人生がときめく知の技法

第25回 ストアの倫理学(その一)

 

ストア哲学の果実

吉川 今回からいよいよストアの倫理学だね。

山本 うん。いわばストア哲学の本丸だ。

吉川 あるいは果実か。

山本 前に出てきた畑の比喩でいけば、論理学が塀、自然学が土壌、倫理学が果実ということだったからね。

吉川 倫理学には格別の地位が与えられている。

山本 そもそも人間は果実を得るためにこそ、わざわざ塀を立てたり土を耕したりするよね。

吉川 ストアの哲学者たちも、倫理学という果実を得るためにこそ、塀を立てて土を耕した。

山本 哲学そのものが、よく生きるための技術を学ぶことでもある。

吉川 ストア哲学を学ぶわれわれとしては、彼らの立てた塀を乗り越えて畑に入り、土壌を検分してきたんだね。

山本 そしていま、ようやく果実を味わえるというわけだ。

吉川 いったいどんな味がするんだろうね。

 

衝動から出発する

山本 さて、ストア派倫理学の出発点はなんだと思う?

吉川 やっぱり理性的能力なのかな。

山本 それがね、面白いことに動物的な「衝動」なんだ。

吉川 へえ。理性とは対極にあるような性質だね。

山本 うん。人間にも自己保存の欲求として衝動的な要素がある。

吉川 動物と同じように。

山本 そう。人間がときに激情にかられ、無分別なもの、不合理な存在でもあることを認めたうえで、そこから知恵を求めようとするのがストア派倫理学の基本姿勢。

吉川 じゃあ、人間の理性はどこへいったんだろう?

山本 もちろん人間のなかにある。人間において理性は、自らの衝動をコントロールする役割を担っている。そして、それが人間における自然のあり方なんだ。

吉川 なるほど。以前にも確認したように、植物的な性質と動物的な性質のうえに、理性的な能力が付与されているというわけだ。

山本 そうそう。さっき、衝動が理性と対極にあるように見えるという話が出たけれど、じつは、衝動と理性をともにそなえているという点そのものが人間における自然なあり方だということだ。

吉川 それがヒューマン・ネイチャー(人間の本性)だと。

山本 念のためディオゲネス・ラエルティオス先生の証言を引いておこうか。

 

彼らの主張によれば、生きものは、自己自身を保存することへと向かう根源的な衝動(ホルメー)をもっている。というのは、クリュシッポスが『目的について』第一巻のなかで述べているように、自然はそもそもの初めから、生きものが自分自身と親近なものとなるようにしているからである。(中略)しかし、さらによりいっそう完全な(自然の)導きによって、理性的な存在者(人間たち)に理性(ロゴス)が付与される段階に至ると、それらの者にとっては、「理性に従って正しく生きること」が「自然に従う」ということになるのである。というのは、この理性は、衝動を取り扱うことを心得ている技術者(テクニテース)として、あとから付け加わって生じるものだからである。(★1

 

吉川 おお、まるで近年の行動経済学や認知心理学の話を聞いているようだね。

山本 まさにまさに。ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンが提唱した「ファスト&スロー」ともおおいに重なる。

吉川 ファストは衝動と直観による速い思考、スローは計算と熟慮による遅い思考。

山本 どちらか片方というわけではなくて、どちらもあるのがヒューマン・ネイチャー。

吉川 そうすると、いかにして衝動とうまく付き合っていくかが課題になる。

山本 以前、エピクテトス先生による「哲学の訓練」のところで、欲望や衝動を禁ずるのではなくコントロールせよ、という話をしたよね。

吉川 うん。禁欲主義ならぬ「操欲主義」と。

山本 この考え方は、ストア派倫理学を正当に受け継いだものなんだ。これは単なる感想だけど、こうしてみるとストア派の人たちは、人間をよく観察していたんだなという気もしてくるね。

吉川 人間かくあるべしというよりは、人間はこういうものだという見方だ。

山本 その上でどうしたらよいかを考えるというスタンスだね。

吉川 次はもうちょっと踏み込んでいこう。

山本 そうしよう。

 

1──ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』(中)加来彰俊訳、岩波文庫、273-274

 

 

 

 

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