神奈川県三浦半島の先っぽ。ヨットハーバーや水族館で有名な油壺の手前に、その緑の谷はあります。地名は小網代。面積は約70㏊と、明治神宮とほぼ同規模。ただし、この小網代の谷、他の緑にはない唯一無二の大きな特徴があるのです。それは、「ひとつの流域が丸ごと自然のまま残されている」こと。小網代の谷を流れる川の最上流から、中流、下流を経て、河口、そして海に面した干潟にいたるまで、散策用の木道を除けば、家も工場も舗装道路といった人工物がまったくなく、実に豊かな生き物の宝庫となっているのです。
小網代の谷より規模の大きな自然は日本全国、世界各地にあります。でも、石狩川にしろ、アマゾン川にしろ、自然が豊かなので有名な河川流域でも、途中には必ず人工物があります。70㏊の規模の小さな河川流域だからじゃないの、と思う方もいるかもしれません。けれども、ひとつの流域が丸ごと自然のまま残されている場所は首都圏では小網代だけ。実は、世界の大都市圏を見渡しても極めて貴重な存在かもしれないのです。
京浜急行の終点、三崎口駅から徒歩で20分。小網代の谷の入り口につきます。標高約80m。ここから一気に谷を下り、全長1.2㎞ほどの谷の中心の川沿いを海に向かって歩きます。常緑樹が茂る源流部。上流の川沿いには巨大なシダが茂り、中流域に差し掛かるとハンノキ林のある湿地。下流部にかけては広大なアシやガマやオギの湿原が広がり、初夏にはたくさんのホタルが舞います。河口から先には3㏊ほどの干潟があり、たくさんのカニなどの海の生き物が暮らしています。ゆっくり歩いて1時間少々で、多様な自然を味わうことができる。首都圏でも稀有のサンクチュアリです。
現在は神奈川県がその大半を所有し、近郊緑地として一般開放され、誰でもその自然を楽しめるようになった小網代、かつては放っておけばなくなる運命にありました。1980年代にゴルフ場を中心とする大型リゾート開発の対象地だったのです。なぜ小網代はゴルフ場にならず、自然が丸ごと残されたのか。その保全の歴史と小網代の自然の面白さを綴ったのが『「奇跡の自然」の守りかた』です。
本書のメイン著者である岸由二慶應義塾大学名誉教授は、もともと経済学部の教養課程で生物を教えていました。進化生物学者として著名であり、あのリチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』やエドワード・O・ウィルソンの『人間の本性について』など、最新の進化理論をいち早く翻訳し、日本に紹介したことでも知られています。
その岸さんが小網代の自然に出会ったのが、開発の波が押し寄せようとしていた直前の1980年代前半のこと。共著者の私は当時、慶應大学経済学部の2年生で偶然にも岸さんの授業をとり、うっかり小網代に連れて行かれたのが運のつき、今にいたるまで31年にも及ぶ保全活動を一緒にやっています。
では、ゴルフ場開発に直面した小網代の谷をどうやって自然のまま残したのか。通常、自然保護運動というと、①トキやパンダのような貴重種がいるから守れ、という。②開発主体の企業や地元行政に反対運動を繰り広げ、革新政党や団体と組んで政治活動を起こす。③自然には一切手をつけず、人の出入りを制限する、といったイメージがあるかもしれません。でも小網代の保全は逆をやりました。①貴重種を推すのではなく「流域がまるごと自然」が貴重と説く。②開発主体の企業や地元行政を悪者にせず、一緒にやっていこうといい、かつ「開発」には反対じゃなく賛成だよという。③自然には大胆に手入れをする。
結論からいうと、この「常識外れ」の保全運動が功を奏し、小網代の流域の自然はまるごと守られました。私たちは、NPOを組織し、神奈川県の委託を受けて、日々小網代の自然をメンテナンスし、来訪者に自然の紹介をしています。
なぜ小綱代の保全運動は結果を出せたのか、を記したのが本書です。小網代の自然の豊かさを楽しみつつ、自然関係のみならず、NPO活動での成果の出し方をケーススタディを読みながら学ぶことのできる1冊です。
(やなせ・ひろいち 編集者)