しかじかの作家の語彙辞典を編むということは、特にその作家が宮澤賢治のように、自然科学にも、宗教的な面にも造詣が深く、しかもみずから「心象スケッチ」と称する幻想的な詩や童話を多数遺した人である場合、途方もなく困難な仕事であることは、想像に難くない。
語彙辞典は、作家が書いた全作品(書簡等も含めて)の中の主要な語句のひとつひとつについて、解説・解明をしようというものであるが、おのおのの語句の意義として、国語辞典や百科事典に載っている解説を、並べ立ててみただけでは、全く用をなさない。その作家が、その語句を、どこで、どんな風に、どんな特殊な意味で使っているか。その点の解説・解明こそが求められているのである。
賢治の詩や童話では、作中の個々の事物は、現実のそれらを根底に持ちながらも、作中では心象スケッチの光暈によって包まれている。そこでは「汽車」が「巨きな水素のりんご」の中を駆けている(詩「青森挽歌」)のだ。
意図的か、誤ってか、日常の意味に反する用例もいろいろある。賢治の作中に出てくる鳥の名に例をとっていうと、「もず」「百舌」は、実はすべて「ムクドリ」のことだという。
賢治が書いていた当時と今日では、科学的知見にズレが出来てしまっている事柄も数多くある。童話「よだかの星」と詩「〔北上川は気をながしィ〕」では、よだか・かわせみ・はちすずめが、分類上異なった目・科に属しているにもかかわらず兄弟とされている。しかし、これは賢治の誤りではなく、当時の鳥類の分類では、いずれも「仏法僧科」に属していたことが、愛好家の努力で確かめられている。語彙辞典では、こういう事情についての説明も必要になってくるが、日進月歩の自然科学学説の現状を正しく追うと共に、賢治在世当時の状況をきちんと把握するのは、生易しいことではない。
賢治独特の造語とみられるものもある。この場合、その造語の由来についての考察が求められる。最も顕著な例は作品群の舞台をなす「イーハトーブ(ヴ・ボ・ヴォ)」だろう。詩稿の二箇所に出てくる「サキノハカ」は、造語か、あるいは何かに拠り所があるのか。
この度、原子朗氏の畢生の努力の結晶である賢治の語彙辞典が、内容と装幀を一新され、版元も変わって、筑摩書房から『定本 宮澤賢治語彙辞典』として刊行された。思えば最初の『宮澤賢治語彙辞典』(一九八九年)に始まって、『新 宮澤賢治語彙辞典』(一九九九年)、その改訂第二版(二〇〇〇年)と、着実に内容の整備と充実が図られてきた営為が、ここに一つの決着点を見出したわけである。原子朗氏のたゆみない改訂の努力と、この刊行に踏み切られた筑摩書房に(そして、多数の協力者各位に)、心からの敬意と祝意を捧げたい。
著者の原子朗氏は、序文中で「各項の解説」は「賢治作品理解のための、「結論」ではなく、「動機」づけになるように努力」した旨を明かしておられるが、その配慮というか抑制というかが、本事典を賢治作品味読の好伴侶に仕立てあげている。
ところで、先ほど「一つの決着点」と書いたが、それは、これも原子朗氏が序文中で引用されている賢治の「永久の未完成これ完成である」という言葉通りに、賢治の語彙辞典作成の営為にも真の完成ということは、事の本質から言ってあり得ず、今後の研究の進展によって補填され、改訂される項目が必ずや出てくるであろうからである。
実際、この『定本 宮澤賢治語彙辞典』を読みふけっていて、そこに書かれた解説が私見とは異なるものも一つ、二つ見付けた。しかし、これは有って当然のことで、今後のそうした諸点の検討がきっかけになって新しい読解の視野がひらけていくことこそが、賢治研究の進展・深化に他ならないのである。