十代を生き延びる 安心な僕らのレジスタンス

第17回 あなたが生き延びるための資本論 後編

寺子屋ネット福岡の代表として、小学生から高校生まで多くの十代の子供たちと関わってきた鳥羽和久さんの連載第17回は資本論の後編です。競争と差別化?資本主義って?

この連載は大幅に加筆し構成し直して、『君は君の人生の主役になれ』(ちくまプリマー新書)として刊行されています。 刊行1年を機に、多くの方々に読んでいただきたいと思い、再掲載いたします。

前編はこちら

複雑さに耐える

「いやー、直はなんか、立派になったなー!」
一郎くんはニヤニヤしながら直さんに言います。

「え、いっちゃん、私のことバカにしてる?」
「してないよ。たまにはまんまで受け取ってよ。だって明らかにまた頭よくなったじゃん。それよりか先生、オレが世間で勝ち抜くためのアドバイスをなんかくださいよ。」
「いっちゃん……。」
「うーん、勝ち抜くためねぇ……。それにしてもなんか、人生の先輩的立ち位置が居心地悪いなぁ。」

私はアドバイスを求められると、明快な正解をスラスラと話してあげなくちゃいけないような気がして困ってしまいます。そんな期待には応えられないと思って、口ごもってしまうのです。結局のところ、いろいろ試してみないとわからないわけで、正解というものがあるとすれば、各々(おのおの)が自分なりの仕方を見つけて、その筋(すじ)をやり続けた結果でしかないと思うからです。

「うん、先生、確かにいっちゃんいきなり「勝ち抜くため」とか、なに言ってんのって感じですけど、でも先生は実際に人生の先輩ですから……。いまの賢い大人たちって、先生がそうだってわけじゃないですけど、なんかいかにも深刻そうな顔で「正しいことなんて何もない」とか言いがちじゃないですか。むしろ、それこそが正解、みたいな感じで。」

うむ? 直さんに脳内を読まれたか? と内心焦りながらも、確かにいま「正しいことなんて何もない」が正解になっているという直さんの指摘はその通りだと思いました。そのせいでいろんな副作用が生じているんだろう、それがいまの若い人たちの生き辛さにつながっているだろうと感じたのです。

「価値観の多様化とかいうけど、結局のところ旧来の骨太な価値観が力を失ったせいで1億総根無し草みたいになってるのが現実だから……。そんな中での「正しいことなんて何もない」って自分のアイデンティティを支えてくれるような価値観を喪失(そうしつ)した現状の追認(ついにん)でしかないからね。でも「正しいことは何もない」って言葉はもっと別の文脈で捉えられるべきで、それは、世間も人もあなたが思ってるよりずっと複雑だから、「正しさ」に甘んじずにその複雑さに耐えろっていう意味だと思う。性急に白黒つけようとするから、いつでも簡単に間違えてしまうんだと。」

「ええっと……」
一郎くんが何か言いたそうです。

「ていうか先生、オレにアドバイスは?」
いつの間にか話が逸れていました。直さんと私は顔を見合わせて笑います。

「うーん、そうだなー。もしひとつだけ一郎くんにアドバイスがあるとすれば「差異に甘んじない」ということかな。」
「サイ?」

差異を利用すること

「いっちゃん、サイは「差別化」の「差」に「異なる」の「異」。」
「そうそう」
この辺りは、直さんの研究課題ど真ん中です。

「さっきいっちゃんが言ってた、日本人とフィリピンの人の給料に格差をつけるのも差異を利用してるし、この教室に正社員とアルバイトがいるのも差異(注1)の活用。国と国との間の貿易も、両国の空間的な差異や価値体系の差異を利用してお金を増殖してる。いまの日本企業が外国で工場立てて現地の賃金が低い労働者を使って生産するのも同じ論理。資本主義の利潤の源泉はいつでも差異なの。」
「うんうん。日本の戦後の高度経済成長も、最近の中国やインドの急激な経済成長も、農村と工場労働の生産性に明確な差異があったから、農村部の過剰人口さえ工場に囲い込めばその差異でいくらでも儲(もう)けが出る仕組みだったわけだよね。」

「そうだと思います。いまの先生の話の流れで説明したら、先進国は近年、農村人口がほとんど枯渇したこともあって、利潤エンジンとしての差異が見当たらなくなってる、そのせいで差異を意識的に作り出していかなくてはならなくなったというわけ。だからいま、差異が消滅した場所で何が行われてるかといえば、サービス残業とか、非正規化による人件費カットとか、アウトソーシングとか……。(注2) 労働力商品の価値を無理やり引き下げる試みが日本だけでなくグローバルに起こってる。いっちゃんは外国人を雇用してるから、そのあたりは否応(いやおう)なしに意識しながらやってるでしょ?」

「そういうことだったら、確かに意識してるというか、もう、意識しながらやることが仕事だよね。あくまでウィンウィンの関係じゃないとと思ってるけど。」
一郎くんは少し考えた後、言葉を付け加えます。

「差異という言葉は、なんか冷たいな。」
「そうだよ、差異は冷たいんだよ。」

2人の言葉に、私は「でも」と思います。
「でも、私以外の人がいるというのは、それだけで差異があるということでもある。直さんと一郎くんみたいに。ということは、差異が冷たいというより、単に差異を利用することが冷たいのかもしれない。」

イノベーションという消耗戦

「直さんのさっきの例を踏まえて言えば、いまってどんな差異でもいいからなんとか見つけ出して、それをどうにか利潤に変えて商品にしようとする競争が繰り広げられているよね。」
「いやー、いま、ビジネスで他と差別化するって、すっごい難しいんですよ。」
いま自分で会社をやっている一郎くんの言葉には、深い実感が込められています。

「競争してる限り差別化は難しいだろうね。競争するというのは、自らレースに参加するということだから、それ自体を差別化しなくちゃいけない方向に自分から擦(す)り寄ってるわけで。」
「うーん」
一郎くんは天井を見上げたまま考え込んでいます。

「いままでにない新しいことをやるイノベーションのあり方というのは時間差を利用した時限的な差異の創出にしかならないことがはっきりとしてきた。だって技術革新をしても、画期的な商品開発をしても、結局時間が経って追いつかれることで、その価値を失うでしょう?」
「そういうレースをしてる限りはどうしても消耗戦(しょうもうせん)になっちゃうってことですね。うーん、消耗戦はイヤだなー。」

資本主義的価値の内面化

「そう。だから、いまは誰にも真似できないパーソナルな人間の能力にこそ、差異の可能性が見出(みいだ)されるようになってる。その人が他人に与える安心感や内面の柔軟さ、生真面目さや情熱なんかさえも商品になるし、デザインや芸術にさえ人間の生そのものが情報化したみたいなのが初めから含まれてたりするわけで。この意味ではアイドルとかの「推し」なんかも、まさにそういう人間的なものを売ってる最先端産業だよね。そして、そういうパーソナルな感情労働をうまくこなせる人=(イコール)「価値がある」となれば、資本主義の価値観をうまく内面化した人間にこそ価値があるということになりかねないし、すでにそういう趨勢(すうせい)になってる。一郎くんは半分自覚がないところですでにそういう労働をやってるし……」
「先生もやってる。」
「うん。決して「それだけ」じゃないけど、そういう部分があるのは否めないと思う。」

直さんは会話を聞きながら少し苦しそうな顔をしていましたが、このとき口を開きます。
「うーん。その反動で、そういうのにうまく乗れない人たち……私とかまさにそうですけど。そんな人たちが、自分は価値がない人間だと下を向いてしまうわけで……。でもこれって、お前こそ資本主義の価値を内面化してるじゃんって自分にツッコむところですよね。」
「直さんみたいに内面化が意識できているだけで、全然違うと思うけど。」
「確かに、知らないうちに価値観を内面化した人って、自分はこれくらいの価値しかないって自分を低く見積もってしまうから、結局現状に甘んじてしまうし、雇用主もそれを利用しようとするわけですからね。いっちゃんが言うようにウィンウィンなら表面上はお互いいいかもしれないけど、やりがい搾取(さくしゅ)って言葉もあるくらいだし、雇う側がウィンウィンって言うのは、結局雇い手の都合になりやすいんじゃない?っていう気はする。」

直さんはふと一郎くんのほうを見て「いまの大丈夫だった?」という顔をします。一郎くんの方は、ニヤニヤしながらしきりに頷(うなづ)いています。

「まあね。オレもそうだけど、いまの雇い主って、社員に対して、例えば、指示待ちじゃなく自分で考えて動け、一人ひとりが起業家精神を持て、何よりもやりがいが大切なんだっていうことをさかんに言うからね。それがクリエイティブにつながると思うから言ってるんだけど。でも、その主体的でフラットな雰囲気が、かえって報酬の格差とかの現実をうまくぼかしていることはあると思う。」
「いっちゃんのところがそうってわけじゃないけど、そういう平等性がかえって自己責任論を招くこともあると思う。皆が平等にアジェンダ(注3)を共有してプロジェクトを進めました。それなのに成果を上げられなかったのはあなたの責任だ。これではプロジェクトから外されてもしかたがない、というふうに。」

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