筑摩選書

「報われない層」を救うためのヒント
北田暁大『終わらない「失われた20年」--嗤う日本の「ナショナリズム」・その後』(筑摩選書)書評

PR誌「ちくま」7月号から、作家/活動家の雨宮処凛さんによる、北田暁大『終わらない「失われた20年」--嗤う日本の「ナショナリズム」・その後』(筑摩選書)書評を転載します。ロスジェネをはじめとする「報われない層」にとって「これからは低成長・成熟社会」がいかに残酷なものか、いま必要なのはアベノミクスを超える経済政策であることが、肉声のようなことばで綴られます。

 私たちを、忘れないでいてくれる人がいた……

 読みながら、「見捨てられてないんだ」と涙ぐみそうになった。

「私たち」というのは、ロスジェネだ。10年前、20代なかばから30代なかばだったロスジェネは、格差や貧困、不安定雇用の代名詞として語られ、その未来を案じられていた。しかし、中年化した今、この世代の問題は完全に忘れられている。最近、『非正規・単身・アラフォー女性 「失われた世代」の絶望と希望』という本を出版したのだが、すでにアラフォーとなったロスジェネの状況はより深刻になっている。ガンになって派遣切りに遭った人もいれば、婚活を始めても年齢が壁となり、自信を失う女性もいる。親の介護という問題も出てくる。社会に出た時期と就職氷河期がぶつかり、アラサーの頃にはリーマンショック。必死で働いてきたものの、非正規の仕事では貯金もできず、しかし「若くない」ことから政策の優先順位がもう上がることはないと知っているロスジェネ。

 そんなロスジェネに対して、「もう経済成長なんてできないんだからみんなで平等に貧しくなるしかないよね」「ガツガツした成長なんて時代遅れ。これからは低成長で成熟した社会を目指すべきだよね」なんて言葉がかけられたりもする。そのたびに、モヤモヤする。なぜなら、そういうことを言う人たちはロスジェネの多くが手に入れられなかったものを確実に「持って」いるからだ。安定した雇用。ローンを組んで購入した家。家族。貯金。かたや周りのロスジェネを見渡せば、40代となった今も20歳の頃と同じアパートに住み、20歳の頃と同程度の、最低賃金ギリギリの時給で働いている。貯金はゼロで多くが単身。そしてロスジェネ女性には今、出産可能年齢という新たな壁が立ちはだかっている。

 ロスジェネが注目されていた頃、「若者の貧困」が取り上げられるたびに「でも、若者は貧乏でも楽しく生きている」「だから救済する必要はない」などという言説で雑に流されたりもしてきた。が、強調したいのは、多くのロスジェネには「貧乏を楽しむ」か「貧乏に苦しむ」かしか選択がなかったということだ。「平等に貧しく」などと言っても、「持つ者」と「持たざる者」との間に「平等」など、存在しようがない。これ以上貧しくなったら確実に命に危険が及ぶという現実があるだけだ。

 北田氏は本書の中で、繰り返し経済政策に触れる。特に興味深いのは、ブレイディみかこ氏との往復書簡だ。反緊縮を主張し、なぜ、左派が経済を語らないのかを嘆き、アベノミクスを超えた経済政策を左派が打ち出すことの重要性が繰り返し述べられる。「NOと言っているだけではリベラルや左派は勝てない」。本当にその通りだ。なぜなら、今の日本は「与党がアベノミクスの成果を掲げて人びとに夢を語り、逆に野党が消費増税を言う始末」。どれほど嘘や不祥事が発覚しようともなかなか下がらない安倍政権の支持率の背後には、確実に経済政策への期待がある。

「二〇代、三〇代含めた若者にとって最優先課題は『景気・雇用』であり、この点が、新卒就職率や賃金の上昇などをしたたかに達成している安倍内閣への支持に繋がっている」という指摘に、多くの人は頷くはずだ。

 一方、世界に目を転じると、「サンダース、コービン、ポデモスのような『反緊縮レフト』が伸長している」という希望もある。「脱成長」や「みんなで貧しく」といった言葉から、過酷な労働市場や競争社会が少し「ゆるく」なるような未来を想像する人もいるだろう。が、それが大いなる勘違いであることを北田氏は指摘する。

 ロスジェネをはじめとした、「報われない層」を救うためのヒントが詰まった一冊だ。

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