はじめて新書を書いた。
数百部を印刷し、完売すればスゴイといわれる専門書とはケタ違い(それも二桁違い)の読者を相手にすることになる。
そこで執筆のスタイルも専門書とは変えてみた。事実のみを淡々と論述し、著者の主義主張はあまり表に出さないほうが奥ゆかしいとされる(?)専門書の書き方とあえて違え、最初から最後まで著者小島毅の主義主張てんこ盛りの「檄文」調である。
檄文で何を訴えたかは木戸銭(六八〇円+税)を払ってくださらなければ教えるわけにはいかないが、ちょっとだけそのサワリをお話ししてみよう。
関東生まれの関東育ち、徳島での四年間をのぞいて箱根から西では生活したことのない人間が、ものごころついて歴史に興味を持って以来、ず〜っと疑問に感じていたことへの異議申し立てをしてみたのだ。「明治維新は日本にとって必要だったのか?」と。
「歴史にイフはない」と言われる。でも、ほんとにそうだろうか?
もし本当だとすると、極端な話、ぼくたちの人生(それも立派な「歴史」だろう)もすべて必然的なものだということになってしまう。何を職業とし、誰と結婚をし、どこに家を構えるかまで、「もしあの時(実際と違って)ああしていたならば……」という夢の世界がなければ、切ない話になってしまう(まあ、逆に、「イフがないんだから仕方ないか」と諦めはつくが)。
「御一新」で江戸幕府は滅び、四民平等・文明開化の世の中が始まった。でも、それが唯一当然の正しい日本の歴史だったのだろうか。もっと別の道がありえたし、そのほうがよかった面もあるのではなかろうか。
「いやいや、そんなことはない!」と肩肘張ってお怒りの向きもあろう。「日本は古来、天皇陛下を戴く国柄だ。西洋列強がアジアに押し寄せてくるなかで日本が植民地化を免れたのは、幾多の志士たちの活躍で幕府を倒し、国民が力をあわせて難局を乗り切ることができるような、天皇中心の近代国家を作り上げたからなのだ」と。
靖国神社遊就館に行ってご覧なさい。そういう展示がされているから。
でもこれって、どうなのだろう? たしかに結果として日本の近代化はうまくいった。そして、欧米諸国も一目おく存在になった。しかし、挙げ句の果てに、いい気になってアジア各地を荒らし回ってご迷惑をかけ、とんでもない仕儀にいたったのではなかったか?
「明治維新はよかったのだけれども、日露戦争あたりからがいかんのだ」という人もいる。司馬遼太郎なんぞはその典型だろう。彼がデビューした頃、高度成長で自信を持った日本人にとって、「道を踏み外したのはほんの四十年」という言説は心地よかった。でもこんな自慰的史観で(ごめんなさい、下品な表現で)近隣の方々とお付き合いできるんだろうか。幕末の志士・維新の元勲で、隣国にとんでもないことをした(しようとした)者は何人もいる。望むと望まないとにかかわらず国際化が必須の時代、司馬がいまなお一部で「この国のかたち」を説いたオピニオンリーダー扱いされているのは驚くべきことである。
本書『靖国史観』は、前著『近代日本の陽明学』(講談社選書メチエ)につづき、水戸学という儒教流派が生み出したナショナリズム的言説を批判的にあつかっている。思想的に右のかたも左のかたも憤慨する内容かもしれないが、「そうだ、そうだ」と賛同してくださる「同志」はきっとどこかにいるだろう。
ちなみに、次はもっと畏き辺りを題材にしようかと思っています。いよいよ身の危険を感じる今日この頃です。