人生がときめく知の技法

第14回 哲学の訓練(その二)

 

捨てるのではなく、コントロールせよ

山本 それにしてもこうして見てみると、エピクテトス先生は、人間というものは脳裏を去来する種々の心像に惑わされがちであることをよく知っていたのがわかるね。

吉川 われわれがSNSで友人をうらやんだり、投稿の「いいね!」の数に一喜一憂したりするのを見たら、どう思うだろうね。

山本 あいかわらずだなあ、って笑うかな。

吉川 そうだね。そして、だからこそ心像を正しく使用するには訓練が必要なんだと続けるだろうね。

山本 それで、前回からその訓練方法についてお話ししているところでした。

吉川 先生はまず、トレーニングに先立って、心像には大まかにいって三つの領域があるとおっしゃる。

山本 欲望に関する領域、義務に関する領域、承認に関する領域だね。

吉川 三つとも重要であることはもちろんだけど、なかでも第一の欲望の領域は最も急を要するものなんだそうな。

山本 欲望というものが、われわれに激情を喚起しがちであるからだね。

吉川 まあ、そうかもしれない。そういえば、俗に「人間の三大欲」と呼ばれるものがあるよね。

山本 食欲、性欲、睡眠欲。

吉川 うん。たとえばこの三つが変に妨げられたり、あるいは暴走したりすると、やばいことになる。

山本 人生を棒に振ることにもなりかねない。

吉川 といっても、欲そのものを無にしようとするわけではないよね?

山本 そう。そこがポイント。たとえば仏教の教えでは、おおざっぱにいって、あらゆる欲を捨てることが推奨されるよね。

吉川 うん。そして、欲や執着から完全に自由になった状態が、解脱とか涅槃と呼ばれる。

山本 この境地にいたるには、たくさんの修行や学習が必要だというので、さまざまな教えがある。

吉川 エピクテトス先生にしても、欲とつきあうには訓練が必要だといっている。どちらも、訓練や自覚なしには、欲というものはうまく扱えないと見ているわけだ。

山本 世の中で起きる出来事を見ても、自分のことを顧みても、現在でもまったくその通りだと思うな。あいかわらずだ。

吉川 だからこそ、エピクテトス先生のような先達の考えに触れることには、いまもって意味がある。

 

■「操欲主義」のススメ

山本 そういえば、英語のStoicという言葉は、日本語でも「ストイック」と使ったりする。

吉川 飲み会に誘われて、「ごめん、今日、締切なんだ」とかいって断る。「いいじゃん、明日で、飲も飲も!」「いや、そういうわけにも行かなくてね。じゃ」「あいつ、ほんとストイックだよな」とかね。

山本 この連載はそのようにして書かれています(笑)。それはそうと、Stoicは、もともと「ストア派の」とか「ストア哲学の」という意味なんだけど、その哲学が「禁欲主義」と訳されるのは、ちょっと面白いね。

吉川 ただし、ストア派は、果たして禁欲的なのかどうか。ここはひとつ、「ストア派=禁欲主義」と単純にとらえたくなる気持ちをぐっと抑えて検討してみよう。

山本 おお、ストイック(笑)。実際、エピクテトス先生をはじめストア派の哲学は、ちょっと違ったふうに考えるんだよね。

吉川 ふむ。

山本 欲を禁じるのでなく、コントロールせよ、というわけ。

吉川 ふむふむ。

山本 吉川くんが出してくれたさっきの例も、結果だけ見ると欲を禁じているようにも見える。でも、単純化していえば、実際には「飲みに行きたい」「締切を守りたい」という二つの欲求のあいだで考えて、あえて締切の遵守を選んだわけだ。

吉川 欲に対する態度は「禁じる」か「満たす」かだけでなく、「抑える」とか「先延ばしにする」とか「別の欲に換える」とか、いろんなコントロールの仕方がある。

山本 そうそう。コントロールの結果、欲を禁じることもあるかもしれない。でも、いつもなんでもかんでも禁じるわけではない。我慢したり、逆に「いまは欲を満たそう」と肯定することだってありえる。

吉川 なるほど。われわれの権内にある事柄をコントロールせよと先生が強調するのはそういうことだったのか。

山本 そう考えると、禁ずるのとコントロールするのとは、だいぶちがうことだよね。

吉川 うん。少なくともいま検討しているエピクテトス先生にかんして言えば、「ストイック=禁欲主義」とは断定できない。

山本 敢えていえば「制欲主義」かな。

吉川 もうちょっとポジティヴに「操欲主義」と言ってもいいかも。

山本 そして欲を含む心像の正しい使用こそ、われわれの権内にある唯一の能力だと。

吉川 では、心像を正しく使うには、どう訓練したらよいか。

山本 次はそのことを検討しよう。

 

 

 

 

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