ちくま学芸文庫

中尾真理『ホームズと推理小説の時代』あとがき

3月刊行のちくま学芸文庫『ホームズと推理小説の時代』より、著者・中尾真理氏のあとがきを公開いたします。中尾氏は、『イギリス流園芸入門』、 『素人園芸家の12ヵ月 イギリス式ガーデニングの愉しみ方』などの著書で、ガーデニングの愛好家としても知られていますが、熱心な推理小説のファンでもあります。英文学者による一本筋の通った推理小説論をぜひお楽しみください。書下ろしです。

 しばらく前から、時折目にする「推理小説の黄金時代」という言葉が気になっていた。魅力的な響きだが、いったいいつの時代をさすのだろうと漠然と考えていた。これが調べてみてもよくわからない。どうやら1920年代、30年代をさすらしいとわかってきたが、研究書もないので、いっそ自分で確かめてみようと思ったのが出発点である。2000年から日本シャーロック・ホームズ・クラブ関西支部に加えていただいていることも、動機の一因となった。コナン・ドイルのシャーロック・ホームズの『ストランド・マガジン』掲載を基点としてその前後を見ていくうちに、なるほどこれは「推理小説の黄金時代」だと納得できたので、まとめたのが本書である。はじめは『シャーロック・ホームズと推理小説の黄金時代』とするつもりだったが、長いので『ホームズと推理小説の時代』というタイトルになった。
 推理小説の系譜といっても、ホームズとワトスンの関係を中心に据えて読んだので、多少偏っているかもしれない。また、肝心のホームズに関する部分はごく初歩的なものなので、シャーロッキアンやホームズィアンからは今さらという声があがりそうである。天才気質の気難しい探偵と、常識人で親しみのもてる助手という構図は、単に性格の違いというだけでなく、イギリスの場合、両者の出身階層の違いに由来するところがあって、なかなか興味深い問題を含んでいる。本書では取り上げなかったが、コリン・デクスターの「モース警部もの」はその良い例だろう。日本でもテレビで人気の「相棒」シリーズのエリート秀才警部と、熱血活動型凡人刑事の組み合わせも、ホームズとワトスンに由来するのだと納得できれば、おもしろいのではないだろうか。
 引用した推理小説は六十年の年月をかけて、身を入れて読んだものばかりだ。何度も繰り返し読んだもの、何度も読んで覚えてしまったもの、英語で読んだもの、日本語と英語の両方を比べて読んだもの、本棚から引っ張り出して数十年ぶりに再読したもの、実家の古い本棚まで探して読んだもの、いろいろな読み方をしたが、どれもおもしろく読んだ。なかには調べていくうちに、もっと知りたくなって急遽アマゾンやネットの古本屋から取り寄せたもの、図書館まで行って探した本もあった。おかげで整理をしなければならない本棚にさらに本が増え、本の置き場所がなくなった。そのために書いている間も、校正をする間も、こちらの本棚からあちらの部屋、一階から二階へと、連日本を捜して家の中をうろついた。
 今回、長年、趣味でこっそり読んでいた読書を公表する気になったのは、引退して大学の仕事から解放されたことが大きい。また、辞めたとはいえ、実は週に一度非常勤講師として「英米文学史」の授業を受け持っているので、それも推理小説の系譜をたどりたくなった一因かもしれない。文学史に登場しない「推理小説」というものを、表舞台に紹介して、この先の発展を期待したいところである。
 本書は、日本シャーロック・ホームズ・クラブ関西支部で口頭発表したものや、会の論集『シャーロック・ホームズ紀要』に発表したもの、『ホームズおもしろ事典』『ホームズなんでも事典』に寄稿したものを元に、クラブ会員の活発なご意見、ご発表を聞いて新たに学習したことを加えて書きあげた。附録1の「千駄ヶ谷のシャーロック・ホームズ」は平賀三郎編著『ホームズの不思議な世界』中の同名の短編と一部内容が重複していることを、お断りしておきたい。
 さて原稿を書いたのはよいが、出版先を探さなければならない。これが一番の難問である。長期戦を覚悟していたところ、昔お世話になったことのある筑摩書房編集局の渡辺英明さんからメールをいただき、なんたる奇遇かと驚いた。校正に時間を取り、渡辺さんにはご迷惑をおかけしました。本の出版についてはコナン・ドイルも苦労したし、私が研究してきたイギリスの作家ジェイン・オースティンも、アイルランドの作家ジェイムズ・ジョイスも、ずいぶんな苦労をした。それに比して、我が身の幸運というにはもったいないような、めぐりあわせにただただ感謝である。
 最後に、コナン・ドイルにならうわけではないが、細かなミス、思い違いも多々あろうと思われる。同好の先輩方にご指摘いただきたく、お願い申し上げます。
 毎回拙い発表に耳を傾け、有益な議論で場を盛り上げてくださった日本シャーロック・ホームズ・クラブ関西支部のみなさまを始め、追分セミナーのみなさま、たびたび貴重な情報をくださったJSHCの遠藤尚彦さんに感謝の意を捧げます。

    2018年2月

                               中尾真理

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