差異を手段として扱うな
「うん、確かにね。あとはちょっと話変わるけど、差異を意識して稼ごうとすることって、詐欺(さぎ)と紙一重だと思ってて。」
「なんかまた先生の怖い話が始まった。」
「いやー、だってさ、詐欺師ってありもしない差異をでっちあげる稼業でしょう。なんで幸福を呼び寄せる水晶とか壺とかが法外な高い値段で売れるかといえば、幸福と現実の間にすごい差異というか、落差があるからなわけで。だから、日ごろからサービス業をやっている人間としてはこのことは意識せざるを得ない。いま、徒(いたず)らに差異を作り出してないかということをどうしても考えるよ。教育にお金を払う親って、子どもの将来に投資をしてるわけだけど、未来のことを考えるって、もうそれだけで不安が溢(あふ)れ出すわけ。多くの教育産業はそこに利潤のチャンスを見出してる。つまり、不安を煽(あお)れば煽るほど稼げるというわけ。もちろん、教育を生業(なりわい)にする多くの人たちは、その多くが、子どもの将来が教育を通して少しでもよくなりますように、って祈るような気持ちでやってると思う。でも、それにもかかわらず、不安という差異を利用しようという誘惑はいつでも隣にある。そこには、その人が悪いというより、そういう誘惑を作り出す資本主義が悪いと言いたくなるような構造がある。だから、教育にかかわらずあらゆるサービス業の人は、いとも簡単に詐欺行為の片棒を担(かつ)ぐことになる可能性に気づいていないと、資本主義の誘惑に抵抗できない。」
「結局のところ、人を手段として扱うな(注4)という話ですよね。」
「うん、そして、差異を手段として扱うな、という話でもある。いま、人間性にかかわる「善いこと」を含め、あらゆる差異がどんどん手段化、資本化されてる感じがして、それがすごくイヤで。こんなのは絶対にイヤだイヤだと言い続けないとヤバいと思ってる。」
「うーん」
一郎くんが何かを言いたげにしています。
差異はすでにそこにある
「で、先生、そろそろアドバイスください(笑)」
直さんと私は顔を見合わせて笑います。
「あはは。まだしてなかったっけ? えっと、アドバイスね。えっと、逆説的になるけど、競争に最も強いのは競争していない人、他人との差異を持て余している人じゃないかな。(注5)」
「えーっと、それは個性重視で行けってことですか?」
「うーん、いま世間で使われてる個性って言葉、ここで使うのはなんか違うんだよなー。そういう「作り物」ではないというか。ていうか、差異がもうそのままで人にとって資源なのは間違いないよね。差異がなければ愛さえ生まれないんだから。」
「先生、いまちょっと照れてませんか。」
「いっちゃん! いちいち個性とか言わなくても、差異はすでにあるからその次元で戦えって言ってるの。」
「セックスみたいだな。」
「いっちゃん……。なんで……?」
人間は資本に包摂される
「うーん、一郎くん、間違ってはない気がする。なんか抵抗感あるからそういうふうに言わないけど。」
「そうでしょ。例えは悪いけど、言葉としては間違ってない。オレ、実はよく分かってる天才だから。」
「いっちゃん自分のことバカって言ってたじゃん(笑)」
「オレくらいのレベルになると、バカはすなわち天才なわけ。」
「ぜんぜん、意味がわからない(笑)」
「一郎くんは実際、天才バカボンじゃないけど、バカで天才だと思うよ。知らんけど。さっき言ってた資本主義の内面化の話だけど、それが進行していくと、結局のところ、こういう人間が正しいっていう内面の規律化を生み出していくじゃない? だって、世間的に当たり障りのない正しい人間のほうが資本的に正解なんだから。」
「個性を目指していたはずなのに、結局規律的な正しさのほうに内面を含む人間ごと取り込まれちゃうのが現代……ですよね。」
「うん。だから一郎くん的バカは(ごめん)それに取り込まれない可能性を感じるんだよね。」
「ほほう。バカでよかった。」
「最近のSDGsとかダイバーシティの流れだって、間違いなく資本主義の内面化と結びついていて、人類みんなしてそっちに行きたくなってる。そのせいで、こういう動向に反発すると、政治的な正しさや公正さに異議を唱えるアブない人みたいなレッテル貼りがされるようにさえなってる。でも違うよ。反発してる人たちは、なんとか人間を守ろうと抵抗してるんだ。それは矛盾しない正しさを求めることより、ずっと大切だと思う。」
「ほほう。」
一郎くんはマジメに聞いているのかふざけているのかわからないところがあります。たぶんふざけているんだと思いますが、ふざけながらマジメに聞いていたりするからわかりません。
「やがて、すべて資本に包摂され、波打ち際の砂のように人間が消えてしまいました……とさ。」
「何それ、直?」
「私が書いてる修論の最後」
直さんと一郎くんとは、この日、さらに夜更(よふ)けまで話し込みました。そして2年後のいま、直さんは博士課程で経済学の研究を続け、一郎くんはフィリピンの会社を仲間に譲与(じょうよ)し、彼自身は日本に戻って来て、彼の地元で新しい会社を立ち上げたところです。
真逆のようで、2人は社会の趨勢に易々と流されないような内発的な動機を持っている。私にはそのことがとても頼もしく思えるのです。
注1:直さんは大学時代に寺子屋(著者が運営する教室)でアルバイトをしていた。
注2:アウトソーシングは業務の一部を外部に発注すること。オンラインで世界とつながる現在、価格体系の異なる外国人労働者に業務を委託することで労働力コストを削減しようとする会社も多い。日本における外国人技能実習生の諸問題も「労働力商品の価値を無理やり引き下げる試み」の一環として考えることが可能である。
注3:計画、予定のこと
注4:「理性的存在者は、決して単に手段としてのみ使用せられるものではなく、同時にそれ自身目的として使用せられねばならない」(カント『実践理性批判』岩波文庫 波多野精一、宮本和吉、篠田英雄 訳)高校倫理にも登場する、カントの定言命法より。
注5:川内イオ『ウルトラニッチ 小さな発見から始まるモノづくりのヒント』freee出版(2021年)には、イノベーションの先を行く、他と競争しない(=無競争の)スモールビジネスが多数紹介されている。
※本連載に登場するエピソードは、事実関係を大幅に変更しております。