生き抜くための”聞く技術”

第10回 人間を人間でないとする言葉がもたらすもの

ルワンダで起きたジェノサイドを知っているだろうか

 さあ、今回も一緒に歴史に分け入ってみたい。
 前回は関東大震災のときにデマを信じてしまった結果、日本人が朝鮮人を虐殺してしまったケースをひもといたよね。きょうはアフリカで起きた虐殺をもとに「聞く」ということについて一緒に考えてみたい。
 え、また虐殺って声が聞こえてきそうだ。同時に、そもそも虐殺って何だろうと思う人もいるかもしれない。日常生活で虐殺という言葉はあまり使わないからね。と言うより、使う場面にはできれば遭遇したくない。でも言葉として使う場合、残虐な殺し方をした殺人というイメージや、たくさんの人を殺すという語感があるんじゃないかな。ふだんはそれほど厳密な意味を考えずに、たぶんに感覚的に使われている。
 じゃあ、ジェノサイドという言葉を聞いたことがあるだろうか。虐殺という言葉よりも、かなり定義がはっきりしている。国際法上では、ひとつの人種や民族など特定の人々を根絶やしにする意図をもって行う大量殺害といった意味だ。今回一緒に見ていくのは、まさにこのジェノサイドの典型的な例だと言ってもいい。
 それは1994年、中部アフリカにあるルワンダという小さな国で起きた。3か月の間に起きたジェノサイドの死者は80万人。日本では人口50万人を超える都市が政令指定都市と呼ばれる、つまり大都市とされることを考えると、80万という数がどれだけ大きいかがわかる。ちょうど新潟市や浜松市あたりがおよそ80万人の人口だ。こうした都市の人々を全員消滅させてしまうほどの虐殺が、ルワンダで起きたことになる。
 しかもそのほとんどがツチ族と呼ばれる民族だ。まさに人種を狙い撃ちにした大量殺人=ジェノサイドといってもいい。しかもふつうの人々が斧を持って、ツチ族の人々を次々に殺していったのだ。
 じゃあ、なぜツチ族の人々は、ツチ族だというだけで殺されなければならなかったのだろう。
 ルワンダには大きく分けて、ふたつの民族が住んでいる。
ツチ族と、フツ族だ。慣れない言葉だから、どっちがどっちかわからなくなってしまうかもしれないけれど、ツチとフツという響きを頭に入れてほしい。
 人口で比べると、殺されたツチ族のほうが圧倒的に少ない。ツチ族はルワンダの人口の10%から20%ほど、フツ族は80%から90%を占める。
 そうか、殺されたツチ族が国の少数派で、殺した側が多数をしめていたんだ、それだったらわかりやすいと思うかもしれない。
 ツチ族=殺された側、少数の民族
 フツ族=殺した側、多数を占める民族
 多数の民族が、少数のほうを殺す。構図としてはその通りなんだけど、ことはもう少し複雑なんだ。
 実は、少数のツチ族がなぜか特権階級として国を支配する側にいて、多数を占めるはずのフツ族の人々は差別され、支配される側にいた。
 どうしてそこまではっきりと、民族によって階級が決まってしまったのか。その分断が深まったのは、植民地時代だ。
1918年から62年までの40年以上、ルワンダはヨーロッパの国ベルギーの植民地にされていた。あなたがもし植民地にする側、つまりベルギー人だったらどうやって植民地を運営しようと思うだろうか。
 植民地にされる側は、どうぞ喜んで、とはならない。当然だよね、いきなりやってきて支配され、搾取される。歓迎できるはずがない。なんとかしないと人々は不満を抱いて、反乱がおきるかもしれない。

不満や反発に火がつくと……


 そうした不満や反発を分散する方法を、ベルギーは考えた。
 その答えはツチ族とフツ族を分断することだった。少数のツチ族を優遇して要職につかせ、多数のフツ族はことごとく排除して冷遇する。そうすることでツチ族にフツ族を統治させる体制を築く。ベルギーからしたらツチ族さえ押さえておけば、彼らがフツ族を統治してくれる。このやり方は分割統治と呼ばれ、他の植民地でもみられる方法だけど、今から考えると、ベルギーがのちに起きるジェノサイドの下準備をしたことになる。
 でもちょっと待てよ、なぜベルギーは少数派のツチ族を支配層にしたのだろう。ふつうなら多数を占めるフツ族を優遇するんじゃないかな。いや、支配層が多数だとベルギーがそれをコントロールするのが難しくなるからだろうか、というふうに、いろいろと考えてしまうよね。
 実はそこには、当時の差別意識が働いていた。
 少数のツチ族は、肌の色や鼻の形などが白人に似ていた。それだけで優秀と見なされたと言うと、そんなバカなと思うかもしれない。ぼくも初めて聞いたときはそう思った。だって、白人により似ているほうが優秀だなんて、そんなことあるはずないと。
 でも当時のヨーロッパの人種観はそうだったんだ。なんて傲慢だったんだろうと今となっては思うけど、当時ヨーロッパの国々は、アフリカやアジアの国を植民地にすることをおかしいと思わなかった。野蛮な国を文明化する行為として正当化していたんだ。そういう意味でも、白人に似ている=すぐれたツチ族が、白人に似ていない=劣ったフツ族を支配するのは当然だと考えたんだ。
 とはいっても、ツチ族も黒人であって白人ではないから、一目ではフツ族と見分けがつかないこともあった。だからそれをはっきりさせるために、住民に登録させてツチ族かフツ族かを記した身分証を携帯するよう義務づけたりしたんだ。それによってエリート意識を持つツチ族と、不公平感と被害者意識を抱えるフツ族の間の分断は、より深まっていく。
 湿った薪に火をつけようとしても、そう簡単にはつかない。でも薪を乾かして、そこに油でもしみこませておこうものなら、容易に火がつくだろう。それにたとえると、ルワンダには植民地時代に引火する素地ができていったと言ってもいいだろう。

 1962年にルワンダはベルギーから独立、今度は多数をしめるフツ族が支配層になる。
 そして30年ほどたった1994年にジェノサイドは起きた。
引火する直接のきっかけとなったのは、フツ族の大統領が乗った航空機が撃墜された事件だ。フツ族のこの大統領は90年代に入ると、「反ツチ」の政策を前面に出したことなどもあって、ふたつの民族の間で緊張が高まっていた。そうした中で、フツ族の大統領の乗った航空機が落とされたのだ。そして虐殺はその日の夜から始まる。
 ふつうの人々まで虐殺に駆り立て、これを全国に拡散するのに大きな役割を果たしたのが、ラジオだった。大統領機の撃墜はツチ族の仕業であり、「ゴキブリであるツチ」を一掃するよう呼びかける放送を繰り返したのだ。
 ツチ族の人間はゴキブリだ。
 こうしたフレーズを、フツ族の人々は繰り返し聞くことなる。もし自分だったらと考えるとどうだろう。激しく敵対する民族がゴキブリだと繰り返し聞かされたとしたら、人間の感情はどんな影響を受けるのだろう。
 虐殺が起きるには、その対象を人間としてみなさなくなる「非人間化」というプロセスがあると言われるけど、もしそうだとすると、「ツチ族はゴキブリだ」という洗脳はまさにそれにあたるだろう。無意識のうちに対象を非人間化することで、殺害することへの抵抗を薄める効果があるとされるのだ。
 もちろんフツ族の民衆のすべてが虐殺に加わったわけではない。しかし少なくとも数万人のフツ族の人々は「やつらを全滅しよう」と気勢を上げ、ときに嬉々として殺害に参加したとされる。自発的に殺した人ばかりでなく、命令に従った人もいれば、貧しさへの怒りが動機になった人もいるという。それでもふつうの人々が数万人加わったという事実は衝撃だ。
 ここまで話すと、前回の朝鮮人虐殺との共通点があることに気づく。異なる民族に対する差別意識や憎しみ、恐怖などが土壌としてあるところに、デマや非人間化するような言葉を聞くことがきっかけで火がつき、虐殺が広がっていった。
 フツ族の大統領機撃墜は本当にツチ族の犯行かどうかも、実はわかっていない。熱狂が生まれるとき、それが事実かどうかは大した問題にならない。引き金になるのは敵対心をあおる言葉の数々だ。
 それを聞いても惑わされず、行動できるかどうか。その問いは今も変わらず、ぼくらに突きつけられている。

 

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