漫画みたいな恋ください

第1回 両方どん詰まり

2018年4月16日~4月21日

ことしの4月、漫画家の鳥飼茜さんに日記を書いてみることを勧めました。その日から書きはじめられた日記には、いまを生きるひとりの女性の、切実な思いが描かれていました。

4月19日(木) はれ

 早朝起きてきた母と交代でベッドに入る。短い二度寝を3回くらい繰り返したあと11時に起床、母親とふたりで話すことがないのとアシスタントさんが今日から入ってくれるので仕事場に急ぐ。

 今日入ってくれてる3人はみな私より若い。唯一の男性アシスタントさんが一から男心を教えてくれるのが有難いので、ついつい深掘りして話してしまう。つまるところ彼の意見は「大人が怒っているときにはあれこれとそれらしい理屈をつけるものだが、実はそれは赤ちゃんが泣いてるのと同じようにシンプルな理由からである」という非常に含蓄のあるものだった。
 そうだよね、少なくとも自分に関して言えば、その通りとしか言いようがない。他人というのは得てして鋭い解を持っているものだ。普段関心がないくせに弱っているときだけは都合よく他人に意見を求めまくるのが私の性分である。
 昔だったらちょうどいま自宅にいる母にまずは意見を求めただろう。かつて私にとって母とは賢人そのものだった。正義感が強く公平でなにより依頼心がないのがよかった。将来私たち娘の世話になるまいと、中年期より自分の介護マンション購入のために貯蓄するほど、独立心の強い人間だった。いまもドライな人ではあるけど、いかんせん耳が遠い。
耳が遠いうえに、本人にも賢人だという自意識があるために人の話を聞かずに意見を断ずるようなところがより目立つようになった。
 自分が老いたら恐らくこのようになるだろう。そのうえ私は依存心が強いため、この婆さんよりもっと厄介な婆さんになるだろう、と自分の将来を案じている。

 仕事で帰るのが遅くなった家に息子と母がいる。息子の好きな魚料理をふんだんにつくって待っている。家中が魚の匂いで満ちているのが、私を少しうんざりさせる。私の小さいとき食卓には野菜ばかりが並んでいたが、母が私の息子につくる料理はかなりタンパク質に偏っているように見える。白身魚に貝をのせたもののホイル焼きと、さらに鯛の塩焼きまで出てくる。えんどう豆も卵でとじている。対象が女児か男児かによるのか、子か孫かによるのか、それとも単に老いて味覚が変わったのか、なぜかはわからない。
 息子と母が食事をしている、夫のいない家に働いて帰る私。老いた女と小さい男の前で、中年の女の私は振る舞い方がわからない。なぜか頑固な関白亭主のようなキャラになってしまう。

 子供でいたい。誰のというのでなく、子供でいたい。本音はそんな感じだと思う。
 タバコを吸い出したことを、今日ふたりの大人にやんわりとたしなめられた。ふたりとも喫煙者である。

4月20日(金) はれ

 夏日。昼から用事があって彼の家に行く。この人のことがまだ好きだ。よかったのかどうかわからないけど好きな人には笑っているしかない。感じよくするしかない。

 帰って仕事。今日もまた原稿の受け渡しがあり、夕方の約束が修正に手間取って終業時間ギリギリになってしまった。原稿は完成したので、頑張ってくれたアシスタントさんと無事原稿を手に入れることができた編集さんとで三軒茶屋にご飯を食べに行くことに。電話をかけるも金曜夜でどこもいっぱいで、唯一席を予約できそうな店から「15分後なら入れるがそこから来店が5分以上遅れたら席は用意できないのであしからず」という絶妙なミッションを与えられたので急いで向かう。
 繁盛してて美味しい店だった。食欲とトーク(主に恋愛について)に拍車がかかって楽しい時間だった。最終的に編集さんの出してきたお題は「恋人同士の付き合いってどうやってスタートするのか?」で、アシスタントの子は同じ彼と7年くらいの付き合いになるから「覚えてない」、で、最長2年しか男女交際が続いてこなかった私の答えは「『彼氏と別れてん!』と言えるタイミングを逃したらあとは見込み薄」。だって他に異性に彼女(彼氏)候補アピールできるときって、なくないですか。お店に与えられた時間いっぱいまで話して解散。帰宅23時ごろ。子供が別居している父親の家に行く週末は、家にひとり。

 ここ最近の私は、私自身というものについて考えまくっている。相手を優先して、恋愛を引き換えにして、うしなうかもしれない自分というものについて考えまくっている。
 それをいろんな人に聞いて回ってるうちに、だんだん視点そのものがゴゴ、と大きな音を立てて平行移動したようなところに、いま来た。
 自分なんていうのは、どう振る舞ったって自分から逃れられないのだから、自分が自分について「なんだろうこれは」と考えること自体に意味がないのじゃないか。好きな人の顔を曇らせてまで貫きとおすほどのものの正体が、自分でわからない自分に、わかるわけがない。それだったら誰かの気分を曇らせないほうがいいなあ。そんな感じのところに、来た。
 あんな漫画を描いといて、中身はスカスカなんです。とある人に言ったら、「自分なんか、皆スカスカですよ」と言われた。

 もうずっと前、ハタチくらいの頃、その当時世界の中心のように思っていた男の人に振られたとき、仲のいい女の子に泣いて電話をかけて、「あの人がいない私は生きてる意味がない」みたいなことを、多分私は言った。
 で、そのとき彼女に言われたことがいまも衝撃として残っている。
「私の世界にはずっとあなたという人間がいたし、少なくとも自分はそこに意味を持って生きてきたので、その男がいなくなったくらいのことで、私の世界からあなたという存在の意味を奪わないでほしい」
 そういう内容のこと。を、言われたのを、覚えている。で、今日また、思い出した。
 私という人間について私が考えてもあんまり意味がなくて、それよりも私がいると信じている周りの人たちこそが実存だ。自分を大事にするなんていうのはつまり、そういうこと、なのかなあ。
 こういう所まで、現在来ました。
 どうですかハタチの自分よ。
 周りの人を見るかぎり、おおむね間違ってないと思う。

 周りの人たちに報いたい。

4月21日(土) はれ はれ はれ

 滅入るくらい晴れている。先週末からずっと不眠気味だったのが嘘のように長い眠り、11時くらいに起きてまた眠る。途中子供が来週の学校に必要なものを取りに家に来て出て行ったあとまた眠る。午後3時になってもう体中に眠り欲求がぜんぜん残っていないのを確認してから起き上がる。
 外は暑そうだ、たぶん夏日だ。冷蔵庫を開けると昨日母がつくりおいていった、どう考えてもひとりで食べきれない量のおかずたちが控えている。なにか全然違うものが食べたい。近所のカフェにおしゃれなサンドイッチを食べに行こうか迷うが土曜の午後だから混んでいるに違いない。
 諦めて卵とアスパラを茹で、ふるさと納税で毎月大量に送られてくるオレンジをひとつ切ってその汁と粒マスタードでドレッシングもつくり、つくりおかれた冷しゃぶサラダのサラダのとこだけ拝借して自分用につくりかえたサラダを食べる。おしゃれな味だけど特別美味しいとも思わない。ただなんか違う味にしたかっただけなんだろう。

 早く1日が終わらないかな。外は快晴でまだまだ暮れる様子もない。いつも子供が見てるアメリカのアニメを英語音声にして勉強してるつもりになって観てみるが、まったく何言ってるかわからない。ここで笑うんだろうな、というところだけ、うっすらわかるけどこれは空気を読んでいるだけだ。
 ピアノをちょっと触ってみる。ベートーベンの「月光」、少し前から練習を続けていたけど原曲を聴いて以来そのスピードに圧倒されてすっかり攻略意欲を削がれてしまった。
 4歳からピアノを始めて中学に上がる前にやめた。あまりにも練習をしない私に母親は諦めるようにもうやめたら、と言った。ピアノは好きでも嫌いでもなかったが、いざやめろと言われると名残惜しいのか、泣いて抵抗したのを覚えている。嫌だ嫌だ嫌だ、と泣きながら、頭のどこかでああこれでもうやめられるのだ、と感じた。
好きでも嫌いでもないものも、嫌いなものも、好きなものでさえ、ああこれでもう終われるのか、という思いはある意味で甘美だ。手放すことは快楽で、抗うふりをすればするほどそれは大きくなる、小学生のときそれを知った。心の一部を占めていたものがあるときを境に、ぽっかりスペースを残して去るようなこと。大人になっても、何度もある。これからもあるだろう。

 何もすることがない。いや、仕事場に行こう、漫画の続きをやらなければ、そう思うけど体が動かない。横になったりお菓子を食べたりを繰り返してるうちに外がだんだん夕方色に染まっていく。
 三軒茶屋に行く。税理士さんに言われてた記帳をしに、あとは子供の靴がぼろぼろになってきたので、新しいのを買いに。
 手を繋いでいるカップルをすごく見てしまう。私が彼氏と手を繋いで出かけてる姿を私の知らない編集者が最近見てたらしく、今週計3人の知り合いにそれを言われた。「目撃されてましたよ」
 仲が良く見えただろうか、ちゃんと、この人たちのように。

 1分で決めた靴を買って帰る道は、もう真っ暗だった。246を走る車の光、の線。早く車の運転が上手くなりたい。ひとりでどこへでも行けるようになりたい。今日は多分漫画を描かないで終わりそう。
 まだ夜の9時。11時にならないと彼の所に行けない。
 土曜日いらない。