ちくま学芸文庫

『増補 普通の人びと』訳者あとがき

5月刊のちくま学芸文庫『増補 普通の人びと:ホロコーストと第101警察予備大隊』より、谷喬夫氏による「訳者あとがき」の一部を抜粋して公開します。刊行前重版が決まるなど大きな反響を呼んでいる本書。その意義と、今回の文庫化にあたって増補された内容について紹介しています。ぜひご一読ください。

 本書は、Christopher R. Browning, Ordinary Men: Reserve Police Battalion 101 and the Final Solution in Poland, revised edition, 2017の全訳である(原著初版は1992年刊)。著者のブラウニングは、合衆国でパシフィック・ルター大学、ノース・カロライナ大学の教授を務めた。著書は本書以外に次のものがある。

 The Final Solution and the German Foreign Office, 1978.
 Fateful Months: Essays on the Emergence of the Final Solution, 1985.
 The Path to Genocide: Essays on Launching the Final Solution, 1992.
 Nazi Policy, Jewish Workers, German Killers, 2000.
 Collected Memories: Holocaust History and Postwar Testimony, 2003.
 The Origins of the Final Solution: The Evolution of Nazi Jewish Policy, September 1939 -March 1942, 2004.
 Remembering Survival: Inside a Nazi Slave-Labor Camp, 2011.

 ブラウニングはドイツ現代史ならびにホロコーストの研究者であるが、研究分野でその名を一躍高めたのは何といっても本書によってであろう。そしてこれまでの研究を集大成したのが、浩瀚なThe Origins of the Final Solution である。
 ナチがヨーロッパ・ユダヤ人絶滅政策をユダヤ人問題の「最終的解決」としてめざすようになったのは、対ソ開戦(1941年6月)の前後である。それまでは、ナチのユダヤ人政策は、暴力や掠奪をともなったとはいえ、基本的にユダヤ人の国家生活からの排除、国外追放を主としていた。パレスチナ移住計画とともに、ポーランド東部のルブリン居住区構想やマダガスカル島への追放計画が、真剣に検討されていたのである。ところがそれが、ヒトラーが対ソ戦をボルシェヴィキ=ユダヤ人の撲滅戦争と宣言するあたりから、大きく転換してゆくことになった。国外追放から物理的抹殺へのこの方向転換は、いつ、だれの命令によって、どのように生じてきたのであろうか。ヒトラーやナチ指導部のユダヤ人絶滅政策に対する欧米の研究では、これまで「意図派」と「機能派」の対立が話題になってきた。
 この論争は、ナチによるホロコーストの遂行が、ヒトラーの一貫した絶滅意志、意図から十分に説明できるのか、それとも、戦争の経過、現地の指揮官のイニシアティヴ、戦時労働力、食料や疫病などの状況的因子の組み合わせによって理解されるべきなのかをめぐって争われてきた。また最近ではG・アリーのように(『最終解決』山本・三島訳、法政大学出版局、1998年)、東部ゲルマン大帝国建設構想とその挫折、すなわち原住民の追放および民族ドイツ人の移住政策との関連を重視する研究も出されている。わが国のホロコースト研究としては、栗原優『ナチズムとユダヤ人絶滅政策』(ミネルヴァ書房、1997年)、永岑三千輝『ホロコーストの力学』(青木書店、2003)、芝健介『ホロコースト』(中公新書、2008年)などが代表的なものである。
 論争の背景には、第三帝国におけるヒトラーの政治指導力をめぐる議論がある。概していえば、「意図派」がヒトラーの指導力を強力なものと理解しているのに対して、「機能派」は国家内部の諸勢力のせめぎあいや国際関係を重視し、ヒトラーの指導力は状況の関数であったことを強調した。
 ブラウニングは自らの立場を「穏健的機能派」と呼んでいるが、それはホロコーストのプロセスが紆余曲折のある道で、基本的に状況の関数(機能)であることを認めながら、ヒトラー自身の決断がやはり決定的な影響力を発揮したとする立場である。つまり二項対立を強調するのでなく、両者の複雑な絡み合いを解きほぐそうとするもので、今日の研究はこうした方向へ進んでいると言えるであろう。

     *

 原書が上梓されたとき、ヴァルター・ライヒは『ニューヨークタイムズ・ブックレビュー』の第一面で次のように述べている。「細部を照らし出し、しかもわれわれを圧倒する力を持ったこの書物、『普通の人びと』で、クリストファー・R・ブラウニングは普通のドイツ人を対象に、彼らがホロコースト遂行にあたってなにを為したのかだけではなく、心理学的にみて、いかにして彼らが普通のドイツ人から人類史上極悪非道な犯罪への熱心な参加者に変わっていったのかを、これまでわれわれが理解していた以上に、よく明らかにしてくれている。こうした研究によって、ブラウニングは、比類なき邪悪さも受け入れてしまう人間の能力に探索の光をあてようとしているのだ。本書は知的衝撃と、さらに自己認識に潜む恐怖を、われわれの心に残してゆく。」本書の意義については、ライヒがこのように的確に表現しており、また本書は歴史の専門家にだけ向けられたものではないので、特別な「解説」を必要としないように書かれている。あえて蛇足ながら、本書の意義として次の二点について若干述べておきたい。
 第一に、本書は、射殺によるナチ・ホロコーストの実際を、加害者の証言を豊富に引用しながら、具体的かつ鮮明に描きだしている。それはあまりにもリアルで思わず目を背けたくなるほどである。ユダヤ人絶滅政策といえば、すぐにアウシュヴィッツ―ビルケナウに代表される絶滅収容所のガス殺戮が念頭に浮かぶが、現実にはホロコースト全犠牲者(およそ600万人)のうちおよそ20パーセントから25パーセントが射殺によるものである。絶滅収容所の実態については、それを生き延びたユダヤ人によって、フランクル『夜と霧』(霜山徳爾訳、みすず書房)、ヴィーゼル『』(村上光彦訳、みすず書房)、レーヴィ『アウシュヴィッツは終わらない』(竹山博英訳、朝日新聞社)などが書かれ、わが国にも紹介されてきた。しかしユダヤ人射殺作戦はそうではない。1941年6月の対ソ戦(バルバロッサ作戦)開始とともにソ連領土内に侵入した、「特別行動隊(Einsatzgruppen)」についてはH・クラウスニクの有名な研究があるものの、ポーランドにおける警察大隊の血なまぐさい射殺作戦の有様については、これまで踏み込んだ研究はなされてこなかったのである。第101警察予備大隊はルブリン管区において「特別行動隊」と同様な作戦に動員されたのであり、その経験は、東部におけるユダヤ人射殺作戦がどれほど凄惨なものであったのかを教えてくれる。
 さらに本書の第二の意義は、著者が事実の解明ばかりでなく、殺戮者の内面の理解をめざしたという点である。ヒトラー、ヒムラーのようなナチ指導者であれば、殺戮の動機は狂信的反ユダヤ主義であるとすぐ推察できる。しかし、動員されて殺戮者となった普通のドイツ人の場合、話はそう単純ではない。良き夫、父であったと思われる平均的な中年男――彼らは確かに社会の平均的な偏見に囚われている――は、ヒトラーの「世界観」戦争に巻き込まれた結果、いかにして身の毛もよだつ大量殺戮の専門家に変身していったのか。これは、過去に南京やマニラなどでの大虐殺の加害者であったわれわれ日本人にとっても、他人事とは思えない問題である。警察予備大隊に召集された兵士たちは、年齢からして前線投入は無理だと考えられたから、後方警察業務要員として集められたのであった。にもかかわらず1942年から1943年にかけて、第101警察予備大隊はルブリン管区で、ユダヤ人射殺および強制移送作戦を命じられ、これを遂行した。
 隊員の多くは狂信的反ユダヤ主義者ではなく、もともと社会民主党などの支持者が多かった、ハンブルクの中流から下層階層出身の男たちであった。しかも、大隊指揮官のトラップ少佐は、いかに最高権威筋からの命令であったとしても、このユダヤ人大量処刑作戦の異常さに戦慄し、隊員たちに、参加するかしないかを選ぶ選択の余地を認めたのであった。このとき、大隊内でいかなるドラマが演じられたのであろうか。ブラウニングは、多くの証言を注意深く分析し、ジンバルドーやミルグラムの心理実験、さらにレーヴィの「グレイ・ゾーン」の概念を参照しながら、ことの真相に、つまりは史上最悪の犯罪をも受け入れてしまう人間集団の心理に迫ってゆくのである。

     *

 この増補版には、「あとがき」(1998年)と「二五年の後で」(2017年)が付け加えられている。
 「あとがき」はゴールドハーゲンによる著者への批判に総括的に反論したものである。そのテーマは、①近代ドイツ史と反ユダヤ主義の役割、②ナチ体制と戦争が引き起こしたドイツ社会と反ユダヤ主義の変質、③大量虐殺の主要舞台となった東部戦線、④ゴールドハーゲンの主張は有効に立証されているのか、⑤ゴールドハーゲンによる証言の恣意的な選択と抜粋、⑥ドイツ政治文化と社会心理学の有効性、⑦歴史の一元的説明(ゴールドハーゲン)か多元的説明(ブラウニング)か、などである。読者はどちらの説明が真実により接近したものと考えるであろうか。
 「二五年の後で」は、ブラウニングが初版で提起した論点が、その後他の研究者によっていかに掘り下げられてきたのかを、4つのテーマに絞って概観したものである。ここでは「ゴールドハーゲン論争」の後に発表された多くの研究が紹介されており、研究者にとっても有益な文献案内となっている。
 「他の大隊との比較」は新しい研究によりながら、第101以外のもろもろの警察大隊が殺戮活動にどのように従事したのかを紹介している。とりわけ注目に値するのは、あまたの警察大隊が実施したユダヤ人殺戮、強制移送を数量的にみた場合、第101警察予備大隊が占める高いランキング(第4位)である。それは警察大隊の「エリート」というべき、徹底した訓練とナチ教育を受けた若い世代の大隊、すなわち300番台の大隊をはるかに凌いでいるのである。だからブラウニングによれば、「第101警察予備大隊を〔動機〕問題解明の事例研究とすることの重要性は、それが典型的で代表的な警察大隊であったことではなく、まさにその正反対〔すなわち普通の中年ドイツ人〕だったことにある。」
 殺戮者の「動機」についても研究が進められてきた。イデオロギー的にみても、例えばキューネは殺戮の動機を反ユダヤ主義に限定せず、ナチ期以前から普及していた「民族共同体」や「戦友精神」の神話、「罪の文化」の衰退と「恥の文化」の蔓延といった広い観点を提示している。またウェスターマンは、警官は確かに「イデオロギー戦士」となったが、それは長期にわたる反ユダヤ主義の影響によるのでなく、警官の組織文化が「計画的かつ短期的」に変化したことによっていると指摘している。ブラウニングによれば、すべての研究者たちは、その見解に相違はあるものの、「殺戮者の動機を単一原因で説明することはできず、複雑で多面的に説明するしかない」とそろって結論づけているのである。
 第101警察予備大隊に14人のルクセンブルク人が招集されていたことは、事実として確認されていたが、詳しいことは何もわかっていなかった。「大隊のルクセンブルク人」は、ルクセンブルクの研究者パウル・ドスターが明らかにした研究を紹介している。これまでドイツとは異なった社会文化、教育の下で育ったルクセンブルク人は、ユダヤ人殺戮にあたって、はたしてドイツ人警官と同様に行動したのであろうか。ゴールドハーゲンの言うように「抹殺主義的反ユダヤ主義」がユダヤ人虐殺の唯一の原因であるなら、ルクセンブルク人は殺戮命令を拒否したはずである。ブラウニングはルクセンブルク人研究の現段階を紹介している。
 「証拠写真」でブラウニングは新たに発見された多数の写真を掲載するとともに、重大な訂正をしている。初版『普通の人びと』の表紙(筑摩書房旧版も同じ)を飾った集合写真(ゴールドハーゲンもこれを警察予備大隊の記念写真としていた)が、実は第101警察予備大隊とは全く関係がなく、場所もウークフではなくタルヌフだったのではないかというのである。なぜかと言えば、参集者は国防軍の兵士で、誰も第101警察予備大隊の警官だと確認できなかったからである。この間ホロコースト関連の写真収集も進み、資料館での研究も充実してきてはいる。しかし特定のイデオロギーに染まった者の撮った写真には、必然的にそのイデオロギーがしみだしているというわけではない。ブラウニングによれば、写真の判定にはその写真が撮られた時の状況がよく理解されていることが不可欠である。一見したところたわいないスナップ写真(例えば飲み会や食事会)でも、撮影時の状況を理解すると、実に不吉な写真ともなりうるのである。

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