単行本

不思議な揚力
東 直子著『とりつくしま』

 最近の歌人の活躍はすごい。なかでも東直子と穂村弘はいいなと思う。このふたりがいっしょに出した『回転ドアは、順番に』(全日出版)なんか、絶妙におもしろい。なにがおもしろいといって、タイプの思いきりちがうふたりが絡み合い、寄り添い、つつき合い、突き放し、また並んで立つ、その勢いとぶれがおもしろい。
 豪快な突き押しの穂村弘に対し、東直子はすっと迫ってきて胸を合わせてくれる。そして最後に、つん、と軽く突き放す。こちらは、あぅっ、と声をあげたとたん、土俵を割っているといった感じだ。そう、彼女は一瞬の指先に力をこめて、読者を突き放してくれる。
 そんな彼女が短篇を書き始めた。『長崎くんの指』(マガジンハウス)が最初かな。このあたり、出版社のうまいところだなと思う。だって、歌をみればすぐにわかることだけど、彼女の歌はいつも短篇へ短篇へとそよいでいて、そちらへ流れよう流れようとしていて、流れてしまうのが当然なのに、そこをぐっとこらえて踏みとどまる、そこに、信じられないほど微妙な浮遊感が生まれる。不思議な揚力といってもいい。その力はほかの歌人にはない。ここにこそ東直子の短歌のエッセンスがあった……と偉そうに書いてみたが、こんなふうに考えるようになったのは、彼女の短篇を読んでからのこと。
 ところが、どこかの編集者が回転ドアをくるっと回して、彼女を短篇の世界に引っ張りこんでしまった。彼女はまるで海中にもどった人魚のようにのびのびと楽しそうに泳ぎ始めた。その傾向は『とりつくしま』でさらに強くなった。隅々にまで、「わたしは短篇作家です」オーラが充満している。
 じつは、『長崎くん』を読むまえ、なんでこの人は短篇小説なんか書いたんだろうと思ったのだが、『とりつくしま』を読んでからは、なんでこの人はいままで短歌しか書かなかったんだろうと思うようになった。それくらい、この人は短篇がうまい。さりげなく、それとなく、どことなく、てらいなく、しかし、いやおうなく、切なく、ひとつひとつの作品が迫ってくる。
 死んだ人が物にとりついて、忘れられない人や、想いを寄せる人と触れ合おうとする気持ちを様々な形で描いたこの短篇連作集、見事だなと思う。
 野球のロージン、トリケラトプスのマグカップ、青いジャングルジム、白檀の扇子、名札、補聴器、日記、マッサージ器、リップクリーム、カメラ……死んだ人は、そのときそのときの、その人その人の想いでもって、いろんな物になる。そして、死の世界に入っていく前のささやかなひと時を、それぞれの思いをこめて生きる! そこに生まれる物語が、痛いほどにやさしく心にしみてくる。
 そしてなにより、あちこちにちりばめられた、短詩のようなフレーズがまぶしい。
・勢いよく私をてのひらに打ちつけた。私は、思いきり空中へはじけた。
・あたし、トリケラトプスのマグカップになります。
・夏がくるたび、わたしを開いてくださいね。
・希美子は、おやすみなさい、と小さな声でささやいて、ぼくを閉じた。
・空を見上げていると、希美子の手から枯葉がさわさわと大量に降ってきた。
・アタシは、まだ名前も知らないひとの胸の前ではずみながら、海をめざした。
 こういったフレーズに触れるたびに、この人の短篇はいつもいつも短歌へ短歌へとそよいでいるような気がするのだ。そちらへ流れよう流れようとしていて、流れてしまうのが当然なのに、そこをぐっとこらえて踏みとどまる、そこに、信じられないほど微妙な浮遊感が生まれる。不思議な揚力といってもいい。そのおもしろさは、だれにも真似できない。そこにこそ東直子の短篇のエッセンスがある。そんな気がしてならない。

※この書評は単行本刊行時のものです。

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