ちくま文庫

奴隷のあばれ方
マルクス・シドニウス・ファルクス著/橘明美訳『奴隷のしつけ方』解説

 スパルタクス! スパルタクス! スパルタクス! スパルタクス! スパルタクス! スパルタクス! よし、奴隷反乱だ。とはいえ今回、編集者から「現代の労働は奴隷制か?」というお題をいただいたので、まずはそこからはじめよう。奴隷とはなにか。本書にかかれているように、奴隷とは主人に絶対服従を強いられ、社会的に死んでいる状態のことだ。戦争捕虜にされて、殺されないかわりに家族や友人、いっさいの社会関係からはきりはなされる。主人に生殺与奪の権をにぎられて、いやおうなく命令をきかされる。逆らったらムチうちの刑。いたいよ。
 じゃあ、現代の労働はというとおなじことだ。いまだったら元留学生や元技能実習生などのはたらきかたがわかりやすいだろうか。ビザがきれてそれでも借金があったり、家族に仕送りがしたいとおもっていたら、パッとわるい会社に囲われてしまう。ボロボロの納屋みたいなところに放りこまれて、日本人がやらないようなキツイ仕事をやらされる。給料はあまりもらえない。生活費と称してピンハネされるんだ。体をこわしても家族や友人とは連絡がとれない。居場所がしれて不法就労で捕まりたくないからだ。逆らえない、逃げられない、いわれたことには絶対服従。奴隷状態だ。
 もちろん程度の差はあるけれども、サラリーマンだっておなじことだ。この資本主義では、カネがないと生きていけないといわれている。それで会社ではたらいていたら、そりゃ資本家と労働者のあいだに主人と奴隷の関係がうまれてしまうだろう。だって、クビになったら死ぬとおもわされているのだから。主人なしでは生きていけない。生殺与奪の権をにぎられて、どんなにブラックなことでもやらされてしまう。絶対服従だ。それこそ3.11のときみたいに、放射能がとびちって死ぬかもというときでも、出社してしまう。会社をまもれ。奴隷かよ。
 どうしたらいいか。そんなことを考えるのに、もってこいなのがこの本だ。本書は古代ローマ貴族のマルクスが「奴隷のしつけ方」を語るというものである。ちなみに、マルクスは架空の人物なのだが、これがもう憎らしいくらい、とうとうと主人目線で奴隷のあつかいかたを説いていく。でもじつのところ、本書がおもしろいのは語られている奴隷のほうだ。こいつらキケンだ、注意しろといわれている奴隷たちがやたらいきいきと描かれている。語り手であるマルクスの意図をこえて、奴隷たちの声があばれだしていくんだ。いい意味で、ものがたりに亀裂がはしっている。それが本書の魅力だ。
 では、どんな奴隷がいたのか。たとえばそう。豚のままくたばるか、野獣となって生きぬくか。スパルタクスだ。カプアで剣闘士をやらされていた奴隷のスパルタクスは、200人の仲間とともに蜂起する。かれらは日々、剣闘士として予測不能な闘いかたをしてきたものだから、めっちゃつよい。さいしょ剣闘場を逃げだすのに武器なんてなかったのだけど、食堂から串や包丁をうばいとる。そしてすかさず重武装のローマ兵に襲いかかっていくんだ。だれもそんな武器でくるとはおもっていないから、不意をつかれてザックザク。ご主人さまはみな殺しだ。
 そのあと、3000人のローマ兵にかこまれて、崖においつめられたスパルタクスたち。おっ、いいのがあるといって、野ブドウのツルをつたって下におりた。こんどは背後から、猛ダッシュでローマ兵を襲撃だ。圧勝である。これで名声をえたスパルタクス。道ゆくたびに、逃亡奴隷たちが合流してくる。でも人数があつまりすぎてなんと20万人。逃げ場もなく、ローマ軍とガチでやりあうことに。正面衝突だ。奮戦したものの、スパルタクスは戦死。奴隷軍はみな殺しにされてしまう。本書にあるように、捕虜になった6000人はアッピア街道でハリツケだ。ファックだぜ。
 さすがにガチでやりあうと、どれだけ人数をあつめてもローマ軍にやられてしまう。ならば、小集団だ。その後、ローマには盗賊ブッラというのがあらわれた。逃亡奴隷たちをまきこんで600人で徒党をくみ、なんどもローマの都市を襲撃。略奪につぐ略奪、そしてさらなる略奪だ。みんなを平等に食べさせる。追手がきてもつかまらない。逃げること、神のごとし。あるときは、自分を討伐にきたローマ軍のなかにしのびこみ、テコテコと隊長のところまでいって、「奴隷をちゃんと食わせろよ。そうすりゃ盗賊にもならない」とつたえたという。かっこいい。義賊だ。しかしさいごは不倫していた愛人に裏切られて、あえなく逮捕。猛獣のエサにされてしまった。あん畜生。
 だがマルクスによれば、ほんとうにキケンなのは日常的な反抗だ。「自分、奴隷ですから」とかいって、頭がわるいふりをして仕事をサボる。あるいは、農地ではたらかせている奴隷のなかには、主人の資金をつかいこみ、バレないように帳簿をかきかえるやつもいる。つかいすぎたら、農地の一部を売ればいい。その何割かを懐にいれ、のこりは農作物の収益にくみこむ。金額だけみても気づかれない。もしバレそうになったら、三六計、逃げるにしかず。これが主人にとってはいちばん痛い。とおくに逃げられたらみつけることはできないし、捜索人を雇うにはカネがかかる。たとえみつかったとしても、罰をあたえすぎて死んでしまったら大損だ。奴隷最大の武器はなにか? トンズラだ。
 しかも奴隷の怖さは、そういう反抗の身ぶりを不可視のレベルで培っているということだ。たとえば、『イソップ物語』。イソップは奴隷だったひとで、そのものがたりには弱者が強者をコテンパンにするものがたくさんある。それが口承で語りつがれ、奴隷たちをヒャッハーと歓喜させてきた。フォークロアだ。きっと主人公にスパルタクスやブッラを重ねていたひともおおいだろう。それを自分なりにアレンジして、他の奴隷たちにつたえていく。口にだして主人公を演じていくんだ。くりかえしになるが、奴隷とは社会的死である。生きる意味も、名前もすべて主人によってあたえられる。そんな奴隷たちが想像のなかで、みずからに生きる意味をあたえ、名のりをあげていくんだ。ちょっといまから奴隷やめてきますと。アリさん、キリギリスさん。レッツ・ダンス!
 そんなわけで、本書には「奴隷のあばれ方」があふれかえっている。現代の奴隷制を生きるわたしたちにとって、こんなにありがたいはなしはない。主人なしでは生きていけない? ウソッパチだ。古代から、奴隷たちはあらゆる手を尽くして、主人をあざむこうとしてきた。しかもその技をどんどん磨きあげてきたんだ。はじめからカネと権力をもっている主人たちに真正面から攻撃をしかけても、みな殺しにされてしまう。だったら、非対称的な闘いをしかけるしかない。横領、略奪、サボリ、トンズラ。さらにさらにとフォークロアで奴隷を離脱。不可視になれ。この身体に染みついた奴隷の名をうち捨てろ。なんどでも問いたい。きみの名は? スパルタクス! スパルタクス! スパルタクス! スパルタクス! スパルタクス! スパルタクス! われわれはみなスパルタクスだ。権力者どもにおもいしらせろ。奴隷の数だけ敵がいる。
 

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