ちくまプリマー新書

「ひとりひとり違う」ということ

香山リカ『「いじめ」や「差別」をなくすためにできること』「はじめに」より

 私の仕事は「精神科医」です。医学部を出て、医師免許を取得し、自分の専門を選ぶときに「精神科」を選んだ人が精神科医となります。だから、持っている資格としては、内科医や外科医などと同じです。

 我ながら、精神科医の仕事は「ちょっと不思議だな」と思います。 たとえば、診察室にやって来た患者さんの病名を決めていく(診断と言います)やり方も、内科医などとは少し違います。「からだがだるくて」という人が内科にやって来たら、内科医はまず「いつからですか?」「『だるい』というのはどのくらいですか? 起き上がれないくらい? それとも会社には行けるけどいつもと違う、という程度ですか?」などとことばによる質問(問診)を行うでしょう。そして、「ではちょっと口をあけて」と喉の奥が赤く腫れていないかを確かめたり、聴診器を胸にあてて呼吸の音を聴いたりするかもしれません。これは「視診」「聴診」です。さらに、「おなかは張ってないですか」と患者さんに横になってもらい、手でおなかを触ってみる、「触診」を行うこともあるでしょう。

 それでも診断がつかない場合、次に行うのは「検査」です。体温計で熱を測ったり、鼻に綿棒のようなものを入れて粘膜を採ったり、注射器を腕に刺して血を抜いたり、胸のレントゲンを撮ったり、といったいろいろな検査を受けた経験をしたことがある人もいるはずです。内科医はそういった検査の結果(数字や画像)を見て、それまでの「問診」「聴診」「視診」「触診」の結果とあわせて考えながら、「そうですね……。肺炎ではないしインフルエンザの検査結果も陰性、でも熱は三八・五度とずいぶん高いですね。いわゆる風邪と診断されますが、軽症ではないので薬を飲んで今週は学校も休んでください」と診断と治療方針を伝えます。

 それに比べると、精神科の診察と診断はずいぶん違います。「聴診」「触診」などはほとんどしません。「検査」も行うことはありますが、それだけで診断がつくことはまずないのです。

 では、精神科ではどうやって診察を進めると思いますか。

 それは、最初の「問診」の部分をていねいに行うことによってです。精神科ではとにかく、「どんなふうに調子が悪いのですか」「それはいつからかわかりますか」「何か思いあたるようなきっかけはあるでしょうか」と細かく質問してそれにこたえてもらったり、患者さんが「実は……悩みごとがあるのです」などと言うときは「わかりました。どうぞお話ください」と自分のことばでゆっくり話してもらったり、「ことば」を大切にするのです。もちろん、話し出したとたん、泣いてしまって話せなくなる人もいますが、「ことばが出てこない」というのもある意味で大切な「ことば」だと思うので、そこで「どうしたのですか? 早く話してくださいよ。黙っていてはわからないですよ」
などとは言いません。

 そうやってじっくり話を聴いて、うつ病、パニック障害、過食症・拒食症、トラウマ後遺症といった診断をつけていくのですが、診断の名前よりも大事なのは、その人が「つらい、生きづらい」と感じていることだ、と私は思っています。だから、ときにはその診断の名前よりも「どうしてそうなったのか」のほうに話をしぼり、いっしょに解決のために何をすればいいのか、考えることも少なくありません。

 そこで気づくことがあります。そのひとつは、「みんな、本当に違う人間なんだな」ということです。

 これまで診察室で何千人もの人に会ってきましたが、「この人たちはまったく同じだ」という人は、誰ひとりとしていませんでした。

 同じ地域に住んでいても、同じ学校に通っていても、同じ災害を経験しても、考え方やとらえ方はひとりひとりまったく違います。もちろん、好ききらい、得意や不得意、性格などは親子やきょうだいであっても驚くほど違うのです。

 そして、もうひとつ気づくことがあります。それは、患者さんたちと「どうしてそうなったのか」と考えていく中で、その「ひとりひとりがまったく違う」ということを誰かに責められたりバカにされたり、ときには攻撃されたりして傷ついている人が少なくない、という悲しい事実です。そして、そういう人たちは最近、増えてきています。

 その「違い」の多くは、その人のせいでもないし、悪いことでもありません。それなのに、「違い」が攻撃される。その人たちには「これは、まったくあなたのせいじゃないですよ」と言って、いっしょにため息をついてしまいます。

 その人の考え方がマイナス思考だからではない。その人の性格が弱いからでもない。その人が努力をしなかったからでもない。そんなケースです。

 ではなぜ、本人には何の責任もない、あたりまえの「違い」を誰かから批判されたり攻撃されたりして、多くの人が「生きづらい」と感じなければならない状態になっているのでしょう。

 この、「『違い』を攻撃されること」は、差別やいじめ、ハラスメント(いやがらせ)と呼ばれています。

 この本では、なぜそんなことが起きるのか、どうすればそれを解決できるのかについて、いっしょに考えてみたいと思います。

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