生き抜くための”聞く技術”

第5回 聞きたいことだけしか、聞かない

メディアはウソばかりと言う人は何を見ているのか?

 トランプ大統領の選挙戦を取材していたときのことだ。
 ペンシルベニア州のピッツバーグという大きな都市の郊外に、トランプ支持者が集まる場所があると聞き、行ってみた。車で1時間ほど走ると、いきなりトランプ候補のどでかい写真パネルが目に入ってきた。そしてそばにはアメリカ国旗にくるまれたようなデザインの一軒家が建っている。
 トランプハウスだ。
 地元の不動産業者が自分の扱う物件を改造してつくった家で、中にはTシャツや、ステッカー、バッジなどトランプグッズの数々が置かれていた。1日に数千人のトランプファンが訪れるという。
 ぼくが行った日も大きな駐車場に、ひっきりなしに車が出入りしていた。降りてくるのは全て白人。彼らの多くは家族連れで、巨大なトランプパネルの前で記念撮影をし、思い思いのトランプグッズを大事そうに抱えて帰っていく。
 彼らに話を聞いた。
 そのころの選挙情勢では、ヒラリー・クリントン候補がややリードしていた。それをぶつけると、みなそろって顔をしかめた。
「メディアはあてにならない。ウソばっかり言うから」 
 彼らが好んで観ているのはトランプ氏を支持する右派のケーブルテレビやネットメディアだ。そして忘れてはいけない。もうひとつはトランプ氏が毎日のようにつぶやいているツイッターだ。
 アメリカのメディアというと、ぼくらはニューヨーク・タイムズ紙とか、ワシントン・ポスト紙、テレビでいえばCBSやABCなどの三大ネットワークを思い起こすけれど、彼らはこうした伝統あるメディアこそ敵だと思っているのだ。
 実際、選挙が終わってみると、メディアの予想がはずれてトランプ候補が当選したから、彼らはその思いをさらに強めたに違いない。
 
 でもどうして、多くのトランプ支持者たちは伝統的なメディアの報道に耳を貸さなくなったのだろう。
 ペンシルべニア州にモネッセンという小さな街がある。かつては鉄鋼で栄えたものの、日本などアジアの国々に押されて衰退し、人口も減り続けていた。その街を歩くと、廃墟になっている建物があちこちにあって、人通りはほとんどない。当然、治安も悪くなる。ぼくが取材に行っていたときも、薬物中毒の女性が車を運転して事故を起こし、捕まっていた。人口は減っているのに麻薬の密売人ばかり増えていると、人々は口をそろえた。
 このまま荒れ果てていくのを止めなければ、街はゴーストタウンになってしまう。危機感を強めた市長は、思い切ってバラク・オバマ大統領に手紙を書いた。助けてほしいと。ところが待てど暮らせど返事は来ない。市長はもう一度、手紙を書いた。それでも来ない。結局3通出したあとで、オバマ大統領に見切りをつけた。そして今度はそのとき次の大統領に立候補していたトランプ候補の陣営にコンタクトをとってみた。するとすぐに返事が来たうえに、しばらくしてトランプ候補自身がやってきた。グローバル経済はこうした街をつくってしまう、だから反グローバリズムの政策をとるべきだと演説をしたのだ。この街に雇用を取り戻してみせると。
 市長と市民が感激したのは言うまでもない。それまでオバマ大統領が所属する民主党を支持していた街は、まるでオセロの白が黒にいっせいひっくり返るように、トランプ支持に回った。こうした労働者たちがトランプを大統領に押し上げたのだ。 
 その市長に聞いてみた。トランプ氏が大統領になったら、本当に雇用は戻ると思いますかと。
 すると市長はしばらく考えてから口を開いた。
「無理だろう」
「じゃあ、なぜトランプ氏を支持したんですか?」と私は尋ねた。
「トランプはこっちを振り返ってくれた」と市長は言った。「中央から見放され、忘れられていたこの街を、少なくともトランプは見てくれたんだ」
 その言葉に、ぼくは彼らの絶望の深さを感じた。
 雇用が戻ると信じているわけじゃない。でもこっちを見てくれただけで、支持することを決めたというのだ。
 市長にとって、街を見放したのは政治家だけではない。メディアの人間たちもニューヨークやワシントンという大都市に住むエリートで、自分たち労働者たちには目もくれようとしない。手紙を書いても返事をくれないオバマ大統領と、同じ範疇に入る人間たちなのだ。
 かくして、メディアの言うことなど信じなくなる。何もしてくれないエリートが難しい言葉でどんなに正論を言っても、そんなものはきれいごとにすぎない。それよりも、時に乱暴で差別用語が交じっていようとも、自分たちのところまで降りてきてエリートたちを批判するトランプ氏に快哉をさけぶのだ。トランプ大統領の「オバマに盗聴された」という言葉を支持者たちが信じると答えるのは、オバマ的なるもの、つまり自分たちには目もくれないエリートたちを攻撃する姿勢を支持しているということの表明なのだ。それに比べると、盗聴が本当にあったかどうかは大した問題ではない。だってあいつら(エリートたち)ならやってもおかしくないことなのだから。
 トランプ支持者たちと話していると、そんな彼らの思いをひしひしと感じることになる。
 そしてそこには聞くという行為にかかわる本質的なものが秘められている。

 人はおうおうにして、聞きたいことしか聞かない、ということだ。

「オバマに盗聴された」とトランプ大統領が言えば、証拠はなくてもそのまま受け入れる。その一方で「そんなのウソだ」とどんなにメディアが主張しても、そちらの言葉には耳を貸さない。
 そうした姿勢は、トランプ支持者に限るのだろうか。いや、そうではないと思う。
白状すると、ぼくもツイッターなどをぼんやりと眺めているとき、気がつくと自分と似た立場の人たちの声には耳を傾けながら、逆の立場に人たちの書き込みは「また言ってるよ」と呆れる思いで読まずに流してしまうことがある。
みんなはどうだろう。
 嫌なことはできるだけ避けて、耳触りのいいことを聞こうとしていることはないだろうか。意識していようが、無意識であろうが。
 人は多かれ少なかれ、聞きたいことを聞きたい、ひいては聞きたいことしか聞かない動物なのかもしれないと、ぼくは思う。でもだからこそ自戒の念を込めて、そのことをいつも意識しておいてはどうだろう。自分は聞きたいことだけしか、聞いてはいないだろうか。心をちゃんと開いて、耳を澄ましているだろうかと。

 

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