金田淳子

round.8 『実録 泣くまでボコられてはじめて恋に落ちました。』

漫画・アニメ・小説・ゲーム……さまざまな文化表象に、萌えジャージにBLTシャツの粋なフェミニストが両手ぶらりで挑みます。うなれ、必殺クロスカウンター!! (バナーイラスト・題字:竹内佐千子)

 前回、前々回と「フェミニズム文学」と評価されている海外の有名作品を取り上げた。私としては上野千鶴子ゼミでレジュメを作っている時ぐらいの、かなりまじめな気持ちで書いているのだが、そのせいもあり、明らかにこの連載の評価基準(ハードル)が上ってしまった。LDH主導で作られたドラマ『Prince of Legend』を、「前よりも女性キャラ描写が良くなってるよ!」と、孫のよちよち歩きを見守る祖父母のような気持ちで褒めていたころの私はどこへ行ったのか。担当編集もかなり前から「ハードル下げてください」と涙声になっているし、正直なところ、私が一番つらい。 
 そういうわけで今回からかなりハードルを下げていくが、かといって今回取り上げる作品が、これまでより劣った作品だというわけではないので、安心してほしい。

 ペス山ポピー『実録 泣くまでボコられて恋に落ちました。』(新潮社)については、1巻が刊行された頃、書店で平積みだったので存在を知っていたが、特に興味をひかれなかった。最近「後日談」が書き足されて、ツイッターで「後日談を読むと、180度、話が違ってくる」と話題になっていたため、気になってやっと読んでみた。ペス山氏(身体は女性)が、幼少期から「イケメンに殴られたい」という性欲を自覚して悩まされてきたこと、開き直って性欲を満足させようと出会い系サイトに登録し、数人の男性と出会って経験した出来事が描かれている。次々に起こる出来事とペス山氏の感情がわかりやすく整理されたマンガで、私はだんだんペス山氏を好きになり、「この人の性欲が満たされるといいな、恋が成就するといいな」と応援しながら、夢中になって一気に読んでしまった。

 このエッセイマンガがフェミニズム的な意図で描かれているか? と言うと、(特に「後日談」よりも前の部分は)そういうことは無いと思う。ペス山氏は自分の性別に違和感がある(自分のことを「気弱な成人男性」のように感じている)らしいし、「イケメンに殴られたい」というマゾヒズム的な欲望は、確かに一般的に広く共有されている欲望ではなさそうなので、「身体の性別に対する違和感と、少数派の性癖を持っている人」の話として描いたのではないかと思う。
 しかしここで私が注目したいのは、本作でペス山氏が、日常生活やセックスやデートの際に、身近な人から女性身体を持っていると認識され、女性らしさを期待されているがゆえに経験させられた出来事について、悲しみや嫌悪、違和感を抱いたことが、丁寧に描かれているという部分だ。このような否定的な感情は、ペス山氏が「身体の性別に対して違和感がある」「少数派の性癖を持つ」から、すなわち「特殊な人」だから抱いた、一般化できない「特殊な感情」ではない。それは実は「普通の女」たちも、多かれ少なかれ抱いているものだ。
「普通の女の人は私みたいに苦しまないんじゃないの……? だってそのほうが双方都合がいいんじゃ」「普通の女をなんだと思ってんだ それはあんたがおかしい」。これはペス山氏が「後日談」で、失恋について母親に打ち明けた時の会話だ。母親に指摘されてペス山氏は初めて、「どうせ女なんだし」という過去の自分の口癖を反省的に思い出し、「私自身が女性を強烈に差別していたのではないだろうか」と気づく。

 ペス山氏の「私自身が女性を強烈に差別していた」という気づきは、誰にとっても他人事ではない。ペス山氏と私の年齢差はおそらく二十年ぐらいあると思うが、ペス山氏が幼少期に女友達から「ポピーちゃんだって女の子なんだよ!?」と庇われてどんな悪口よりも傷ついた、という感覚を、実は私も幼少期に感じたことがある。私は身体の性別について違和感があったわけではないが、それでも小さい頃は「女の子なんかじゃない」「男の一員に加わりたい」という気持ちがあった。その後も長い間、自分の外見や行動や能力が「女らしい」と評価されることについて居心地の悪い思いをし、「男みたいだ」と言われることを誇らしいと思っていた(念のために書いておくが、幼少期の私がこのように思ったのは、「男は女よりも優れている」という命題が「生物学的に明らか」だからではない)。

 ペス山氏が、他の誰でもないペス山氏であるがゆえに抱いた感情を、あまり一般化しすぎるのも雑で、よろしくないとは思う。しかしこの『実録 泣くまでボコられて恋に落ちました。』で、実体験に即して丹念に描かれた違和感の数々は、性自認が女性でありマゾヒズム的な性癖があまりない私にとっても、直視するのが面倒くさい、恥ずかしいと思っていた感情に光を当ててくるものだった。「キム・ジヨン」現象になぞらえれば、「ペス山ポピーは私だ」。そんなことを言うとペス山氏は呆れるかもしれないが、ペス山氏が類まれな自己観察力で描きだしてくれたこのエッセイに対して、私は、私自身を照らし出して裸にしてしまう光のようなものを、つい感じてしまっている。

【おまけ】
『グラップラー刃牙』を金田淳子がBLとして読む感想が、なんと書籍化されるよ!

金田淳子のツイッター → @kaneda_junko

 

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