T/S連載開始記念対談

想像力の届かせ方を創造する(2)
演劇と小説のあいだで

気鋭の劇作家・藤田貴大さんの虚構的自伝小説「T/S」のPR誌『ちくま』での連載開始を記念して、お互いにリスペクトしあうお笑い芸人・作家の又吉直樹(ピース又吉)さんとお話しいただきました。第2回は、藤田さんが「劇場」をどう読んだか、劇作家が小説を書くことの意味と悩みを語ります。お楽しみください。

■舞台の作業、小説の作業

藤田 数年前に僕も「新潮」や「文藝」で短編を書いたりしたんですけど、いつも小説という表現に抵抗感を抱いてしまうんです。僕がどの面下げて小説を書けるんだろうと。去年、『Kと真夜中のほとりで』という詩集を出しましたけど、詩の言葉は戯曲に近いものがあるというか、小説のように体裁を整えなくてもOKというところがある。戯曲はけっきょく役者が口にするもので、役者の身体を通して初めて完成するわけで、逆に言うと、そんなに舞台の上で大量の言葉は言えないんですよね。僕らが舞台で言葉に対してやっているのは、基本的には言葉を削いでいく作業であって、それはある意味小説とは正反対のことをしているわけです。やろうと思えば、どこまでも言葉で埋めていくことができる小説というもののルールにまだ馴染みきれてない、というか、小説を書く以上は、又吉さんがそうしたみたいに、自分の中で、あ、書けるかもという納得があり、読者にもそれが伝わるようなものを書きたいんだけど、そこにあと少したどり着いてないという気がするんです。
又吉 それが書けない理由なんですね(笑)。
藤田 そうなんです(笑)。
又吉 でも、そこに引っかかるというのは面白いと思います。僕も引っかかったし。みんな一人称とか信用しすぎているけど、そもそも小説を書く行為自体がものすごく変なことだし、私小説の一人称の語りを考えても、あれってどういう状況なの? 脳内に流れている言葉をそのまま出してるの? と思いますよね。でも脳内を出してるんだとしたら、本当はもっと朦朧としてたり、飛躍したり、急にエロいこと考え出したりするはずで、そういうのを丁寧に書くと実験くさくなるんですけど、逆にみんな「自然っぽさ」を疑わなさすぎという気はします。
藤田 僕の言葉で言うと、その小説がどのカメラの位置で書かれているかということですね。
又吉 「劇場」を書いたときも、話者があれだけ嫉妬深いやつで、自分の過去のいろんなことを考え直す時間を経て、好きな女性とのそういうことをどういう状況になったら書けるんだろうかと。悪いクスリを打たれてるとか精神崩壊して医者に「もう大丈夫だから、なんでも喋っていいよ」と言われているとか、そのくらいじゃないとどれだけ自分で感傷にふけっていてもそこに踏み込めないと思うんです。でも、それを書かないのも違和感があるし、僕も読者だったらそう思うだろうと。だから、そこをどうしたらいいかということをすごく考えちゃうんですね。
藤田 そこが又吉さんの面白さですよね。コントでも、あえていきなりト書きみたいなことを喋ってからコントを始めたりする。小説がそういう前置きなしで始まるのは逆に言うと、自分のことをいきなり語り出す、すごく変な状況をやっているわけです。僕らのように身体を通す表現から始めていると、それは誰が誰に対して言っているのか、それを捉えているカメラはどこにあるのかがどうしても気になっちゃう。
又吉 語り手をどう設定するかってものすごく大事だと思うんですけど、僕は一人称の語り手が喋る言葉にどれくらい正当性があるか疑いながら読んでほしいんです。もちろん素直に読んでもらってもいいんですけど、プライド高くて傷つきやすく嫉妬深いやつが、事実あったことを正直に話せるわけがないんでズレていく、そのズレを想像しながら読んでほしい。自分をより悪く言っている、ないしはひとをより悪く言っているかもしれない、でも、ふつうに生きている人間もそうですよね。
藤田 「劇場」はそのあたりが読みやすかった気がします。語り手がなににフォーカスし、なにをぼやかして、という操作がちゃんと見えたし、最後、カメラが部屋からぐっと引いていくわけですけど、そこで全体が見えてくるようにデザインされていてすごいなと思いました。
又吉 もちろん、それを意識的にやるのは大事なんですけど、その上で、言葉によって世界が構築されるのか世界があってそれを言葉で構築するのかわかりませんが、そこに自分の感覚をどう入れていくか、立ち止まって考えることが必要だと思います。
 コントの最初で店に入るときに、だいたいみんな手で「うぃーん」ってやりますけど、なんでそこでいきなり手がドアになるん? って(笑)。だいたい手のひらをお客さんに向けて開く動きをしますよね。もちろん、昔からそれをずっとTVで見てたからということなんですけど、ドアを開けるにしても、いろいろやり方はあるはずですよね。銃を撃つときもだいたい親指上げて人差し指を向けるやり方だと思いますけど、もっと写実的にグリップを持って引き金を引こうとするジェスチャーでもいいわけです。だって、本当に銃を持っているのだとしたら、前者の記号的なやり方はともすれば滑稽ですよね。その違いを意識せずに、判で圧したようにクリシェでやってしまうのはどうなんだろうと僕は思うんです。
藤田 基本的に小説はいかにリアルに語っていたとしても並行世界のものですよね。舞台と比べたら、小説は共感はできるかもしれないけど共有はできない。でも、そこで共感を求めて書いたら最悪で、共有できないというのが小説のリアルなら、そこをちゃんと書いたほうがいいと思うんです。例えば、ある人気作家さんが小劇場界を描いた小説作品があるんですけど、これが僕としては本当に不満で、小劇場を馬鹿にしてるのかとさえ思いました。それは知りもしないのに共感を求めて、下北沢の小劇場すごろくだとか、その人が出ると集客が上がるという伝説の俳優とか、どこの世界の話ですかというぼんやりしたことを書いているからです。又吉さんが「劇場」というタイトルの小説を書いたと聞いて、ちょっと不安に思ったんですけど、ちゃんと又吉さんが舞台で感じたであろう個人的な痛みや感情が書かれていてよかったんです。

次回は3月27日更新です。

2018年3月20日更新

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藤田 貴大(ふじた たかひろ)

藤田 貴大

1985年4月生まれ。北海道伊達市出身。桜美林大学文学部総合文化学科にて演劇を専攻。2007年マームとジプシーを旗揚げ。以降全作品の作・演出を担当する。作品を象徴するシーンを幾度も繰り返す“リフレイン”の手法で注目を集める。2011年6月―8月にかけて発表した三部作『かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと、しおふる世界。』で第56回岸田國士戯曲賞を26歳で受賞。以降、様々な分野の作家との共作を積極的に行うと同時に、演劇経験を問わず様々な年代との創作にも意欲的に取り組む。2013年に太平洋戦争末期の沖縄戦に動員された少女たちに着想を得て創作された今日マチ子の漫画『cocoon』を舞台化(2015年、2022年に再演)。同作で2016年第23回読売演劇大賞優秀演出家賞受賞。その他の作品に『BOAT』『CITY』『Light house』『めにみえない みみにしたい』『equal』など。著作にエッセイ集『おんなのこはもりのなか』、詩集『Kと真夜中のほとりで』、小説集『季節を告げる毳毳は夜が知った毛毛毛毛』がある。
(撮影・篠山紀信)

又吉 直樹(またよし なおき)

又吉 直樹

1980年大阪府生まれ。高校卒業後、NSC東京校へ入学。綾部祐二氏とお笑いコンビ「ピース」を結成し、人気を博す。芸人活動と並行して執筆した小説『火花』で第153回芥川賞を受賞。2016年にドラマ化、17年に映画化され、いずれも好評を博した。他の作品に『劇場』など。