ちくま新書

5月のちくま新書、野嶋剛さん著『台湾とは何か』の「序章」を立ち読みすることができます。

生き生きとした台湾政治
 台湾について、過去に自分が書いたものを読み返すのは、ときとして勇気が要る。気が重くなるときもある。二〇一六年一月一六日、蔡英文が民主進歩党の総統候補として圧倒的強さで当選を果たした晩も、そんな思いにとらわれていた。
 台北の夜は、冬にもかかわらず、熱気に包まれていた。民進党の政権復帰は確実視されていたが、総統選で蔡英文が中国国民党の総統候補、朱立倫に三〇〇万票の差をつけ、立法委員選でも楽々単独過半数を超えるなど、いささか想像を超えた圧勝を収めた。思い起こすのは、国民党が民進党を倒して政権に返り咲いた八年前の夜だ。あの夜の台北も熱かった。国民党の新たな「一党時代」が到来するとさえ感じた。それぐらい、スキャンダルと失政の批判を浴びた民進党は激しく傷つき、何一ついいところはなかった。かたや、国民党の総統候補であった馬英九は光り輝いていた。まるで、この日の蔡英文のように。
 二〇一六年の台湾の選挙は、二〇〇八年と同じ脚本で、主役だけ入れ替えたドラマのようなものだった。国民党は最後まで内紛に明け暮れ、選挙運動に一体感が生まれず、負けるべくして負けた。民進党は中間選挙民と呼ばれる、「安定と自立」の両方のほどよいブレンドを求める人々をうまく引き込み、「台湾意識」の強い従来の支持層もしっかり固め、二度目の政権を勝ち取った。しかし、八年前は、国民党が団結し、民進党はバラバラだった。勝つとき、負けるときは、得てして、こんなものかもしれない。
 八年ごとに、かくも生き生きとした台湾政治の「逆転劇」を目撃できるのは専門家冥利につきるが、同時に、八年前に書いたものを思い起こすと、いささか、恥ずかしくもなる。「民進党は、二〇年は立ち直れないだろう」。そんな話を、選挙のあと、台湾の人々と延々と語り合った。そんな文章も書いた。今回、民進党は総統選挙で勝つばかりか、陳水扁政権の八年間で一度も実現したことがなかった立法院の過半数を握って、長く夢みていた「完全執政」をあっさり叶えてしまった。
 台湾政治の変化はかくも激しい。オセロの盤面のように、一手二手で優劣ががらりと変わってしまう。台湾は、私たちの期待を裏切り、振り回す。その流動の大きさがもたらす爽快感が台湾政治の魅力でもある。だから、国民党にもう二度と希望がないなどとは、とても言えない。しかし、国民党は何らかの抜本的な党改革を断行すること抜きには、立ち直ることは難しいだろう。例えば「中国国民党」の党名から「中国」を取る、ぐらいの。
 そんな変転の激しい台湾について書かれたジャーナリズムの本の寿命は、必ずしも長いものにはならない。過去、私は台北故宮や蒋介石、台湾の自転車産業、台湾映画など、明確なテーマ設定がある本は書いてきたが、台湾の政治を書くことを意識的に控えてきた。それは、心のどこかで「賞味期限」に対する畏れがあったからだ。書いた本は、ぜいたくな期待かもしれないが、五年、一〇年は読まれて欲しい。
 加えて、台湾というテーマの難しさもある。「台湾」と「中華民国」をひとくくりにできないことに現れているように、見る人、語る人の立場や物差しによって、台湾に対する考え方は大きく異なり、何を書いてもどこかから矢が飛んできそうなところがある。台湾を総論的に描くことは私の手に余る、という思いもあった。
 しかし、私なりにこの一〇年の台湾の変化を観察してきたなかで、不十分だとしても一つの「報告書」を残したいと思うに至った。その理由は、二〇一六年の台湾が、多くの意味で重要な節目に差し掛かっていると考えたからである。

区切りの時期を迎えた台湾
 台湾の民主化の起点は一九八六年だった。蒋経国が戒厳令の解除や政治活動、報道の解禁を決意し、「時代は変わり、環境は変わり、潮の流れも変わった」と語った年だ。民進党結党の年でもある。それからは、まるでダムの水が堰を切ってあふれるように、台湾の民主社会はどんどんと開かれていった。以来、今年で三〇年になる。
 一九九六年には、台湾で初めての直接投票による総統選挙が実施された。それから計六度の総統選挙が行われ、二〇年が経過した。
 中台関係の接近が始まったのは二〇〇五年当時野党だった国民党の主席・連戦の訪中がきっかけで、国共という枠組みでの中台接近が起きてから一〇年あまりが過ぎた。
 民主化から三〇年、総統直接選挙から二〇年、中台接近から一〇年というわけで、これだけでみても、台湾は三つの区切りの時期を迎えている。
 台湾はこうしたプロセスを経て、もはや世界で最も自由に発言し、行動できる場所の一つになった。台湾の民主化はどんどん成熟している。二〇一六年、総統選では三度目の政権交代が起きた。二〇〇〇年には国民党から民進党、二〇〇八年には再び国民党へ、そして、また民進党へと、見事に八年おきに政権交代が起きている。民主化の優等生だと言っていい。二大政党制を知りたい人たちは、まず台湾に勉強に行くべきである。
 台湾と中国との関係も、いま踊り場に差し掛かっている。中国の台頭によって台湾は、中国との経済的関係を強化する必要に迫られた。軍事的にも中台間のバランスは崩れて中国優位が確立した。中国に半ば飲み込まれそうになりながら、どうにかして台湾の主体性を保っていくしかない。そのニーズに合致したと思えたのが、対中融和を掲げた馬英九政権の対中政策だった。
 その後に進んだ中台の接近のなかで、一時は台湾の「フィンランド化」が取りざたされたこともあった。フィンランド化とは、強大な隣国を抱える国が、戦略的な妥協として友好・中立政策を取ることである。議会制や自由経済でありながら、ソ連(当時)に挑戦するような同盟には参加しないとソ連に約束したフィンランドをモデルとした外交政策を指す。その見返りとしては、「隣の大国」から、国際社会への参加や軍事的脅威の軽減などの恩恵が与えられる。馬英九政権が掲げた「和中、友日、親米(中国と和し、日本を友にし、米国に親しむ)」という八方美人的な外交方針は、一部からフィンランド化と目された。
 ところが、今回の選挙で台湾の有権者は再び、民進党に政権を預けた。確かに中国は、台湾の経済成長や国際社会の参画などを左右する鍵を握っている。しかし、どうやら台湾の社会は、経済以上のものを中国に譲ることは受け入れがたいと考えていることが、今回の選挙結果からはっきりした。
 台湾では「香港化」という概念も論じられてきた。中国の目標は、主権を獲得できないフィンランド化ではなく、主権は手元に置きながら、一定程度、台湾の独自性を尊重する香港化にある、という見方である。しかし、一国二制度とはいえ、実際は中国に政治の要路を抑えられた香港の姿に、台湾の人々は強い不安を感じている。香港の雨傘運動が当局に鎮圧されようとしたとき、台湾で「今日の香港、明日の台湾」という言葉が流行した。フィンランド化も香港化もないとすれば、結局、台湾の人々が望んでいる「台湾化」以外に、未来の選択肢はなくなる。だが、経済を大きく依存する中国と縁を切ることなど当分は難しい。中国の統一ベクトルに対し、台湾が自立ベクトルで張り合い、「現状維持」の守護神としての米国が中国にも台湾にも重石の役割を果たす米中台トライアングルは当面、強度を持ち続けるだろう。
 一方で、いままで台湾の対外関係の基本スタンスは「政治は米国、経済は中国」だったが、これからは中国との政治的対話も取り込んだ新しい中台関係のモデルが求められてくるだろう。しかも、民進党は台湾の主体性強化を求めて彼らに一票を投じた八〇〇万人の有権者を満足させなくてはならない。新総統になる蔡英文は、あまりに難しい課題を突きつけられたなかでの船出になる。 

台湾自体がアジアの縮図
 台湾は、単体としては、決して大きくはない。一六世紀にポルトガル人の「イラ・フォルモサ(麗しき島)」という、よく知られる感嘆の叫びとともに世界史に登場した。そこはかとなくサツマイモのような形をして、三〇〇〇メートル級の山々を擁して「高山国」とも呼ばれた島の面積は三万六〇〇〇平方キロと、九州ほどの大きさに過ぎない。
 人口規模は日本の近畿地方とほぼ同じ二三〇〇万人程度。八〇年代から九〇年代にかけてはアジアの四匹の龍に数えられた高度経済成長を遂げたとはいえ、GDP(国民総生産)からみた経済規模では、ベルギーとほぼ同等ぐらいである。
 しかし、こうした数字からは計りきれない面白さが、台湾には詰まっている。
 台湾は五〇〇年前まで今日「原住民」と呼ばれる南島語族の先住民族の居住地だったが、一六世紀以降、福建系、客家系の南方系漢民族、中国各地からの寄せ集めである外省人など、次々と新たな族群が断続的に渡来することで折り重なり、台湾政治研究の先駆者である若林正丈が指摘するように「海洋アジア」と「大陸アジア」も混在する多様性に富んだ民族構成となっている。加えて、日本統治五〇年の結果、日本文化に造詣の深い日本語話者も多数生存しており、台湾自体がアジア世界の縮図という一面を持っている。
 また、台湾に最も大きな利害関係を持っている中国、米国、日本は言うまでもなく、世界で最もGDPの大きい三か国である。その日米中の利害が、しばしば、台湾をめぐって衝突する。米中関係や日中関係において、台湾はいまも常に最も敏感なイシューとして取り扱われている。筆者がかつて外務省の担当記者として中国問題を取材していたとき、中国外交を担当するチャイナスクールのある幹部が「日中関係は歴史と台湾。それさえ気をつけておけばいい」と語っていたことは記憶に強く残っている。

 台湾の重要性は、内部に抱える歴史とも深く結びついている。台湾は日清戦争の敗北で中国から日本に割譲され、その屈辱を引き金に辛亥革命が起きて清朝が倒れた。日本の統治を半世紀経験した台湾を、日中戦争を含む第二次世界大戦での日本の敗戦によって中国は取り戻したが、今度は、国共内戦で敗れた国民党の反攻拠点となり、共産党にとっては「未完成の国家統一」の最後の一ピースとなっている。その統一を実質的に阻んだのは、冷戦による米国の介入だった。
 つまり、日清戦争、中国革命、日中戦争、国共内戦、東西冷戦という、東アジア世界を大きく変えた近現代史の大事件に、ことごとく台湾は深く絡んでいるのだ。そして、国共内戦や東西冷戦の構図は、いまなお台湾を縛り続けている。
 台湾自身もまた、大きな変化にさらされている。それは台湾アイデンティティの極大化だ。台湾は台湾であり、中国ではない。そのように考える人々が、すでに人口の六割を超えた。その結果、台湾にとって自らの国家を求めるナショナリズムは当然、高まってくる。しかし中国の強力な「一つの中国」の縛りと、中国経済による利益を考えれば、独自国家の宣言に向かうことは現実的な道だとは考えられていない。一方で、ここまで異なるアイデンティティを持った台湾と中国が、いつまでも本当に「一つの中国」という枠組みでやっていけるのか。そんな問いを、今回の総統選は、私たちに突きつけることになった。
 二〇一四年春、学生と市民が立法院を占拠して世界を刮目させた「太陽花運動(ひまわり運動)」の主体となったのは、強固な台湾アイデンティティを持ち、中国が祖国であるとは夢にも思わないような「天然独」(生まれながらの台湾独立派)と呼ばれる若者たちだった。彼らの動向がこれからの台湾政治の焦点になることは間違いない。
 そして何より、私たち日本人にとって、今日、台湾という存在に対する「認識の転換期」にさしかかっていることを指摘しておきたい。「認識の転換期」などという言葉はいささか分かりにくいかもしれない。平たくいえば、台湾とどう付き合うか、あるいは、台湾をどう理解するか、改めて原点から考え直すべき時期であるということだ。
 これは台湾に関わる日本人一人ひとりが、近頃、とみに感じていることではないだろうか。いままでは「中国の一部」としてしか見てこなかった台湾が、どうやら、それだけでは理解できない大切な存在なのではないか。日本と台湾は特別な関係にあるのだろうか。日本人は台湾の親日性をどう理解すればいいのか。なぜ東日本大震災で台湾の人々はあれほど巨額の義援金を送ってくれたのか。そんな多くのクエスチョンが、いま日本人の頭のなかに渦巻いているように私には思えて仕方がない。
 こうした問題意識をもとに、台湾と日本、台湾と中国、そして台湾そのものに対し、どのように考え、向き合うべきなのかを、台湾というテーマを長年書き続けきた人間の一人として、自分を含めた読者に問いかけてみたい。それが、本書の最大の執筆動機であり、目標でもある。

 なお、表記について記しておきたい。台湾近現代史の記述ではどの作者も恐らく感じるところなのだろうが、政治体制の表記にはたいへん悩ませられる。中華民国は、一九一一年の誕生後、内部の対立や分裂、日中戦争によって、「北洋政府」「北京政府」「南京国民政府」「重慶国民政府」など、数々の呼び方が出現しては消えてきた。一九四九年、共産党に敗れたことによって中華民国体制は台湾に移り、大陸では中華人民共和国が誕生している。そのなかで「一つの中国」問題や、日本による国家承認問題も絡み、表記自体が政治的立場を示すほどに政治化された問題になることもあり、慎重な取り扱いが必要であることは言うまでもない。
 最初に断っておくと、この表記問題において私の政治的主張を込める、ということは本書では一切考えていない。しかし、そのなかで、台湾の政治体制をどう表記するのが好ましいのかについては一定の検討は行ってみた。
 本書では、戦前の中華民国体制の「訓政時期」にあたる一九二五年から一九四九年までの「国民政府」については、南京や重慶など地域別の国民政府名称は複雑になるのであえて区別せず、すべて「国民政府」と表記している。また、親日政権である汪兆銘の「南京国民政府」が本書では登場していないので、混同はしていないことを断っておきたい。
 国民政府の台湾移転後については、日本のメディアでは従来、七二年の日華断交と日中国交正常化までは「国府」とし、七二年以降は「台湾当局」と書くことが多かった。日本の外交文書では今日でも「台湾当局」という表記を使用しているはずである。
 しかし、本書では、戦後から民主化以前まで「国民党政権」と書いている。それは「国府」という名称が、今日の日本ではあまり一般の読者になじみがないからだ。
 七二年以降についても「台湾当局」と書いている。その理由は次のようなものだ。
 私は新聞社特派員時代から「台湾当局」と書くことをできるだけ回避してきた。それは日本語の「当局」という言葉の持つ響きが、二三〇〇万人の人口を持ち、民主制度を整えた台湾の人々の意識や実体からあまりに乖離した印象を与え、礼儀を欠いた表記であると感じたからである。
 一方で「台湾政府」という表記は、本来は「台湾の統治機構」という意味であれば価値中立的な表現であり、実際、欧米のメディアでは「TAIWAN GOVERNMENT」と普通に書くことも珍しくない。しかし、「一つの中国」を支持する側からいらぬ反発や誤解を受ける恐れがあることも否定できない現実がある。そのため、本書では「台湾の統治機構」という意味を強調した形になる「台湾の政府」と表記し、具体的な政権を特定するほうが好ましい場合は、「李登輝政権」「馬英九政権」「国民党政権」「陳水扁政権」「蔡英文政権」「民進党政権」などの表記を用いている。