私はこれまでに、何冊かの部落問題関係の本を書いてきた。書き始めたのは、同和対策事業がまだあった世紀末である。世紀が変わった二〇〇二年(平成一四)に、同和対策事業の関連法が終了した。その後、関西を中心に、同和対策にかかわる不祥事が連続して摘発され、〝同和利権〟を追及するシリーズ本がベストセラーになったりした。
ひととおりそれらの騒動がおさまり、私は部落問題に関しては、もう書くことはないだろうと考えていた。だが、その見通しは甘かった。二〇一二年(平成二四)には『週刊朝日』で部落にかかわる記述が問題になり、マスコミで大きく取り上げられた。ここ数年は、インターネット上に部落の地名や位置を掲載するサイトが登場するなど、部落を取り巻く状況は平穏ではない。部落問題は、まだ終わっていないのである。
部落問題とは、賤民が集住していたとされる部落(同和地区)の居住者に対する差別を指す。差別は依然としてあるが、ここにきて考えなければならないのは、新たな部落問題である。それは部落解放運動が抱える矛盾だ。 あらゆる反差別運動は、基本的には被差別当事者を残したまま、差別をなくすことを目指している。障害者解放運動は、障害者が障害者のままでいることを前提にした反差別運動である。健全者になることを目指しているわけではない。そもそもそれは運動とは呼べない。民族やセクシャルマイノリティが主体となった運動も同じである。
では、部落解放運動はどうか。歴史的には、他のマイノリティと同じように、部落民が部落民のままであることを前提にした運動である。部落民からの解放ではなく、部落民としての解放を目指してきた。
ところが現実には、部落民であることを公にしている人は少ない。芸能人やスポーツ選手には、少なくない部落出身者がいるが、彼ら彼女らが出身を明らかにして活動することは、ほとんどない。〝部落出身〟という四文字には、いわくいいがたいイメージがつきまとっているからである。
加えて部落出身者は、民族や身体などにおいて、これといった差異がないため、〝同じ〟であることを前提にしたマイノリティである。当事者にしてみれば、他と区別する〝部落出身〟というカテゴリーは認めがたい。それもまた、出自を公にする者が少ない原因になっている。
その意味においては、出自を言いたくない、言う必要がない、隠したいというのは、自然な心理であろう。ところがこれが、結果的に部落問題や部落解放運動をますますわかりにくくさせている。
部落解放運動は、部落民としての解放を志向しながら、「どこ」と「だれ」を暴く差別に対して抗議運動を続けてきた。しかしそれは出自を隠蔽することにもつながる営為であった。部落民としての解放を目指しながら、部落民からの解放の道を歩まざるを得なかった。
差別をなくす過程で、部落を残すのか、それともなくすのかという課題を、私たちは整理できていないのである。現在起きているさまざまな問題は、この部落解放運動が抱える根本的矛盾から派生している、と私は考える。
本書は四章で構成されている。部落(賤民)が解放されるはずであった明治初期から現在までの約一五〇年を追ったのが、第一章である。だれが部落を残してきたのかを、私なりに整理してみた。
特定の人物をひきずりおろすために「部落出身」という烙印が機能し、それを取り上げた雑誌が売れた。第二章は、『週刊朝日』の記事をめぐるジャーナリズムのあり方について考える。そこには売り上げ至上主義や、安易に人物とルーツを結びつけたり、取材不足のまま物語を構築するノンフィクション作家たちの資質という問題があった。同時に、取り上げられた人物や、その家族が、部落をどう見ていたのかという別の問題も浮かび上がるだろう。
すぐ前にも述べたように、部落解放運動は、部落民としての解放を志向した。ところが現実には、多くの部落出身者は、部落民からの解放を目指し、地名に代表される部落の具体性を明らかにすることを避けてきた。それは運動団体に所属するメンバーも例外ではない。一本の映画の公開をめぐる、運動団体の主張と混迷を第三章で取り上げた。
これまで部落解放運動はどんな取り組みを進めてきたのか。また、どんな成果を上げ、矛盾を抱えているのか。部落を残すこと、それを語り継ぐことが果たしていいことなのか。大阪にある部落を通して、これからの部落解放運動のあり方を第四章でさぐった。
いずれもわかりにくく、とっつきにくい部落問題の過去と現在が見通せるように書いたつもりである。