七、八年前に公開された、小川洋子原作のフランス映画「薬指の標本」を観て驚いた。映像も演技もまさにフランス映画なのだが、物語は小川作品そのものだった。フランス語に翻訳され、映画化される。二度の大きな変化にもかかわらず、物語の骨格は微塵も揺らぐことがなかったのだ。
ところで、ここ十年間に刊行された小川の小説本の装幀を見ると、実に多様なイラストレーターやアーティストと組んでいる。絵でも、『ブラフマンの埋葬』では版画家の山本容子、『ミーナの行進』ではイラストレーターの寺田順三、『原稿零枚日記』では洋画家の小杉小二郎、『最果てアーケード』では絵本作家の酒井駒子と多彩だ。特筆すべきは、『猫を抱いて象と泳ぐ』では造形作家の前田昌良、『人質の朗読会』では彫刻家の土屋仁応、『ことり』ではアッサンブラージュの勝本みつると絵以外の作品を大胆に使用していることである。他の作家の場合、絵描きやデザイナーが決まっていることも多く、具体的なイメージを示すのを避けたい気持も強い。これに対して小川は、作品ごとにイメージが変わろうと構わないようだ。それよりも、それぞれの本で組んだアーティストの作品によって、物語が広がり変容していくことを楽しんでいるかのようである。
そういう小川が、川端康成、サリンジャー、村上春樹、ボリス・ヴィアン、内田百閒の謎をはらんだ小説をモチーフにした『注文の多い注文書』を企画した。そのコラボレーションの相手に選んだのがクラフト・エヴィング商會。「不思議の品賣ります」「ないもの、あります」という惹句を掲げるこのユニットに、物語の要となるモノを探し出して(創り出して)もらうのが狙いだったようだ。同商會は注文を受け、いかにも実在しているかのような「人体欠視症治療薬」、「バナナフィッシュ成熟判定ボード」、「体内植物標本箱」などを見せてくれた。そのモノたちは、言葉以上に雄弁に語りかけてくるのだった。
ところが、一筋縄ではいかない注文もある。とりわけ村上春樹の「貧乏な叔母さん」には困惑したようだ。探してほしいのが物ならぬ者=人間だったからだ。そこで、クラフト・エヴィング商會はモノを提示する代わりに、同商會の物語作家吉田篤弘が筆を執って、お話を付け加えた。こうして、村上、小川、吉田、小川という鮮やかな物語リレーが実現した。さらに終章「冥途の落丁」では、思いがけない実話が語られることで、内田百閒の世界に小川、吉田の表現が渾然一体となっていくのだった。
実は、この『注文の多い注文書』は、本を偏愛する人たち、物語に取り憑かれる人たちの物語でもある。川端以下五編の小説にインスパイアされた小川の物語では、本や小説や読書に関わるエピソードが重要な役割を果たしている。川端の研究家兼収集家の小父さん、J・D・サリンジャー読書クラブ、郵便配達夫だった祖父の蔵書、朗読する古本屋、『冥途』の初版本。
そうなのだ、この本(物語)は、五編の小説を出発点として、小川が読者をめぐる物語を加え、クラフト・エヴィング商會がビジュアルとお話を添えて、読者に手渡しているのだ。こういう連鎖がさらに続き、読者の中で物語が広がり変容していくことを、著者たちは楽しみにしているのだろう。
そういえば、『物語の役割』(ちくまプリマー新書)で小川が小説について語ったくだりが思い出される。
「小説を書いているときに、ときどき自分は人類、人間たちのいちばん後方を歩いているなという感触を持つことがあります。……作家という役割の人間は最後尾を歩いている。先を歩いている人たちが、人知れず落としていったもの、こぼれ落ちたもの、そんなものを拾い集めて、……でもそれが確かにこの世に存在したんだという印を残すために小説の形にしている。そういう気がします」