生き抜くための”聞く技術”

第6回 「こんな人たち」が生み出す分断

世界は2つには分けられない

 前の回で「人は自分の聞きたいことだけしか聞かない」という話をしたけれど、今の時代、その傾向がますます強まっている。戦争でものごとを解決してきた時代をへて、異なる歴史や文化をもつ人々とも話し合いによって答えを見出そうというのが(なかなかそうはいかなかったとはいえ)、第二次大戦後の世界の出発点だった。拳を振り上げるのではなく、「異なる相手」をも尊重し、その話に耳を傾けることを確認しあったはずなのだ。
ところが気がつくと、「異なる相手」は「あっち側の人たち」と断じて、コミュニケ―ションを取ることを拒否するような事態が起きている。トランプ大統領の生まれたアメリカだけじゃない。世界のあちこちで見ることができるのだ。
 それはどうしてなのだろう。とても大事なところなので、もう少し一緒に考えてみたいと思う。
 先日、安倍総理の発言が注目された。都議会議員選挙の選挙戦最終日(7月1日)、安倍総理が秋葉原で応援の演説をしたときのことだ。支持者たちは日の丸を掲げて応援する一方で、批判する人々が「安倍やめろ」と書かれた白い横断幕を頭上にかかげると、それに呼応するように「安倍やめろ」「安倍かえれ」の大合唱が広がり、あたりは騒然とした雰囲気になった。
「私たちは、こんな人たちに負けるわけにはいかないんです」
 安倍総理がこう絶叫したのは、そうした状況のなかだった。
「こんな人たち」とは誰を指すのか。
 自分に敵意を持ち、批判の矛先を向けている人たちのことであるのは明らかだろう。そこに垣間見えるのは自分を支持する人たちと、批判する人たちをふたつに分ける発想だ。批判の声を上げる群衆を「こんな人たち」とくくって、支持者たちとは違う人間たちとして分類したのだ。
 安倍総理は今週開かれた、国会の閉会中審査で「こんな人たち」発言を野党議員から問われ、「私に批判的な国民の声に耳を傾けない、排除すると受け止められたとしたら不徳のいたすところだ」と謝罪したうえで、発言をした理由については「大きな声でやじる人がいて、選挙演説が届かなくなったため」と説明した。この弁明でどれだけの国民が納得したかわからないけれど、「こんな人たち」という言葉が支持率を下げさせる大きな要因になったのは間違いないだろう。

 

世界が分断された瞬間

 ぼくはこの発言を聞いたとき、ブッシュ大統領の言葉を思い出した。
 みんなは2001年に起きた9・11同時多発テロを覚えているだろうか。なに、まだ生まれてなかった? 確かに、もう16年も前の出来事だ。とはいえ、まだ生まれてなかった人も、子どものころだったからはっきり覚えていないという人も、どこかで耳にしたことはあるだろう。4機の航空機がハイジャックされ、2機がニューヨークの富の象徴だったワールド・トレード・センターに突っ込んだ結果、110階のビルは2棟とも崩れ落ちた。それも世界の人々が生中継の映像を見つめるなかで。そして1機はペンシルベニアに墜落したものの、もう1機はアメリカの国防総省本庁舎(ペンタゴン)に激突した。
 このテロが起きたのが火曜日。当時ぼくは夕方ニュースのキャスターをしていたんだけど、閉鎖されたマンハッタンの空港が開くのを待って、土曜の再開第一便で現地に向かった。そこで見た光景をいまも忘れない。いまだ煙が立ち込め、さまざまなものが焼けた匂いが強烈にあたりに漂っていた。人々はショックで言葉を失い、涙し、行方不明となっている家族や友人の写真をすがるような思いで街中に貼っていた。
 ぼくが当時のブッシュ大統領の演説を聞いたのはそんなときだった。
「すべての地域のすべての国が今、下さなければならない決断がある。われわれの側につくか、テロリストの側につくかだ」
 自分たちの側につくか、テロリストの側につくか。世界のほとんどの人は、罪もない多くの人の命を奪った人たちの味方をするなんて思いもしないだろう。しかしテロを起こした人々が何者で、どんな歴史を背負っているのかなど、そうした情報もまだ不透明だ。
ほとんど何もわかっていないにもかかわらず、テロリストとひとくくりにして別の人間たちとして区分する。いやテロリストと分類することで非人間化し、敵意を煽ろうとする意図も透けてみえる。
 その後もブッシュ大統領はこの言葉を、ことあるごとに口にした。自分たちを支持しない国はテロリストの側にたっているとみなす。そうした脅しをきかせながら、アメリカはアフガニスタン戦争、イラク戦争へと突き進んだ。イラクへは大量破壊兵器を持っていると主張して攻め入ったものの、結局は大量破壊兵器を見つけることはできなかった。要するにいいがかりをつけて、イラクの政権を倒したのだ。その混乱が、いま世界の脅威になっている“イスラム国”を後に生み出すことになる。
 自分たちの側か、テロリストの側か。ブッシュ大統領は世界をふたつに分けてみせたけれど、そのとき実は、足元の国内もふたつに分かれていたんだ。共和党と民主党、それぞれを支持する人々の大事にする価値や考え方がもはや交差しないほど開き、一部の富める者と大多数の貧しい者との格差も取り返しのつかないほど広がっている。私がアメリカに住んでいた2004年から4年の間に、「この国は分断国家だ」というアメリカ人の嘆きを何度聞いたことだろう。いまぼくらが見ている分断されたアメリカは、トランプ大統領が誕生して初めてそうなったわけではない。すでに生まれていた分断に、ある意味天才的な煽動家であるトランプ氏が火をつけ、さらに深めたとも言えるのだ。
 アメリカだけではない。ヨーロッパでも移民受け入れをめぐって、多くの国が分断ともいえる状態におちいっている。移民に仕事を奪われていると考える、とくに地方の労働者たちの怒りから、イギリスはEU(ヨーロッパ連合)からの離脱へと舵を切った。さらに移民を受け入れて今の多様性を維持しようという人々と、移民を排斥してかつての自分たちの国を取り戻そうという人々との分断が、深くなっている国も少なくない。グローバル化によってその恩恵を受ける人と、取り残される人が生まれている、まさに今の時代の状況が、こうした分断を深めているのだろう。

 

世界はもっと複雑なはずだ

 それでは分断は何を生み出すだろう。
 立場の違う相手の言葉に対して、より耳をふさぐようになるんじゃないかな。つまり「聞きたいことしか聞かない」という人間の習性を増幅させ、「あっちの人たち」の言うことを聞く必要はないというお墨付きを与えるよう作用するのだ。
 日本の新聞をとっても、そうした傾向は見てとれる。かつてはどの新聞も、何か起きるとそれは正しいとか、おかしいとかの判断を是々非々でやっていたように思う。しかし今はどうだろう。いつの間にか政権がすることを擁護する新聞と、批判する新聞というふたつの色に分断されてしまっている。そして双方の読者たちが「あいつらまた擁護してる」とか、「あいつら批判してばかりじゃないか」といがみ合い、それぞれの主張に耳をかさなくなっている。それってなんだか不毛な気がしないだろうか。
 ふたつに分けられるほど、ものごとは単純ではないし、人間も単純ではない。ぼくたちはいろいろな価値観をもち、ともに生きる家族や仲間、地域に暮らす人々、もっと広げれば同じ国で暮らす人たちのそれぞれの持つ価値観と、一致点を見出したり、相違点を確認したりしながら、妥協点を見出そうとする。それが異なる人間たちが共生していくということだと思う。この複雑な世のなかで、関ヶ原の戦いじゃあるまいし、徳川につくか、石田三成につくか的な選択自体がばかげている。
「この人たちに負けるわけにはいかない」。そう叫ぶことから生まれるものは何もない。

 

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