思えば、その『アンデルセン童話集』は、最初からただごとではない空気を漂わせていました。発行は一九五一年。背表紙は日焼けと経年劣化で黒く変色し、いまにも崩れてしまいそうな状態。全十巻のうち、元々あったであろう一巻と六巻は欠けており、その本の上に長い時間が流れたことが想像されます。この本の二巻には、とある女性宛ての手紙が挟まっていました。書かれていたのは二人の男女の「喧嘩」と「仲直り」の模様。以降の巻にも、 だいたいひと月ごとの日付でメッセージが記されていました。どうやらこれは本に託した「ラブレター」のようです。最終巻十巻の手紙には「少しでも早く一緒になる事だけ考えて、此の一年を頑張ろう」という言葉。おそらくは遠距離恋愛の関係にある二人のものだと思われます。しかしながら、この本にはとある疑問点がありました。それは、宛先の女性が「F子」と偽名のような名前であること。送り主は「英雄」と本名(らしい)名前で記されている分、その違和感は際立ちます。手紙の内容からも英雄さんが文学好きであることが感じられるため、「もしかしたらこれは、英雄さんの創作なのではないだろうか」などとも読めてしまうのです。
また、そうではないにしても手紙の最後が「此の一年を頑張ろう」となっているということは、この先一年はおそらく結婚が困難な状態なのでしょう。前途多難な内容に本の劣化具合も相まって、ついいろいろと想像したくなってしまう本……。
このような、前の持ち主の「痕跡」の残された古本のことを「痕跡本」と呼びます。僕はそんな痕跡本に惹かれコレクションを行っていて、『痕跡本の世界』(ちくま文庫、二〇一五年六月刊)で、この本のことも書かせていただきました。手紙の全文もそこに掲載しました(この本では、二人のお名前は「A子」と「B夫」に変えてあります)。その後、それを読まれたテレビ朝日の『マツコ&有吉の怒り新党』という番組の方から、出演のお話をいただきました。
番組ではこの本のことを二十分ほどにもわたってとりあげていただき、視聴者の方々により、直後のツイッターでも二人のその後について「別れた」「妄想だ」などいろいろな推測がなされました。
そして番組翌日、電話が鳴ったのです。「実は、元の持ち主と思われる方からお問い合わせがありまして……」
正直、僕は自分の耳を疑いました。まさかそんなことがありうるなんて……。そして僕のいる犬山に会いにきてくださることになったのです。
一カ月後、元の持ち主の方がいらっしゃいました。その方とは! 手紙の送り主「英雄」さんの息子さんでした。
まず「F子」さんというお名前ですが、これはなんと本名である、ということがわかりました。正確には 「恵冨子」と書いて「えふこ」さん。つまり「F子」という表記は本名に絡めた呼び名だったのです。手紙の当時、英雄さんは東京にてサラリーマンを、恵冨子さんは京都にて学生であり、遠距離恋愛の関係だったそうなのですが、恵冨子さんのご実家がいわゆる昔ながらの家であり、当時貧乏であった英雄さんとの交際は反対されていたのだそうです。しかし、その後二人は困難を乗り越えて無事結婚された、ということでした。恵冨子さんは十年程前にお亡くなりになられたそうですが、英雄さんは今もお元気にされているとのことでした。あれほどさまざまに推測された二人のその後はハッピーエンドだったのです! お話を聞きながら、僕の中にあったこの本に対する疑問や様々な思いは解けていき、また同時に、これは僕がもっているべきではないな、とも思いました。僕は、 この本を英雄さんの息子さんにお返しすることにしました。
たった一回のテレビの紹介で、前の持ち主が見つかった……。今回の話、今でも僕は信じられない思いでいっぱいです。でも痕跡本を触っていると、実はたまにこのような「のような偶然」があったりします。人の想いのこもった物は、もしかしたらなんらかの「奇蹟」を引き起こす力があるのかもしれない……。そんなことすらつい考えてしまう日々。『痕跡本の世界』でも紹介した、僕の手元にあるたくさんの魅力的な「痕跡本」たち。でも、これらの本の「物語」も、実はまだ終わっていないのかもしれません。