単行本

経済学はデジタル経済にどう向き合うべきなのか
『経済学オンチのための現代経済学講義』書評

『GDP』などの著作で日本でも知られるダイアン・コイルの新刊『経済学オンチのための現代経済学講義』(小坂恵理訳)。経済学の現状を平明に論じ、デジタル化する世界を前にそのあるべき姿を模索する本書を、経済学者の瀧澤弘和さんに紹介していただきました。PR誌『ちくま』からの転載です。

 2008年の世界金融危機以来、経済学は世間から厳しい批判の目を向けられてきた。このことは日本ではあまりイメージが湧かないかもしれないが、私の場合、ドイツの研究所に長期滞在したときに強く感じたことである。私が当時携わっていたのは、現代経済学が人間観や社会観の変化を伴いつつ、急速に変化していることの意味を探究しようとする研究だった。だが、経済学者以外の同僚たちとカジュアルに話すときに感じたのは、彼らがいまだに経済学に対して強いステレオタイプを持っているという事実だった。
 経済学がこの30年ほどの間に、従来の形をなくしてしまうほどの進化を遂げてきたことは、本書で描かれている通りである。今日の経済学は、データ分析や因果推論を行う「応用ミクロ経済学」が中心となるとともに、制度や歴史を重視する方向へと大きく変化してきた。だが、人々の批判はこの展開以前の経済学に向けられているように思われるのだ。
 しかし翻って、このようにして変化を遂げてきた現代経済学の現時点でのパフォーマンスを問うてみると、その答えは大変心許ないものである。問題の核心はどこにあるのだろうか。
 本書でコイルが注目しているのは、従来の経済学が、個人を歯車とした機械的モデルとして経済を分析しようとしてきたのに対し、今日のデジタル化がそうした方法では十分に捉えられないモンスター的現象を出現させているという状況である。実際、われわれは経済を個々人の主体的選択を積み重ねたものとして「線形的」に理解しようとしてきたのだが、今日のデジタル経済はわれわれの相互依存性を未曾有な仕方で高めつつ、複雑化している。このギャップを埋めなければならないにもかかわらず、その方向での経済学の歩みは遅いのだ。その背後で作用しているのは、経済学者自身が経済学に対して持っている強固なイメージを十分に払拭できていない現実である。
 コイル自身が『GDP――〈小さくて大きな数字〉の歴史』で描いているように、GDP概念が構築されたのは1930〜40年代のことであり、われわれは戦後になってからそれを用いて経済政策を行うようになった。二度の世界大戦を経た後で、人々は安んじて経済成長を通じた豊かさを享受することができるようになった。
 こうした指標を用いて行われる分析と政策が制度化されるにつれて、経済学者は「外部観測者」の立場に立ち、経済をコントロールできるという幻想を持ってしまう。だが、GDP指標は客観的・自然科学的な測定値とは異なるし、また、それがカバーする範囲は極めて限定的だ。今日、その限界がデジタル経済の進展とともにますます明らかになりつつあるのである。
 このように経済学がその理論構築を通して、現実世界に大きな影響を与えるということ(行為遂行性)は、金融危機に際しても明らかとなった。経済学者は、自分たち自身が理論を通して、経済の他の部分と相互作用を展開していることに自覚的でなければならないのである。
 経済学は強く批判される一方で、政策に対するその影響力は増しつつある。これに応えるためにはどうしたらいいのか。これまで経済学者の多くは、事実の解明と価値の問題は切り離せるという「分離の原則」を信じてきた。しかし、デジタル経済における政策を考える際には、両者を切り離すことができなくなっているとコイルはいう。デジタル・プラットフォームを通じて人々の相互依存関係が強まる中で、個々人の厚生から社会厚生を構成していくアプローチも不十分であり、政策評価の基礎を提供するための厚生経済学の再構築は喫緊の課題である。
 コイルは本書で一つの積極的な理論を打ち出しているわけではないが、明らかに経済学にとって今もっとも重要な問いを投げかけている。そこに本書の最大の価値がある。

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