音楽史年表や大作曲家リストを眺めていて、すぐに気付くことがある。一八一〇年前後に大作曲家たちが集中して生まれていることだ。
フェリックス・メンデルスゾーン(一八〇九~四七)、フレデリック・ショパン(一八一〇~四九)、ロベルト・シューマン(一八一〇~五六)、フランツ・リスト(一八一一~八六)、リヒャルト・ワーグナー(一八一三~八三)の五人だ。
本書は一八一〇年前後に相次いで生まれた大作曲家たちを、その「交友」に焦点をあてて描くものだ。
音楽史において一八一〇年前後に生まれた大作曲家が多いのは偶然なのだろうか。話は逆で、一八一〇年前後に生まれた彼らの「サークルの歴史」が「世界音楽史」になったのではないだろうか。
歴史は勝者側に立って記されていく。それは音楽史においても同じだ。同時代、無数の音楽家がいて膨大な作品が作られたはずだが、その多くは忘れられている。日本史において、何百人もいた戦国武将のなかで、語り継がれ小説やドラマの主人公になるのが信長・秀吉・家康の勝者ラインなのと同じように、メンデルスゾーン、ショパン、シューマン、リスト、ワーグナーの緩いサークルが勝者となったので、彼らの歴史が音楽史になったと考えたほうがいいのではないか。
では、なぜこの一八一〇年前後に生まれた一群の音楽家が勝者となったのか。そもそも、同世代とはいえ、生まれた国が違うのに彼らはどうやって知り合いになったのか。
本書はそんな疑問を出発点として、フィクションではないが、「物語」として十九世紀前半、とくに一八三〇年代を描いていく。
それぞれの音楽家たちには何冊もの評伝がある。それらは当然「単線」である。だが五つの糸を俯瞰して眺めると、けっこう絡み合っていることが分かる。たとえば同年代だから当然ではあるが、彼らが生涯のパートナーと恋に落ちるのはほぼ同時期だ。偶然なのか、競争心からだったのか。
その恋の相手も、クララ・ヴィーク、ジョルジュ・サンド、マリー・ダグーなど、有名人が多い。女性の社会進出がこの時代にかなり進んでいることが分かる。なかでも藝術・文藝の世界は女性の進出が早いのだ。とくに音楽家でもあるクララ・ヴィークはこの本の六人目の主人公となる。
彼らの前のバッハから、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトに至る世代は、みな父が音楽家で、生まれたときから父に音楽を叩き込まれて育った。しかし、ここに挙げたロマン派の音楽家たちの親はプロの音楽家ではない。メンデルスゾーンの父は銀行経営者、ショパンの父は高校のフランス語教師、シューマンの父は出版社経営者、リストの父はチェロやピアノを弾くアマチュア音楽家ではあったが職業としては大貴族の使用人、ワーグナーの父は警察署の事務官だ。
彼らが生まれる前の時代、音楽家の社会的身分は低かった。貴族のなかには自分で演奏し、作曲もする者もいたが、それは趣味としてで、職業としてではない。音楽家という職業は、わざわざ他の職業の家の子が自分の意思でなるようなものではなかった。
そんな音楽家の地位を劇的に変えて、社会から尊敬される偉大な存在にしたのがベートーヴェンだった。ロマン派たちが生まれたのは、ベートーヴェンが音楽を藝術へと高め、音楽家の地位も高めた頃だ。ベートーヴェン自身には子がいなかったが、ロマン派の音楽家たちはいまでいう「ベートーヴェン・チルドレン」だった。
彼らがベートーヴェンの音楽と出会ったことで、ロマン派音楽は始まるのだ。