ちくま新書

路上と待機部屋
ちくま新書『性風俗のいびつな現場』

 正直に告白すると、編集者からこの原稿の依頼が来たとき、ちょっと迷った。

「性風俗」の「いびつな現場」について書いた本を評してくれと言う。そこには「福祉をとりながら性風俗で働く女性」などが出てくるのだと言う。「湯浅様が関わってこられた問題と異なる領域でございますが」と〝注意書き〟まで書いてある。不勉強にして、著者の方を存じ上げてもいない。率直に言って、あまり気乗りしなかった。

 しかし、読んでみると違った。きわめてまっとうな社会学的考察に基づいて、きわめてまっとうな問題提起をしている本だった。内容から見ると『性風俗のいびつな現場』というタイトルのほうがミスリーディングであり、編集者は、自らハードルを高めて私に依頼してきたことになる。

 しかし、このミスリーディングなタイトルそれ自体が「性風俗といういびつな現場」の社会的布置を体現しているとも言える。「性風俗」を扱うからには、こうした潜入ルポ的なニュアンスを漂わせたタイトルをつけなければ、手に取ってもらえないという現実があることの反映だろう。その意味では「性風俗といういびつな社会的布置におかれた現場についての考察」をした本書がこのタイトルになるのは、社会のいびつさを正当に反映した結果であり、ミスリーディングではないと言うべきかもしれない。

 そして、そのいびつさを考察した著者は、性風俗の世界を「『居心地の良いグレーの世界』に保っていくこと」をゴールに設定する。「風俗を黙認ではなく『容認』=否定や禁止、排除や黙殺をせずにいったん受け入れた上で、福祉や社会とつながる方法を手探りで模索」していくこと。「健全化でも浄化でもない『社会化』だ」。そのためには「夜の世界のソーシャルワーカー」を増やす必要があり、風俗業界はそれに対して開かれる必要がある。両者は敵同士ではなく「同じインクルージョンという名の母から生まれ、エクスクルージョン(社会的排除)という名の共通の敵と闘っている、一卵性双生児なのだ」。ゆえに、著者は次の言葉で本書を締めくくる。

「風俗には、社会とつながる勇気を。/福祉には、風俗と共闘する勇気を」

 美しい結びだ。若干、スマホゲームのキャッチコピーのパロディのような印象も受けたけれども。

 そのゴールに向けた萌芽としての実践例が、風俗店の待機部屋で行われた生活・法律相談で、本書はその紹介に一章を割いている。妊婦・地雷・熟女と辺境の中の辺境を取り扱ってきた本書の中にいきなり友人の名前が出てきたのには面食らったが、展開される風景は、多くの心あるソーシャルワーカーの魂に訴えかけるものだ。

 私自身にとっては、その待機部屋が公園であり、路上だった。よく「この人たちは好きで路上にいるのか、強いられているのか」と聞かれたが、好きでやっている人もいれば、強いられている人もいる、強いられているが「好きでやっている」と強がる人もいれば、好きでやっているが「強いられているという答えを求められているんだろうな」と感づいてそう答える人もいる。その問いに意味があるとは思えなかった。必要なことは、出たければ脱却できるルートを構築する力を社会がつけることであり、その選択を行う力を本人がつけること、この二つの力づけ(エンパワメント)を同時並行で進めることであり、そのために自分に何ができるか、それを考え実行することだった。その意味で、著者の取組みを「湯浅様の関わってきた問題と異なる領域」とは私は感じない。

 著者が想定する「居心地の良いグレー」のあたりに答えがあることは間違いない。しかし、広範なグレーの領域のどのあたりに答えを創り出すか、その作業は容易ではないだろう。夜と昼、風俗と福祉の両言語を操る通訳たろうとする著者は、同時に両方から批判・非難されるリスクも抱えざるを得ない。簡単に理解されるくらいなら、そもそも社会的排除の領域にはなっていない。丁寧に慎重に、だが無理解を覚悟もし、友とする他ない。

 著者にはそれができるだろう。本書は関係者に対する敬意に満ちているからだ。私はそこに社会に対する著者の〝愛〟を感じる。――あ、言っちゃいけなかったかな。

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