登場する奥田泰さんとチェ・ひろしさんである)、ようやくざっくりとつかめた気がしていたくらいだ。大まかに言ってしまえば進行台本を書いたり、リスナーからの投稿メールをチェックしたりといったことだが、ただ、この本を読んでいると、自分が見ていたものはほんの一部であって、番組によっても大きく異なることがわかってくる。
 ラジオ好きであるわたしが言っても説得力に欠けるかもしれないが、読み進むうちに、ラジオというフィルターをなしにしても、相当おもしろいインタビュー集なのではないかと感じた。インタビュー前半ではたいてい、彼らの学生時代、ラジオとの出会い、構成作家になっていくというくだりが紹介されているのだが、なり方が本当にさまざまで、どれもドラマになりそうなほどおもしろいエピソードばかりだ。
 また、同じ職業についていても、ラジオやパーソナリティーに対する思いが、大きく異なっているのだということに驚いてしまうし、人によって違う答えのいずれもが正解なのだと気づかされる。どのページをめくってみても、軽い語り口の中に、真摯さが透けて見える。
 さらに、時おり挟まれるコラムも、短いものでありながら、深夜ラジオの変遷や現在の状況がわかりやすく伝わるようになっていて、かつて聴いていた番組を懐かしく思い出したり、知らなかったエピソードに触れることができる。
 時おりこぼれる笑い声を聴いたりはするものの、普段あまり表に出ない存在である構成作家の人たちに思いを馳せながら、深夜にラジオに耳を傾けるというのも、また新たな楽しみ方なのかもしれない。