池上彰さんと言えば「週刊こどもニュース」。子ども向けといいながら、その実、大人の視聴者も多かった番組です。と同時に、放送業界内視聴率がとても高い番組でもありました。テレビというのは時間が限られています。ほんの数分で、ニュースのエッセンスをわかりやすく正確に伝えなくてはなりません。視聴率競争もあります。なんだかこむずかしいと思われたらもうおしまい。チャンネルを変えられてしまうかもしれません。さあ、どうしましょう。ワイドショーの司会をしていた頃などは随分と参考にさせていただきました。ややこしい話をフリップで説明をしたり、スタジオに招いた専門家にコメントを求めたりするとき、幾度となく池上さんのお顔が浮かんだものです。
池上さんがNHKを退職なさってからは、御本にお世話になっています。本棚の一番手に取りやすいところにズラリと並べて、なにか調べものをする時にはまず池上さんの本をめくり、あたりをつけてから本屋へ行くなりインターネットで調べるなりします。まさに池上さんの本は情報の雑踏に足を踏み入れるための地図なのです。知らない町の駅に降り立って、さあどっちへ行くか、まずは広げてみるのです。立て続けに起きた在日米兵の犯罪のニュースの時には米軍との地位協定に関する一文を読み、チベット騒乱のニュースの時にも、青蔵鉄道開通と中国によるチベット支配の関連についての記事を発見。もうなんだって池上さんに聞け! ってなものですね。
そうしたいくつもの文章を通して池上さんが読者に伝え続けているのは、自分の中でしっかりとニュースの内容を咀嚼しなければ、それを自分の判断に資することは出来ないということ。子どものように素朴な疑問をもつことと、不勉強の無知からくる疑問は、似ているようで違うこと。ほんとうに大切なのは、「何を知っているか」ではなく、「何を知らないのか」だということです。『「見えざる手」が経済を動かす』は、経済の入門書の入門書、まさに基礎の基礎です。〈経済学とは、決して金もうけの方法を勉強するものではありません。〉〈経済学とは、実は、「資源の最適配分」を考える学問なのです。〉〈地球上の資源は限られます。限られた資源を、最適に配分することを考える学問です。〉〈経済における自由な「投票」とは、何か。それは、私たちが「いい商品」を選んで買うことです。〉〈経済学とは、「見えざる手」を見えるようにしようとする学問です。〉〈賢い消費者になって一票を行使することで、私たちは「見えざる手」が見えないまま、「見えざる手」を利用することはできるのです。〉
先頃「サブプライムローン問題」がニュースになったときのこと。とんでもなく経済音痴のわたしにはどうにも腑に落ちず、ある識者に訊ねてみました。「金融工学とかリスクの分散とかいろいろ言いますが、そもそも経済力の弱い人に高い金利で住宅ローンを組ませれば、あっちこっちで焦げ付くに決まってませんか?」答えは。「証券化して分割し、安全な証券と組み合わせることでリスクを減らせるし、いよいよとなったら担保の住宅を取り上げれば大方回収できるという考え方だったんだねぇ。」んー……。テレビの画面には、能力以上のローンを組んで、挙げ句差し押さえられた夢のマイホームから、文字通りたたき出されている人の映像が流れていました。
「経済」は難しい。どんな複雑な計算が成り立っているのか、考えの及びもつかない。その上、なんと冷たいことよと、そんな苦手意識をまたまた強くしてしまいました。が、『「見えざる手」が経済を動かす』を読んで、ちょっと待てよ。「見えざる手」から目を背けるより、「見えざる手」のもとで少しでも賢く生きることが大事。「だからまず、これだけはわかっておくんだよ」。そして、「始めはここから見渡してごらん」と励まされるような気がしました。「こどもニュース」のおとうさんの声が聞こえるようです。この本を地図にして、やっかいな経済学という迷路に、ちょっと足を踏み入れてみようかと、恥ずかしながらこの歳で、やっと腰を浮かせたところなのです。