■ ストアの唯名論
山本 前回まではストアの論理学についてお話ししました。
吉川 万学の祖アリストテレスの論理学と対比させてね。
山本 ストアの論理学は彼らの世界観を反映した興味深いものだった。アリストテレス論理学が「ソクラテスは人間である」「しかるにあらゆる人間は死ぬ」「ゆえにソクラテスは死ぬ」だとすれば……。
吉川 ストアの論理学は、「この女が乳をもっているならば、それは彼女が子を産んだからである」になる。じつに興味深い。
山本 「人間」のような抽象的な存在は出てこない。
吉川 ストア派の哲学者は、「人間」のような抽象的なものは存在しないと考えていたんだろうか。
山本 どうもそのようだね。後代の研究でも、ストア哲学は唯名論的だと形容されることが多い。
吉川 唯名論というのは、本当に存在するのは個々のもの、たとえば「この女」や「ポチ」だけであって、「人間」とか「犬」のようなものは便宜上の名前や記号にすぎないと考える立場だね。
山本 うん。それにたいして、「人間」「犬」のような普遍概念(類概念)も実在すると考える立場が実在論。
吉川 この「普遍は存在するか」という問いをめぐって、中世のスコラ哲学では大論争が展開された。
山本 いわゆる「普遍論争」だね。実在論と唯名論の戦い。
吉川 かたちを変えて近現代にまでつづく議論だ。そろそろ自然学の検討に入ろうか。
■ 自然と神
山本 ストアの論理学が、「ロゴスにかかわる学」ということで、いまの日本語でいう「理性」と「言葉」の両方を対象にしていたということは覚えている?
吉川 うん。ストアの「ロゴス」という概念は、思考の規則のような「理性」だけでなく、文法や文体のような「言葉」も含んでいたから、というものだね。
山本 その伝でいうと、ストアの自然学は、「ピュシスにかかわる学」ということになる。
吉川 「ピュシス」というのは、自然学の「自然」にあたる語だね。
山本 そう。ピュシス(φύσις)は古典ギリシア語で、起源や誕生、人や事物の本性や力、自然とその秩序や法則といった意味をもつ言葉。ピュオー(φύω)といって、なにかが生まれたり成長するとか為るという意味の動詞と根を同じにする語だね。
吉川 ストアの「ピュシス」の概念をいまの日本語であらわすとどうなるだろう?
山本 そうだね。ひとことでいえば、「自然」と「神」ということになるかな。
吉川 神!
山本 うん。ストア派において、自然の概念と神の概念は決して切り離すことができないから。
吉川 もう一声。
山本 整理しようか。まず、ピュシスには「宇宙のすべての事物を生みだす力」という意味がある。
吉川 こちらは普通の意味での「自然」に近いね。
山本 ここでこう考えてみよう。そもそも、すべての事物を生みだすのは誰か?
吉川 神……。
山本 定義上そうなるよね。ただ、ストア派の神は、キリスト教の神のような人格神ではなくて、自然そのものという意味。
吉川 スピノザの「神すなわち自然」みたいだね。
山本 そうそう。だからストア派の宗教的立場は汎神論といわれる。
吉川 神と自然を同一のものとみなすわけだ。
山本 うん。神と言われると、ついギリシア神話とか『古事記』、あるいはキリスト教の神みたいに擬人化されたものを思い浮かべちゃうんだけど。
吉川 逆に擬人化せずに神を考えるのが難しいくらいだね。
山本 そこでもう少し考えてみよう。神はどんな存在だろう。
吉川 全知全能、という言葉が浮かぶね。
山本 そう。最高に知的な存在、つまりロゴスを備えた存在である。
吉川 つまりストア派の見立てでは、ピュシスはロゴスと繋がっているわけだ。
山本 だから自然学と論理学も繋がっていることになる。
吉川 ああ、それでピュシスを理解することがロゴスを理解することになるんだね。
山本 前に、ストア哲学は三つの学──論理学、自然学、倫理学──が一体になった体系だという話が出てきたよね。
吉川 うん。
山本 倫理学の話は後でするとして、論理学と自然学はこんなふうに緊密な関係にある。
吉川 なるほど。
山本 概要を確認したところで、次は自然学の内実について話そうか。
吉川 そうしよう。