■ 理性的な言論の学
山本 前回、ストアの論理学は、現在われわれが「論理学」と呼んでいる学問よりずっと広い領域をカヴァーするという話をしました。論理学の原語は、古典ギリシア語で「ロギコン(λογικόν)」あるいは「ロギコス(λογικός)」。この名前のとおり、論理学はロゴスにかかわる学問ということになる。
吉川 そしてロゴスというのは「理性」と「言葉」のこと。
山本 ストア派はこの原義に忠実に、理性のはたらきと言葉のはたらきを切り離すことなく研究したわけだ。
吉川 だからストアの論理学には、現代の論理学が扱う思考の進め方のパターンのような「理性」にかかわる問題だけでなく、それを表現する「言葉」の問題も含まれる。意味論、文法、文体論といった、現代の学問分類では言語学や文学研究にかかわるような要素もある。
山本 哲学史家のA・A・ロングは、ストア哲学の論理学を「理性的な言論の学」と表現しているよ。 (★1)
吉川 わかりやすいね。ここからストア哲学における論理学の位置も見えてくるね。
山本 うん。どんな思想も理性と言葉によって表現されるわけだから、論理学は、いわば哲学全体の屋台骨のような役割を果たしているといえる。
吉川 ストア哲学の創設者たちが、論理学を卵の殻であり、生き物の骨や腱であり、畑の囲い壁だと述べたことには、そういう意味があったわけだ。
山本 では、その論理学の内実はどのようなものだったかを見てみよう。
■ 自然と一致する論理学
吉川 とはいえ、歴史的資料が少ないうえに、後代の研究にはさまざまな議論があって、これが「ストアの論理学だ!」と確定的に述べるのはなかなかむずかしいよね。
山本 そうそう。これはストアの論理学にかぎらないことだけど、とりあえずこの連載の関心──人生がときめく知の技法──にかかわるポイントを中心に話そうか。
吉川 そうしよう。
山本 まず、ストア哲学のスローガンを思い出そう。
吉川 「自然と一致して生きる」だね。
山本 うん。このスローガンは、ストア哲学の屋台骨たる論理学にも生きている。
吉川 どういうことだろう?
山本 古典的論理学のデファクトスタンダードだったアリストテレスの論理学と対比させるとわかりやすいかもしれない。(★2)
吉川 アリストテレスの論理学といえば、有名な三段論法があるよね。
山本 「ソクラテスは人間である」「しかるにあらゆる人間は死ぬ」「ゆえにソクラテスは死ぬ」だね。
吉川 それそれ。
山本 この推論にもアリストテレスの世界観が表れている。
吉川 そこんとこ、もうちょっと詳しく。
山本 アリストテレスの世界は、言ってみれば階層的で無時間的な世界。あらゆる事物が、「こう」と決まった包含関係のうちにあると見立てられている。たとえば「死すべきもの」のうちに「人間」が存在し、「人間」のうちに「ソクラテス」が存在するといったように。ここからさっきのような推論が可能になるわけだ。
吉川 少し見方を変えて言い直せば、「ソクラテス」という個人が、「人間」とか、さらに人間以外も含むような「死すべきもの」という広いなにかに分類されている状態だ。
山本 さっき「階層的」と言ったのはそういうことだね。そして、そういう包含関係は、どちらかといえば静的で固定されたものとして捉えられている。「無時間的」といったのはそういう意味。
吉川 ここはちょっと分かりづらいかもしれないね。ストアの論理学と比べてみるとどうなるだろう。
山本 ストアの世界は、アリストテレスとの対比で言えば、個別的で時間的な世界。アリストテレスの三段論法にある「人間」のような抽象的なものは存在しない。あくまでも具体的な個物が、時間的な経過をとおして生まれたり消えたり変化したりする。
吉川 うん。そうすると、先の推論は、ストア的にはどうなるだろう?
山本 これがおもしろくてね。たとえば「この女が乳をもっているならば、それは彼女が子を生んだからである」となる。
吉川 へえ。たしかに「人間」という抽象的な存在ではなく、「この女」という具体的な存在が問題になっている。
山本 しかも、この推論には時間的な関係が入っているね。「乳が出る」のは「子を生んだ」からだ、と。世界で実際に起きているのは、そうした具体的な個物たちの時間的なふるまいにほかならないと見立てる。
吉川 こうした個物たちの時間的諸関係を認識し表現するのがロゴスの役割というわけだ。
山本 そしてそのときロゴスは自然と一致する。
吉川 なるほど。「自然に従って生きる」のスローガンが、そんなふうに生きているんだね。
山本 うん。もちろんストアの論理学には、ほかにもいろいろと注目すべき特徴があるんだけど。
吉川 もっと知りたい人は、註で挙げた参考文献にあたってもらおう。
山本 そういうわけで、次は自然学にいってみよう。
★1──A・A・ロング『ヘレニズム哲学──ストア派、エピクロス派、懐疑派』金山弥平訳、京都大学学術出版会、186頁
★2──ジャン・ブラン『ストア哲学』有田潤訳、文庫クセジュ、33-36頁