それ、ほんとの話? 人生につける薬Ⅱ

第13回 スクリプト(脚本)のレパートリーにないことが起こると、人間はフリーズすることがある。

『人はなぜ物語を求めるのか』に続く、千野帽子さんの連載第13回!思わずフリーズした出来事とは? 

意味づけることができないと、「なにが起こったか」が理解できないと感じる


 第10回で書いたように、人は、
「こういうことがあったから、私はこう考えた。こう考えたから、こう行動した」
という因果関係を示すストーリーを作れるときには、自分がその行動を「なぜやったか」を自分で理解していると感じます。

 そうは言っても人は反射的に、あるいは上の空で、行動してしまうことがけっこうある。あとで考えても、なにを考えたからあのように行動したのかが、自分でわからないこともよくあるのです。

 さらにそもそも、〈こういうことがあった〉だって、一筋縄では行きません。
 「なにが起こったか」ということだって、理解するときには「意味づけ」できているのです。

 僕たちが、
「自分はXという状況だった→だからYと考えた→だからZをおこなった」
という個別のストーリーを展開するとき、その背後には意識するとしないとにかかわらず、一般論が控えています。
 一般論は、このばあいだと、
「人はXという状況に置かれるとYと考える(ことがある)」
「人はYと考えるとZをおこなう(ことがある)」
という形をしています。

 つまり一般論とは、世界観であり、人間観なのです。
 世界はどうなっているか、人間とはどういう生き物なのか、といったことにたいして、僕らはひとりひとり一般論を持っています。それは人によって違うし、ひとりの人のなかでも、読んだ本や経験したことによって変わりうるのです。

 その一般論と喰い違うようなできごとが、自分の身に降りかかってきたら、どうなるでしょうか?
 そのときには、「なにが起こっているか」をうまく理解できず、自分がどう動くべきなのかもよくわからない、ということになるかもしれません。
 このままでは抽象的ですね。具体例に入りましょう。僕自身の体験です。

僕が祖父母の家に行かなくなったこと

 子どものころ、毎年2回、盆休みと正月には、母方の祖父母の家に何泊かしていました。
 祖父母の家は僕が住んでいた町から、母の運転する車で1時間ばかりのところにありました。

 高校1年の夏を最後に、祖父母の家に行くことがなくなりました。
 べつに珍しいことではないでしょう。子どもがそれくらいの歳になれば、家族や親類以外のいろんなつきあいがある。僕も夏休みにいろいろやることがありました。バンドとか、芝居とか。

 大学に入って、当時かかわっていた劇団の女優から、祖母が僕に会いたがっていると聞いたときには、少々驚きました。なぜ彼女が祖母のことを?
 彼女はバイト先で僕の従姉と偶然同僚なのだといいます。従姉によれば祖母は、それまで年2回やってきていた孫のひとりがぱたりと家を訪れなくなったので寂しがっているということでした。

 「ということらしいから、たまには顔見せたらどう?」
 そう言われると僕も、何年も祖母に顔を見せていないことを後ろめたく思います。
 「そうだねー」
 と生返事しました。
 いや、ほんとうはとっくに後ろめたく感じていました。そう感じていることを、自分で見ないようにしていたのです。

 祖父はものの言いかたの癖が強く、どうも苦手だったけれど、祖母は優しい人だ。自分で会いに行けばいいじゃないか。車の免許だって取ったのだし。

 それでも僕は祖母に顔を見せに行くことはありませんでした。
 頭では会いに行かないことを気持ちのどこかで疚しく感じながら、理由はわかりませんがどうしても体は動こうとしない。

 さらに何年か経って、祖母が蜘蛛膜下出血で倒れました。
 母といっしょに病院に見舞いに行きました。ベッドの祖母には意識がない。僕が話しかけても返事はできないだろう。

 「だろう」と書いたのは、僕が話しかけなかったからです。
 ドラマなんかだと、こういうとき、病人に意識がなくても話しかけるものらしいけれど、僕は話しかけるという選択肢を思いつかなかった。

 このあと、祖母にかんする記憶は、通夜で久しぶりに母方の従兄弟姉妹5人が集まった晩まで飛んでいます。
 自分が祖母の最後の10年間、会いたがっているのを知っていながら顔を見せなかったことを、その後ときどき思い出しました。
 多少疚しい。けれどなぜか悔いていませんでした。

僕が祖父母の家で体験したこと

 通夜のときの自分の年齢の倍ほど生きたおととしの秋、『人はなぜ物語を求めるのか』(ちくまプリマー新書)のもとになる連載「人生につける薬」を書いているとき、なんのきっかけもなく祖母のことを思い出して、あれ? と思いました。

 人間はできごとを勝手に繋いで、ありもしない因果関係を作っては、そのことで助けられることもあれば、苦しんだりもする生き物だ。自分のストーリーで自分や他人を苦しめないようにするにはどうしたらいいのだろうか。『人はなぜ物語を求めるのか』は、そういうことを書いた本です。

 そういう本のもとになる連載を書いていたら、最後に祖母に会った高校1年の夏休みのことをきゅうに思い出したのです。

 最後に祖父母宅を訪れた夏のある日、近くの商店街の本屋と古本屋とレコード屋に寄って、昼過ぎに帰ってきたのだった。
 汗をかいた。祖母が風呂を立ててくれたので、浴室で体を洗い始めた。祖母が浴室に入ってきた。

 「よく洗わなくては」

 祖母は石鹸でタオルを泡立て、僕の体をこすり始めた。そんなことはいままで一度もなかった。居心地が悪かった。

 でも「祖母の親切だから拒絶するのはおかしい」と思うと、僕は祖母を拒否することを自分に禁じてしまった。
「僕が赤んぼうのとき、僕を風呂に入れてくれたのかな」なんてことを考えていた。

 〈すこしだけおかしいことは、言葉にするのが難しい〉。
 〈すこしだけおかしい〉と思っても、自分のほうが〈自意識過剰なのかもしれない〉と思ってしまうのだ(引用は村田沙耶香『地球星人』新潮社[2018]、44頁)。

 僕の体を、下半身も含め隅々まで洗ったあと、祖母は浴室を出ていった。
 その夏を最後に、祖母はいちばん年下の孫である僕の顔を見ることのないまま、約10年後に死んだ。

ふたつのできごとは繋がるのか?

 僕はその日のことを忘れていたわけではありません。
 解釈不能な記憶として、浴室でのことはちゃんと覚えていました。
 けれど、あれから30年以上経ったおととしの秋まで、その日のできごとと、その夏を最後に祖母に二度と顔を見せなかったこととが関係あるのではないか、とは、一度たりと考えたことがなかったのです、僕の〈頭〉は。

 祖母に浴室に入られたから、僕は祖母に会いたくなくなったのだろうか?

 たしかにこういう説明は、自分の行動を説明する「ように見える」だけにすぎません。
 拙著『人はなぜ物語を求めるのか』は、ストーリーや因果的説明というものの、どちらかというと息苦しさを強調している本だから、その著者としては、安易に因果関係を構築することにたいしては、どうしても慎重にならざるを得ません。

 それでも、
〈会いに行かないことを頭のどこかで疚しく感じながら、どうしても体が動こうとしなかった〉
ことの理由の説明として、これはいかにも魅力的な捷径なのです。

なぜ僕は祖母の行為を加害行為として意味づけることができなかったのか?

 いま考えれば〈祖母の親切だから拒絶するのはおかしい〉というのは〈頭〉が考えた理窟です。
 祖母は孫を愛するものだ、という世間の常識を忖度して捏ねあげた「世界観」「人間観」です。

 それを言うなら、そもそも浴室というものは常識的に考えて、「家族・近縁者なら同意なしに踏みこんでもいい場所」なんかではない、ぜったいに
 こっちのほうの常識が、あのときからいままでずっと、どうして念頭から消え去っていたのだろう?

 おそらく、僕の〈頭〉は僕を「『男らしく』あらねばならない(must)」という「世界観」「人間観」で抑圧して、
「男の自分が女性によって性暴力をふるわれる被害者であってはならない=あるはずがない(must not)」
と判断し、僕の〈体〉が感じた不快感を否認したのでしょう。

 さらにまたそれは、僕の「世界観」「人間観」のなかに、
「女が男に暴力を振るう」
というスクリプト(脚本)がなかったからかもしれません。

 いまでは、「女性による男性への暴力も頻発している」「それは従来軽視されてきた」と知られるようになっています。だから、現在の読者、とくに若い読者からしたら、祖母の不可解な行動と、自分が祖母に顔を見せなくなったこととを、僕がなぜ長いこと結びつけなかったのか、不思議かもしれません。
 しかし当時は、「加害男性&被害女性」の表象はそこらに満ち溢れていましたが、「被害男性&加害女性」の表象は僕の狭い観測範囲には落ちていなかったのです。

 当時僕が好んで観ていたアクション映画では、暴力の加害者はもっぱら男でした。
 またのちに大学に入って読んだフェミニズムの文献でも、暴力の加害者はもっぱら男でした。
 インターネットというものがなかったことも、併せてご勘案ください。

 僕の世界観はこのように偏っていたために、僕の〈頭〉が僕の〈体〉の直観を否認することは、その後も続きました。

 のちに僕が成人してから、僕は交際相手の女性の暴力に長期間さらされ、そのときも行動に出るまでかなりの時間がかかりました。
 これも、「女が男に暴力を振るう」というスクリプト(脚本)が僕のなかに「一般論」(世界観・人間観)として形成されていなかったことによります。
 スクリプト(脚本)のレパートリーにないことが起こると、人間はフリーズすることがあるのです。
 じっさい、パートナーからの暴力の電話相談もシェルターも、男性被害者を想定したものは当時はありませんでした。

僕の〈頭〉と僕の〈体〉との乖離

 そして「祖母は優しい人だ」というのも事実ではなく、あくまで当時の僕の〈頭〉の意見だったにすぎない(と、アゴタ・クリストフの『悪童日記』の主人公である双子なら言い切るでしょう)。意見なんてものに価値はない。

 あのとき僕の〈頭〉は世間の常識という「世界観」「人間観」を引っ張り出して、
〈祖母の親切だから拒絶するのはおかしい〉
と考えました。
 だから、僕の〈体〉を抑えつけて、祖母に「出ていってくれ」とお願いすることを禁じたのです。

 僕の〈体〉も黙ってはいませんでした(無意識という言葉を使う人もいるでしょうが、敢えてここは〈体〉と書きます)。
 いくら僕の〈頭〉が世間の常識という「世界観」「人間観」を引っ張り出して、
「おばあちゃんに顔を見せに行けよ」
と号令をかけても、僕の〈体〉は頑としてその指令に従わなかったのです。

 僕の〈頭〉はそこでまた、世間の常識という「世界観」「人間観」を引っ張り出して、
「おばあちゃんが会いたがっていると知っているのに顔を見せずにいるお前は不孝者だ」
と僕にレッテルを貼り、僕に疚しさを発生させました。

 一昨年、前の連載で「一般論と因果関係」について書いているさいちゅうに、僕の〈頭〉の力が弱まった瞬間がありました。
 その隙を衝くように、僕の〈体〉が僕の〈頭〉からマウントポジションを奪還し、僕は自分を
「近親者による性暴力被害を受けた過去を持つ者」
としてとらえなおすことになったのです。
 何十年も経って、やっと僕は過去の経緯を(そして自分でも気づかなかった自分の動機を)物語化=理解することができました。

 僕は過去の自分に謝ります。わかってあげられなくてごめん。

 そして自分の〈体〉にお礼を言います。
 あの夏を最後に二度と祖母に合わないように仕向けてくれて、僕を守ってくれてありがとう、と。
(つづく)

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