すべての女優は裸になる
原 『ドキュメンタリーは格闘技である』に掲載されているCINEMA塾は10年続けています。最初は深作欣二監督で、山口県でやりました。深作監督にお願いしたとき、荻野目慶子さんも一緒にといったら「いいよ」といってくれた。みんなは1日中やっているんですが、深作さんは2時間話をして解放されたら、荻野目慶子と釣りに行くんですよ。要はそれを楽しみに来ているんです。それなのに、本のなかでも、性以外については深作さんは話しているんですが、女の話だけは逃げたんですよね。
私は“監督と女優の関係”に焦点をあわせてやりたいと思ったんですよ。
末井 新藤兼人監督も自分の気に入った女優を意味もなく裸にするんですよね。
原 しかも、ストーリーと関係なく。ちょっと豊満なボディの新人女優を起用して、雪山のきれいな風景のなかで裸になるんです。それについて聞いたとき、新藤さんは監督の特権だというんです。しかも後日談があって、晩年の新藤作品のプロデューサーを息子さんの新藤次郎さんがやられています。新作を撮る際にオーディションをやるのですが、それは、次に裸になる女優をオーディションをやるということになるんです。その時、息子がこの子ならどうだろうと、親父にいうと「うん」というそうです。なんといい話でしょうか。
それはそうと末井さんは子どもはつくらないんですか?
末井 いろいろありまして。前の奥さんは身体の事情でつくってはいけなかったんですが、いまの奥さんとは不妊治療とかやったんです。病院でエロビデオを見ながら、精液をとって、医者といっしょにモニターで見るんですよ。
原 ちょっとまってください。そんなビデオがあるんですか。
末井 宇宙企画のエロビデオが。いまは知りませんよ。看護師さんはやってくれないですよ。
原 自分では、チョット、というとき女性を同伴することは可能ですかね。
末井 たぶんいいと思いますよ。それで、採取した精子をモニタ―で見ると動いているんです。それを先生が見ながら「動きが鈍いね」といわれてショックでした。
原 男としての能力が弱いという感じでショックですよ。
末井 それが原因かわからないのですが、できなかったんです。
原 子どもがいないことに寂しさを感じてないですか。
末井 それはないですね。僕は子どもが嫌いなんで、ただ女の人はアイデンティティが子どもにあることがありますから、でもいなければいないでいいです。
原 そうですか、あの奥崎謙三が晩年子どもが欲しいと言ってました。その経緯はちょっと驚きました。
末井 そういった裏話が書かれた、『ゆきゆきて、神軍 制作ノート+採録シナリオ』がおもしろいですよね。DVDとセットにして復刊してほしいですよね。これを読むとほんと無茶苦茶なんです。
原 無茶苦茶ですが、自分の使命に誠実な人なんですよね。
末井 殺しの現場を原さんに撮って欲しいとか。原さんのお母さんに代役を頼むとか。
原 発想がユニークなんです。最初はこんなイメージではなかったです。ぼくらが今村昌平さんに紹介されて奥崎さんに会った時、自分は新興宗教をつくろうと思っていると聞いて、最後のシーンは奥崎さんが神様になるところで終わるという構想でした。もっと笑いありの。
映画は金がかかる
原 最初に奥崎さんに会いに行った時、映画を撮るとなるとお金がかかりますが、どんなふうに考えていますか?と聞かれて、それは僕らが責任を持ちますと、言いきったら信用してくれたのです。お金目当てで来たのではないという不信感は払拭されました。
末井 ドキュメンタリーはお金が大変ですよね
原 これは実はイマヘイ(今村昌平)さんからの話だから、今村プロがお金(製作費)をだしてくれると思い込んでいました。だから啖呵を切ったわけです。帰りの新幹線でプロデュサーの小林と相談して、今村プロが1000万とか出してくれるだろうと、しかし1000万だと足りないから、もうちょっとお金を作ってなんとか出来るんじゃないと。で、東京に帰って、イマヘイさんにやりたいと報告したら、「金はどうするんだ」といわれて、一瞬にして私は真っ暗になりました。やりますと言った後ですから、もう恰好がつかなくて、なんとかします!と。それを小林にいったら、笑って「私なんとかするから」と。最初から資金は自分たちで作るんだってことがわかっていたら映画製作を躊躇していたと思います。
僕らの疾走プロは自分たちでお金をつくっていますけど、末井さんは「雑誌を出すからお金を出す」と言わせるわけですよね。その秘訣ってなんですか。
末井 ひとつは企画書。僕、書くのがうまいんです。でも10万部つくって9万部返品ということもありましたから。写真時代は全盛期で35万部売れている時がありましたよ。
原 それはいくらもうかるですか? ボーナスとかもらえるわけですか。
末井 一番多い時で2000万円ぐらいもらってました。でもみんなギャンブルでなくなりました。給料も高くてもボーナスも高かったですからね。
原 僕ら映画で何千万もらったという話は聞かないですね。
末井 それは会社にいたからですね、パチンコの雑誌が売れて、社長がお札を刷っているようなもんだと言ってました。
『極私的エロス』がそんなにお客さんが入ってもお金にならないんですか?
原 600万くらいの製作費で、それでも借金を返すのに数年かかりましたよ。いまの3000万くらいにあたるでしょうか。フィルムだとお金かかるんです。神軍でようやくお客さんの入りでフィルムの製作費を返せました。その後、ビデオ屋さんで売れて、その分の収入が2000万ぐらい手元に残った。それを『全身小説家』に投資したけど、戻らなかった。いまのDVDが細々とあるので、それで動けているという感じです。お金の話は暗くなりますね。
末井 映画はお金かかりますよね。
原 昔は11分で生フィルム、それを現像して、ラッシュプリントをとって見られるようにすると4万円かかりました。1人にインタビューすると1時間、2時間かかり、それで6本とか回すと30万くらいかかる。井上さんの時は、5、60人にインタビューしてそれで1000万を越えましたからね。
奥崎謙三は主演男優賞?
末井 もっとドキュメンタリーとフィクションとの関係について聞きたいと思います。本を読むと「生きて映画をつくる。そのように生きることそれ自体がフィクションだという言い方にまで、自分のなかでフィクションに集約、濃縮されてきている実感がある」とあるのですが、この辺をもうちょっとわかりやすく噛み砕いて話してもらえますか。
原 現場に即して言いますと、奥崎さんが新興宗教を起こすということで、新興宗教には神殿っていりますよね。奥崎さんの思う神殿ってどんなんですかと聞いたんです。そうしたら、私の思う神殿は独居房にあるんですと言い出しました。そこで、観に行きましょうということになり、神戸拘置所に出かけました。そしたら、警備員が出てきまして、「おまえ何やっているんだ」といわれ「奥崎という人が許可を取りに行くので、それを撮影するんです」といったら、「それを許可をとってからやりなさい」といわれ、押し問答でした。結局押し出されて、奥崎さんが一人で行き帰ってきたときに、急に警備員に「おまえらガードマンやないか」と怒り出したんです。なんで怒り出したかわからない。でもカメラを回して、ひととおり回したら落ち着いて、「原さん、いまの演技はどうでした」と聞くんです。びっくり仰天しました。高邁なことをいっていたのが全部演技だったんです。
それでショックをうけて、彼は演技という感覚を常に持っていたんだと思い知るんですよ。それ以降、私はカメラを回しながらずっとしらけていたんです。その後から自分でも、「神軍平等兵奥崎謙三を演じられるのは私、奥崎謙三以外にいないのであります」と街頭で堂々というんですよ。奥崎さんが神軍平等兵を名乗ること自体がフィクションだとわかったんです。そうすると、兄貴を処刑されたという人が奥崎さんと一緒に行動してたんですが、途中喧嘩別れしてその人の代役をたてるという発想も無理なく理解できる。
面白いことに奥崎謙三がキネ旬で主演男優賞2位だったんです。地方ごとにもベストテンをやっていて確か東北では1位でした。しかも裁判中にそのことをいうんです。これが自分のやったことが正しい証拠でありますと。
また、ベルリン映画祭、ロッテルダム映画祭でも賞をもらったら、批評家からの質問で、「この映画はフィクションですかドキュメンタリーですか」というんですね。
しかし、僕が子どもの頃にはドキュメンタリーとフィクションは対極でしたが、いまはドキュメンタリーはフィクションであるという見方が世界的に主流となりました。
末井 僕も原稿書いていて、やはりサービスがはいっちゃう、事実がオーバーになったり、まがったりするんですよ。そうするとノンフィクションといえるかどうか。
原 それは井上光晴さんが、「原爆の語り部が一番最初に話すときに、どこがウケてウケなかったかをもとに、2回目に話をするときには、ウケなかったところを落として、ウケたところを広げる、それをくりかえしていくことでフィクションになっていく」と話してました。
ずいぶんレベルの高いところまできてしまいました。末井さんとはまたお話させていただければと思います。
前編はこちらからご覧いただけます。