2021年、あけましておめでとうございます。あまりにも更新されないので全員がこの連載の存在を忘れ、ワンチャン、「新連載だな」と勘違いしているようにと願いつつ、気分も新たに旅していきたいと思います。
今回取り上げるのは、吉川トリコの小説『夢で逢えたら』(文春文庫)。女芸人と女子アナという、二人の対照的な女性を主人公に据え、2010年代半ばから現在のコロナ状況下まで、実在の芸能人名や番組名、実際に起きた事件をふんだんに引きつつ、女たちの闘いを描いた物語だ。
ここで私の「両手ぶらり」度合いを披露するが、およそ00年ごろから現在に至るまで、テレビ番組、特にバラエティやお笑いをあまり見ていない。低俗なので観たくないといった高尚な理由でなく、単純に部屋にテレビが無いからだ。
そのまま年を追うごとに芸能界に疎くなり、今では『HiGH&LOW』シリーズの主要キャスト以外はほとんどわからないし、「香水」という超有名な曲(らしい)も聴いたことがない。もともと三次元の人間を覚えるのが極端に苦手ということもあり、「女子アナ」についてはさらに疎く、誇張なしで、TBSラジオ『アフター6ジャンクション』に出ている3人しか知らない。最近では「アンジャッシュのコントかよ」というツッコミの意味が分からず、ググって調べたりもした。かつて指導教官(上野千鶴子先生)が「みのもんた」を知らなかったので、「みのと、もんたのコンビですよ」と嘘を教えたものだが、もはや「アンと、ジャッシュのコンビですよ」と教わる側になってしまったわけだ。
そんな私だが、「お笑い業界は基本、男社会」ということは知っていた。というのも90年代まではテレビを普通に見ていたので、男性のお笑い芸人がさまざまな冠番組を持っている一方で、女性のお笑い芸人が冠番組を持つことは(首都圏では)ほとんどないことを知っていたからだ。それが「女芸人が面白くないから」というよりは、本作でも折に触れて書かれているような「女性は面白くない」と決めつけ、女性を枠にはめてしまう業界や世間のせいだということも、私は前もって気づいていた。なぜなら、お笑いというジャンルではないにせよ、私は小学生の頃から女性たちが描く同人誌に親しんでおり、女性だけで構成されたコミュニティで女性たちがめちゃくちゃに面白い、ということを経験的に知っているからだ。
『夢で逢えたら』の主人公・金木真亜子もまた、女である自分の面白さに自信があり、テレビ業界で天下を取りたいと思っている女だ。真亜子は「いつか『笑っていいとも!』に出たい」という野望を胸に、天才型の相方・早野美姫を見出して「Hi!カロリー」というコンビを組み、プチブレイクを果たす。しかし美姫は、これ以上容姿いじりをされたくないという理由で引退してしまう。そう、女芸人のブスいじりやモテないネタは鉄板として乱用されがちであり、「Hi!カロリー」の人気もそれに依存している部分があったのだ。幸か不幸か美姫は、「人気者になれるなら、いくらでも言葉で殴られていい」と割り切れるような女ではなかった。
このとき美姫が書いた、テレビの世界の女ヒエラルキーが面白い。一番下に女芸人。次に女子ドル、モデル、女優と来て、一番上が「女子アナ」だ。「女優に負けず劣らずの美貌を誇りながら決して美に溺れず、清楚で控えめなヘアメイク&ファッション。(中略)女の最終形態、それが女子アナなんだわ」(33頁)と、美姫は論ずる。このヒエラルキーが現実に正解なのかどうかは分からないが、芸能界に疎い私は思わず「なるほどですね」とノートにメモしたくなった(女子アナムーブ)。
もう一人の主人公である上河内佑里香は、この「女の最終形態」こと、女子アナだ。しかもキー局の「お嫁さんにしたい女子アナNo.1」。つまりテレビの世界では無敵であるはずなのだが、そんな彼女も男社会の壁にぶつかる。そう、テレビという男社会では、ヒエラルキーの頂点にいる女でさえも、さらに上にいる男相手に権謀術数を駆使し、自分を差し出さないと生きていけないのだ。そもそも「男子アナ」という言葉はないのに「女子アナ」という言葉があり、両者が実際に別種の役割を担わされがちであることが、テレビが男社会である一端だ。アラサーになっても天然のままで、権謀術数を身に着けていない佑里香は、難局を乗り切ることができず、テレビ局を退職することになる。
金木真亜子と上河内佑里香、ヒエラルキーの底辺と頂点でありながら、それぞれに行き詰まっている似た者同士が抜擢され、新番組のメインを張ることになるが……この先の顛末は、ぜひ本書を手に取って楽しんでほしい。