ちくま学芸文庫

制度の経済学の巨人 ロナルド・コース
ロナルド・H・コース『企業・市場・法』

PR誌「ちくま」3月号より、瀧澤弘和氏によるエッセイを公開します。新制度派経済学を打ち立てたひとりとして1991年にノーベル経済学賞を受賞したロナルド・H・コース。その主要論文が収録された『企業・市場・法』(ちくま学芸文庫)について、ご紹介いただきました。ぜひご一読ください。

 私事で恐縮だが、ロナルド・コースというと真っ先に思い出すことがある。すでに大学院で活発な研究活動をしていた先輩に、大学院進学のことで相談していたときのこと。その先輩は「コースがノーベル賞をとったよ。数学的でない研究でも評価されたことに希望が持てるよ」と興奮気味に語ってくれた。1991年の秋のことである。
 サミュエルソンに代表される数理経済学者たちが大成功を収めた影響で、経済学は数理モデルや計量モデルに基づく学問だという見方が一般的となり、1968年、経済学は「科学」になったとしてノーベル賞が新設された(第1回の授賞は1969年)。実際、若干の例外はあるものの、当時のノーベル経済学賞受賞者たちの業績は数学を駆使したものが多かった。
 確かにコースの論文には一切数式が出てこない。しかし、議論の仕方はきわめて論理的で、しかもそこからは経済学的に意味のある、驚くべき革命的な視野が啓けてくる。実際に読んでみると、コースの論文に数式がないことは研究者の励みになるどころかその正反対で、一切の数式を用いることなく、これだけの議論を展開しきっている天才に感嘆せざるをえないのだ。
 経歴を調べてみると、イギリスの労働者階級の家に生まれたコースはエリート・コースをまっしぐらに進んできたわけではないことがわかる。しかしその後、経済学の最前線に出ていく際のエピソードは痛快だ。シカゴ大学のセミナーで、当時大きな権威を持っていたピグーを批判する議論を堂々と展開し、最終的にはスティグラーやフリードマンらを含む経済学者たちを説得することに成功した。しばらくして、彼がシカゴ大学に迎え入れられ、法と経済学という分野を立ち上げることになったことは周知の通りである。
 コースの思考が持つ独特の強さはどこから来るのだろう。通常の経済理論の研究者であれば、まずはその分野で受け入れられている標準的な数理モデルを設定し、自分が取り組みたい問題を定式化するところから始めるだろう。しかしこの時点ですでに重要なことが仮定されてしまっていて、それを疑うことが難しくなる。コースには数理モデルを用いて思考することでは見逃されがちな経済学の根本を一歩引いたところから見ることができたのだと思う。あくまでも経済モデルと現実との対応関係に注目していたと言うこともできるだろう。
 コースによれば、経済学者の多くは取引費用ゼロの理想的状態の分析に終始しており、現実の経済の分析から遠ざかって「黒板経済学」を展開しているだけである。しかし、それでは理想状態について何かを言うことができるだけで、もっとリッチな現実を捉えることができないとコースは主張している。それが企業の存在理由や活動内容であったり、代替的な法制度が取引費用を通じて経済システムに与える影響なのである。
 理想的状態を分析するだけではなく、取引費用がある状況で、代替的な社会制度の比較分析によって経済政策を考えるべきだという提案は、近年アマルティア・センが『正義のアイデア』で展開した「実現ベースの比較」という考え方にも近い。センは、仮にモナリザが世界最高の絵画であるとわかっていたとしても、ダリとピカソのどちらかを選択しなければならない状況で、その知識がどう役に立つだろうかと問うのである。
 コースの提起した論点の一部はその後の経済学の展開によって実質化され、組織と契約の経済学や法と経済学など、多くの成果を生み出してきた。しかし、コースのアイデアのなかには誤解されているものや、いまだに十分に汲みつくされていないものもある。彼が自身の主張を明確に伝えるために自ら編んだ『企業・市場・法』には、今後の研究のための発想源となる貴重な原石がちりばめられているのである。