ちくまプリマー新書

僕たちはまだ本当の「日本」を知らない
本郷和人『日本史でたどるニッポン』書評

PR誌「ちくま」3月号から、本郷和人さんの『日本史でたどるニッポン』(ちくまプリマー新書)の書評を転載いたします。

「ひとつの言語を使うひとつの民族が、日本というひとつの国をつくり、長い歴史を築いてきた」。私たちは「この国のかたち」について、このように習ってきました。
 しかし本郷和人氏は本書の第一章で「それは本当なのか?」と問いかける。もしかするとその国家イメージは、明治維新から戦前までの教育の名残で実は案外、新しいものではないか。
 歴史を遡れば、名実ともに大和朝廷が成立したのは七世紀。天智、天武、持統天皇の時期。
「古代の律令国家こそ輝ける理想社会」とする歴史観であれば、まさに日本がひとつの国として組織された時代となりますが、本郷氏は「貨幣」に着目する。通貨の発行は「国家の信用」が前提となりますが(暗号通貨も擡頭していますが)、日本列島にお金の使用が浸透するのは、ようやく一三世紀になってからなのだそうです。それ以前は物々交換だった。こうした状態を指して「日本全体がひとつの国」と言えるのか、どうか。
 古代において経済活動が活発だったのは、大陸への玄関口となる博多。この博多からの物流を瀬戸内海が担い、東の果てが大和(奈良)。この経済圏こそが当時の「日本」であり、つまり大和政権とは奈良を根拠地とする「西国型国家」だった。
 当時は現在の中部地方もまだ「関東」で、ここからは大和政権の統治も希薄になっていく。
「遠い古代のある時点で統一国家が誕生し、列島の隅々まで朝廷による統治が及ぶようになりました」というイメージは絵画のように美しい。しかしそれが美しいのは、あくまで「あらまほしき」理想だからではないでしょうか。
 むしろ朝廷による統治は西が主体。山に登って民の暮らしの心配をしたという仁徳天皇も、東国のかまどの煙までは目に入らなかったはずです。実情としては東国や、さらに東北の統治はほったらかし。貴族は地方に流されることを死罪も同然に感じていた。しかしこのほったらかしの地域から武士が擡頭し、実力で政権を握り、統治を学んでいく。
 その後の日本史では室町幕府、豊臣政権と西が重心を取り戻しつつ、やがて江戸において再び幕府が開かれる。そして明治には東京が「都」となり現在へと至ります。
 決して鬼面人を威すような奇抜な話ではない。それが力強く、面白い。哲学者ヘーゲルは歴史を「絶え間のない運動」ととらえましたが、本郷氏が語る歴史からもまた、ダイナミックな運動の力学が伝わってきます。
 本書ではさらに、二章で日本という国の地政学的状況が育んだ「穏やかさ」、三章で、その穏やかさゆえの「世襲との親和性」、四章ではその穏やかな世襲社会における「日本人の宗教」が語られます。
 どの章も本郷氏ならではの(東国的な)実証主義に基づく鮮やかなお話ですが、個人的にグッときたのは四章。広く庶民の救済まで視野に入れた法然について語る言葉から、「歴史とは一握りの英雄がつくるものではない、無名の人々が主人公なのだ」という歴史観が伝わってきます。
 そして最後に「歴史を学ぶことの意義」が記されますが、しみじみ納得です。
 たとえば中国のネットで「日本の漫画ではなぜ血統が重視されるのか」という疑問が投稿されたことがありました。日本人の世襲の歴史を知っていれば、この問いについてより深く考えることができるでしょう。
 また私の故郷、大阪では「大阪都構想」というものが提言されています。歴史にふれていれば、こうした構想について「西国型国家日本」の原形を感じることもできますし、あるいは摂関政治と院政の主導権争いを想起することもできる。
 歴史とは趣味でも娯楽であってもいい。しかし、その「力学」を知ることは、今まさに直面する課題の参照軸として、必要不可欠なものなのだ。そう本書は教えてくれます。
 

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