単行本

東京には物語でログが残されている

PR誌「ちくま」より大山顕さんの『東京β』書評を掲載します。


 この本はやばい。文中で紹介される映画や書籍が気になっちゃって、気がつけばアマゾンのカートがいっぱいになるのだ。みなさんも覚悟した方がいい。
 本書は、さまざまな作品における描かれ方から東京の移り変わりを見ていこう、という一冊だ。ただ、とりあげるコンテンツ群がひと味違う。鴎外とか川端じゃない。岡崎京子や村上春樹、松任谷由実、それに「太陽にほえろ!」や「踊る大捜査線」「男女7人夏物語」などだ。まずこのポップさが本書の最大の特徴だ。引用される作品の描写やセリフを読み、「そこから東京を論じるか!」とニヤリとする。そしてカートがいっぱいになる。
次に「ほほう」と思わされるのは、論じる対象の括り方とそのスケールだ。第一章で論じられる場所は「埋立地」。第二章で取り上げられるのは「副都心」といった具合。東京について語ろうとするとついつい「山の手」と「下町」というような大きなサイズから入りがちだが、これをやるとどうしても「江戸-東京論」にならざるを得ない。八〇年代に流行った東京論の多くがこれだ。一方「銀座」や「新宿」といった街のスケールだと、単なる「東京あるあるネタ」か逆を張って「知られざる一面を紹介」といったものになりがちだ。東京の街の名前には強いイメージがまとわりついていて、それを無視することができないから。
 しかし舞台を「副都心」にすれば新宿とお台場を同列で語ることができる。そこに「太陽にほえろ!」『ノルウェイの森』「踊る大捜査線」といった各時代の物語を置き、忘れられていた「学生運動」「反体制」や「都市博中止」を土地に重ね合わせ、見たことのない風景を浮かび上がらせる。その展開は推理小説を読んでいるようにスリリングだ。「埋立地」には映画『家族ゲーム』、マンガ『3月のライオン』、桐野夏生の小説『ハピネス』などを配置。団地からタワーマンションまで。歴史を持たない埋立地とこれらの物語で描かれた「家族の不安」をシンクロさせ、同じように忘れられていた「家庭内暴力」や「受験戦争」などの記憶を掘り起こす。
 東京はどんどん変わってしまって、そこに以前何があったか分からなくなる、とよく言われる。この「健忘症」は風景に対してだけではない。どういう出来事があったか、それを支えた社会背景や時代の雰囲気がどのようなものであったかもすぐに忘れられてしまう。
 本書はそういう東京健忘症に対するセラピーだ。一足飛びに江戸を持ち出して東京を語るいわば「前世療法」ではなく、かといって現在の刹那的な「あるある」でもない。高度成長期からバブル、そして現在までの「そういえば」と思い出せる時間的スケールで東京を見つめ直すことで、一見消えてなくなってしまったものが、現在と地続きであるということを実感させてくれる。東京のβ版には物語という形で改訂ログが残されているのだ。
そしてこの本がすごいのはこれで終わらない点だ。第五章でいきなりスケールが変わって新橋の話になるのだ。しかしセラピー受診を完了したぼくらは、もはや単なる「サラリーマンの街」といった「あるある」イメージに惑わされることはない。
 そしてこの章で、東京のログに通底していたのは、テクノロジーとそれをドライブし、また同時にそれによってドライブさせられる「欲望」であったことに気づかされる。そういう意味で汐留シオサイトにある旧新橋停車場駅舎に対して「再現すべきは新橋の闇市だったのではないか」というのはまさに慧眼だ。
 新橋の章は「演習問題」だ。同じように他の街、渋谷でも池袋でもどこでもいいから、同じように見てみようということだと思う。優れた都市論はすべて読み終わった後実際に街に出てみたくなるものだ。その点でも『東京β』がエキサイティングな名作であるのは間違いない。実際、ぼくも埋立地については思うことがあって、出かけてしまった。今度速水さんに会ったらそれについてお話ししたい。いや、その前にカートの中身どうしよう。

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