ちくま文庫

つげ義春の毒に酔う

「ねじ式」を初めて読んだときの衝撃は忘れられません。『つげ義春作品集』(青林堂、一九六九年)での出会いでした。大判の段ボールの箱に、淫祠邪教のお札みたいに真っ赤な紙きれでタイトルを貼りつけただけのその本は、書店の棚のなかで、ひときわ俗悪で挑発的な異彩を放っていました。三度のメシより「前衛」が好きだった中学三年生はそれを手に取らずにはおれず、値段が高かったので買うのをためらい、何度も同じ自由が丘の本屋に足を運んで中身を覗いたあげく、結局買ったのでした。一読三嘆、不気味で懐かしい「ねじ式」の悪夢は、私にとって、当時夢中になっていたブニュエルの映画にも匹敵する純日本製シュルレアリスムの極致でした。
 マンガにせよ映画にせよ音楽にせよ、リアルタイムで受容することは貴重な体験ですが、逆にそれを特権化して排他的な愛玩に陥りがちなことも事実です。とくにつげ義春の場合など、一九六〇年代末期の混沌とした政治的・文化的沸騰の記憶と結びついて、妙なカルト化の傾向がないとはいえないでしょう。
 しかし、手軽な文庫版の「つげ義春コレクション」で虚心に彼の作品を読みかえしてみると、たしかに「ねじ式」は著者の最高の一作ではあるけれど、それよりはるかに深く、広い、この稀有の作家のスケールが浮かびあがってきます。また、このコレクションは、「ねじ式」を筆頭とする〈夢〉もの、「義男の青春」など苦い味わいの〈自伝〉もの、「海辺の叙景」や「李さん一家」といった〈六〇年代後半「ガロ」〉に発表された傑作群、「無能の人」に代表される〈八〇年代私マンガ〉、「紅い花」など温泉や田舎宿を舞台にした〈旅〉もの、〈貸本時代〉の初期作品、〈イラストとエッセー〉という具合に、テーマ別の編集になっているので、著者の多彩な作風がくっきりと浮き彫りになる利点があります。
 一方、そうした作家の世界の空間的広がりとは別に、つげ義春というマンガ家のもつ時間的意味もまた、いまこそ明らかになってくるような気がします。手塚治虫とともに始まった戦後日本マンガ史にとって、つげ義春の出現は、十九世紀文学全体にたいしてボードレールの『悪の華』がもったような意味をもつといえるかもしれません。つまり、ヴィクトル・ユゴーが『悪の華』を評していった、「新たな戦慄」の創造ということです。
 手塚治虫中心のマンガ史にたいして、例えば白土三平も大友克洋も新たな手法と世界とを開拓しましたが、つげ義春のように「新たな戦慄」ともいうべき本質的な差異はもたらしていません。つげ義春がさしだしたのは、新たな描線でも新たな物語の語り方でもなく、新たな世界解釈でもありません。彼は、解釈可能な世界に解釈不可能な存在感覚をそっと導きいれ、読者の背筋に戦慄を注ぎこんだのです。それはボードレール流にいうなら「悪」であり、別のいい方をするなら「毒」です。強い毒は人を殺しますが、適度な毒は人に甘美なしびれと戦慄をあたえ、何度でも味わいたくなる中毒にさせるのです。
 その毒の温床としてボードレールは反時代的なカトリック信仰を必要としましたが、つげ義春は日本の前近代的な土俗信仰を毒の重要な依りしろとしました。山奥の温泉や沼地や荒涼とした海浜で、時代からとり残されてなお隠微に息づくアニミズム的な世界。近代的な価値観に絡めとられた戦後の日本人にとって、つげ義春の描く退行的な世界は、悪であり、毒であると同時に、快いしびれと戦慄をもたらしてくれる源泉でもあるのです。
 その意味で、つげ義春のマンガが醇乎たる「毒」を分泌しはじめた最初の作品は、一九六六年に「ガロ」に発表された「沼」でしょう。山奥に暮らし、睡眠中に蛇に首を絞められ、その息苦しさのさなかで「いっそ死んでしまいたいほどいい気持ち」を味わうガラスのように虚ろな目をした少女は、たしかにそれ以前の日本マンガには存在しない「新たな戦慄」を体現するヒロインでした。

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