ちくま文庫

『地図と領土』をめぐる若き現代写真家たちの挑戦

 僕は長らく編集の仕事にかかわっているが、同時に自ら写真集を発行したり、G/P Galleryを運営している。それは何よりも現代写真が「コンテンポラリーアート」という資本主義の運動性を最もヴィヴィッドに反映する、実に注目すべき分野だからだ。「現代写真」は速度が速い。それに対応した「批評」もまた、その有効性を鋭く問われることになる。僕が「現代写真」のあり方を考えるとき補助線とするものは、「批評」よりも、すぐれた小説家が「予見的」に著した「小説」であったりもする。例えば、リチャード・パワーズの『舞踏会へ向かう三人の農夫』やゼーバルトの『アウステルリッツ』。また日本の作家ならば、自らも写真を撮った、安部公房である。そして最近最も刺激的だったのがミシェル・ウエルベックの長編小説『地図と領土』だったのだ。
 あらためて言うまでもなく、ウエルベックこそ「現代小説」の急先鋒である。1998年の『素粒子』が出版され、すぐ読んだ時も描かれた風景が、ドイツのベッヒャー系の写真を思わせるなと、予感はあった。そしてこの近作『地図と領土』は、ジェド・マルタンという1976年生まれの「現代アーティスト」が70歳(2046年)で死ぬまでの物語を描きつつ、あからさまに「アートとしての現代写真」がクローズアップされた作品だったので、とても驚いた。ジェドは写真から始め、絵画へ回帰し、そして映像作家へとメディアアートをわたって行く。ウエルベックは、がん細胞のようなアート資本主義のシステムを描くだけでなく、どのようなコンセプト、方法論で作品をつくれば「価値生成」できるかを知っており、その理解は凡百の「批評家」をはるかにしのぐと思う。この小説にはいくつもの「写真」が登場する。かいつまんで言えば、ジェドが美大時代に祖父の遺品であるリンホフカメラで撮影した「工業製品」シリーズ、ミシュラン地図をスキャニングして、それをデジタルカメラで撮った作品シリーズ、写真をベースにいかに現代ポートレイト絵画をつくるか。そしてラストの方では、多重露光の独自のソフトを使った植物を素材とした映像作品もでてくる。
 ウエルベックの小説は、『素粒子』のときもそうだったが、ある種の「未来小説」として書かれているところが魅力だ。この『地図と領土』も分析でなく、すぐれた「予見」にみちている。またウエルベック自身が『ランサローテ島』などでも写真を発表していることもあり、この『地図と領土』を補助線として写真展を企画したいと考えた。
 僕が運営するG/P Galleryは、グローバルに活躍する作家を育成・プロモーションすることをミッションとするもので、「現代アートとしての写真家」がたくさん所属している。開廊し7周年を迎えたが、その間に国際的アートフェアで闘えるアーティストたちを育成することに成功しつつあった。そのプロジェクトの一つである「漂流」は、横田大輔、川島崇志、赤石隆明という30代前半の若手アーティスト・ユニットであり、なかでも横田大輔は、国内でこそ大きな賞をまだ獲っていないが、海外ではいくつも賞をとり、アムステルダムの現代写真美術館で個展も行うという俊英である。彼らのような才能ある「現代写真家」たちに、予見に満ちたウエルベックの『地図と領土』を読ませ、新作を作ったらどんなことになるのだろう? その成果が2014年9月にG/P+g3/galleryで開催された「漂流 on the flow──ミシェル・ウエルベック『地図と領土』と写真と──」展であった。赤石隆明は地図(フローチャート)を撮影し、アート作品をつくることを、横田大輔は、全てが溶解し合った廃墟のような巨大な出力による写真立体作品(Matter)を発表。川島崇志は、この小説に出てくる写真の技法を全て試みその上で、ラストに出てくる「まだ存在しない」技法による作品をつくることに挑戦した(その作品が今回の文庫版の表紙を飾ることになった)。川島は、タブッキやゼーバルトらのような断片的な物語を駆使する小説手法にインスパイアされた写真作家であり、ちょうど3・11東日本大震災というカタストロフを契機とするシリーズを制作中であった。川島はウエルベックにより提起された技法を使い自らの作品をつくった。
 代官山フォトフェアで行ったシンポジウムに訳者・野崎歓氏をおまねきし、本展の内容を各アーティストが説明した時に、野崎氏がとても驚かれていたのが今も忘れられない。
 ともあれ、「来るべき写真」について、チャンスがあればウエルベック氏本人と語り合ってみたいと願っている。

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