金田淳子

round.3 『同棲ヤンキー赤松セブン』1巻

漫画・アニメ・小説・ゲーム……さまざまな文化表象に、萌えジャージにBLTシャツの粋なフェミニストが両手ぶらりで挑みます。うなれ、必殺クロスカウンター!! (バナーイラスト・題字:竹内佐千子)

 いきなりだが今回は、「フェミニスト両手ぶらり旅」というより、「やおいびと両手拝み旅」といったあんばいの内容なので、何らかの手厳しい批評を期待してきた人は、すまないが帰って欲しい。

 今日の推薦作品は、Shoowa原作、奥嶋ひろまさ作画の『同棲ヤンキー赤松セブン』1巻(秋田書店)だ。まずこの時点で「おやっ、珍しい作品だな」と思った人は、なかなかの通(つう)だ。
 そう、原作者が人気BLマンガ家で、作画が青年マンガ家なのだ。
 BLジャンルでは、2人以上のユニットから成る作家はそれほど珍しくはない(特に女性同士のユニットが多い)が、原作がBLマンガ家で、作画担当が10年以上のキャリアのある青年マンガ家という組み合わせは、私の知るところおそらく本邦初の試みなのではないかと思う。そもそも、BLは女性の書き手・読み手によって成立したジャンルなので、男性であることを隠していない作家がBLの原作または作画(または両方)に関与していること自体が(無いわけではないが)珍しい。

 原作者のShoowa氏は、ラフながら色気のある絵柄と、コメディとシリアスの両極に振れる作風が特徴で、人気を博している。特にコメディ作品でのヤンキー青年の描写には定評があり、若々しい「バカ」っぽさをセリフや表情で愛くるしく描く。キャラが二人以上になるとさらに「バカ」っぽさがインフレするのもShoowa作品の魅力だ。また、特にコメディ作品では男性同士のセックスや、同性への性欲について、後ろ暗くなく、コミカルで、日常的なものとして描く傾向がある。私のおすすめ作品は『イベリコ豚と恋と椿。』(海王社)だ。
 作画の奥嶋ひろまさ氏は、青年マンガらしいはっきりした線で、美麗な男性を描く。
青年マンガ誌の作品でも、男性キャラが何でもないシーンでなぜか頬を赤らめている(頬に斜め線が引かれている)ことが多く、キャラのたたずまいが可愛らしい。もちろん普段は原作もご自身で担当しており、料理上手の主人公が、クラスメートに弁当をふるまうことで不良高校の覇権を握ろうとする『頂き!成り上がり飯』(全7巻、徳間書店)は、女性の間でも人気がある。

 この異色タッグによる、ウェブBLマガジン『カチCOMI』掲載の『同棲ヤンキー赤松セブン』、私は第一話を読む前から「ベストマッチなのでは」と思っていたが、実物を読んでみて本気(マジ)でやばいッス、すげえッスと驚いた。

 この作品、発表されたマガジンを知らずに読むと、もしかすると最後までBLだと気づかず、「青年マンガ(または少年マンガ)だな」と思う人がいるかもしれない。
 なぜなら、主人公である赤松とセブンの間に、かなり後のほうまで性的な接触が起こらず、またそれ以上に、二人の心情描写が最小限で、恋愛感情や性欲が言葉としてはほとんど描かれないからだ。

 多くのBLマンガでは、身体的な接触が最後まで起こらなかったとしても、メインキャラの恋愛感情や性欲、または恋愛だと自分でも気づいていない淡い気持ちなどが、かなり初手から描かれていることが多い。なにしろBoysのLoveなので、恋愛感情について、その発生から終着駅までじっくり執拗に綿密に描くものなのだ。

 ところがこの『同棲ヤンキー赤松セブン』、抑制的というか禁欲的というか、はたまたある意味で青年マンガ的というか、恋愛感情と性欲が描かれない。やむを得ない事情で、ひとつの布団に同衾したり、横たわったセブンの上に赤松が覆いかぶさって密着したり、二人で風呂に入りセブンが赤松の身体を洗ったりするが、「何ソレ」という「戸惑い」以外の気持ちが、なかなか描かれない。
 これまでのShoowa氏の作品でも、内語(内心の言葉)による感情描写は、比較的、少なめだと思う。特にコメディ作品では、特徴的な書き文字の乱舞によって言葉がじゃぶじゃぶにあふれ出している一方で、言葉にならない感情は、表情のみ(それも大ゴマなどではない)で表現されたりする。このような作風を奥嶋ひろまさ氏が絵にしたことによって、さらに抑制の効いた演出になっている。なにしろ、セブンが赤松のちんちんをしごく場面すら、セブンが「慣れてっから気にすんな」と事務的に始めるのもあり、「性的なソレではないのかも?」と思えてくるのだ。

 これは、男同士のどんな些細な接触からも性的なものを読み取り、性的なものとして描き出そうとする、やおい精神・BL精神からすると、ちょっとした事件と言える。私の見分が狭いというのもあるが、「こんなBL、見たことない」と思った。
 しかも、エロくないというわけではない。主人公たちにとっては実際、「まだ」エロくないのかもしれない。しかしそのことも含めて、この行き届いた抑制のされ方が、読者の私にとっては逆に、言葉にならない感情のひだの細かさ、いじらしさに感じられ、「お前らのそういうところが……」と、エロく感じられるのだ。これはあたかも、BLレーベルでない少年誌や青年誌を読んでいるときに、ふとした描写(男が男を見つめるなど)によって妄想力のスイッチが入り、たいていのものがエロく見えてくる現象と同じだ。『同棲ヤンキー赤松セブン』は、BL誌に載っているくせに、青年誌を読んでいるときの「あの感じ」を想起させる。オリジナルのBL作品でありながら、読者にとって二次創作的な面白さをも提供してくれている、と言える。ジャンルを超えた合作によって、BLジャンルの可能性をまた少し拡張してくれたように思う。

 ちなみに、ややネタバレになるが、赤松がゲイであることをのちに知った時、セブンは、良かれと思って赤松の身体を洗ったり、ちんちんをしごいてしまったことについて、(ゲイが気持ち悪いということではなく)デリカシーに欠ける行動であったと激しく後悔する。友人がゲイであると知った時に、異性愛を前提にしてやらかしてしまった自分の軽率な行動を、自発的に深く反省するというのは、簡単なようでなかなか難しい。溝口彰子は『BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす』(太田出版、2015)で、BLジャンルで生まれたゲイ・フレンドリーな作品を紹介しているが、今作もまた、その系譜に連なるかもしれない。そういった意味でもおすすめできる作品だし、今後の展開が楽しみでならない。