ちくま新書

アフリカの影を描く

2020年7月刊、吉田敦『アフリカ経済の真実』(ちくま新書)の「はじめに」を公開いたします。資源が豊富で、外国による投資も盛んになり「希望の大陸」とも呼ばれるアフリカ。しかし、そこに暮らす人々の多くが貧しいままです。それはなぜなのか? まずは「はじめに」をお読みください。

†外国投資の真実
 先ほど、アフリカへの直接投資の流入額が、約600億ドルに増加したと指摘した。この数字だけをみれば、アフリカへの投資を計画しようとしている企業にとっては、もしくは市場の自由化を通じた外国投資の促進を政策目標に掲げるアフリカ諸国の政治家たちにとっては、賞賛すべき数字として捉えられるに違いない。だが、そのように急増する外国からの直接投資がどこに向かっているのか、少しだけ立ち止まって考えるならば、その評価はたちまち輝きを失ってしまうだろう。
 たとえば、2016年の外国直接投資の受け入れ国のトップは、アフリカ最大の産油国であるナイジェリアである。次に、近年急速に石油開発が進むガーナやコンゴ共和国、鉱物資源の開発が注目されているマダガスカルが肩を並べる。さらに深海油田の開発で石油の生産量が急増を続けているアンゴラ、レアメタルやダイヤモンドなどの貴石類を豊富に産出しているコンゴ民主共和国などの国名があげられている。つまり、いずれの国もアフリカ有数の資源国なのである(後ほど説明するが、これらの国は同時に、紛争やクーデターなどの政治的不安定性を抱える国々でもある)。
 すなわち、外国企業がアフリカにもっとも期待しているのは、アフリカ諸国で暮らす人々の創造性や彼らが生み出す付加価値に富んだ商品ではなく、依然として石油や天然ガス、鉱物資源などの地下天然資源なのである。
 特に、2000年代後半の原油・天然ガスや鉱物資源の国際市場価格の高騰を背景にして、アフリカで未開発のままに眠る豊富な地下資源は、世界的な注目を集め、国際資本による資源開発が本格化した。
 そのような外国資本による資本集約的投資によって、アフリカの各地には「砂漠のなかで最新の工場群が乱立する光景」や「森林を切り拓き、鉱物資源を採取し続ける巨大な採掘場」が出現した。これを輝かしい発展と捉えるならば、確かにアフリカは「希望に満ちた大陸」であると言えるだろう。
 だが、本書はそのような視点をとらない。私が注目したいのは、これらの石油や鉱物資源の開発によってアフリカの人々にいったい何がもたらされたのか、もしくは、もたらされなかったのか、失われたのか、ということなのである。

†外資による収益は人々に富をもたらさない
 なぜそのようなことに注目するのか。それは、一国のマクロ経済変数(経済成長率、貿易総額、直接投資額)がいかに改善されようとも、それが外からもたらされた収益(外生的収益)によるものである限り、産業の多様化や国民の生活水準の向上に直接に結びつけるのが困難だからである。
 そればかりか、硬直的な政治権力構造をさらに肥大化させ、独裁的な政治体制の構築や補強へとつながってしまうケースが多々見られる。外からもたらされた収益は、その国が抱えている病をますます進行させてしまう可能性をはらんでいるのだ。
 あえて誇張を恐れずに表現すれば、そこにあるのは、地中深くに眠っていた資源をベルトコンベアに乗せて、そのまま先進国の生活を支える原材料として提供し続ける「富の移転プロセス」である。読者のなかには、企業による資源投資によってアフリカにも利益があるのではないかと考える方もいるかもしれない。もちろんこの「富の移転プロセス」では、アフリカの国々にも資源採掘によって得られた外貨収益の一部がもたらされることになるが、その収益の多くは、その国に暮らす国民の助けとなるわけではなく、一部の特権階級に流れ落ち、彼らをますます肥大化させてしまっている。
 このような現状が多くの国でみられているにもかかわらず、果たして今まで述べてきたような開発を、アフリカにとっての「発展」と呼ぶことができるだろうか。

†「新自由主義」に飲み込まれるアフリカ
 冒頭で述べたように、かつてのアフリカは「絶望の大陸」と語られていた。国際社会では、アフリカの貧困は、「開発の失敗」としてしばしばみなされ、近代化を成し遂げるうえで障害となる「病」として問題視されてきた。そして、その「病」を癒す「万能薬」とされているのが、外国企業の投資を通じた「市場の自由化」であった。
 ではなぜ、アフリカは「市場の自由化」を迫られるようになったのか。
 かつてアフリカ各国は、先進国に政治的にも経済的にも従属しない国民国家の建設を目指してきた。その過程で、多くの国では「市場の自由化」とは真逆の政策をとってきた。すなわち、自分たちの製品は自分たちで生みだそうという、国営企業を中心とした中央集権的な社会主義政策が採用されてきたのである。だが、これらの計画経済にもとづく国民国家の建設は、1980年代になると膨大な借金だけを残して行き詰まってしまった。その際に、IMFや世界銀行などの国際機関から求められたのが、非効率な国営企業の解体(民営化)や「市場の自由化」に向けた一連の経済政策(農産物の自由化、公共投資の見直し、政府補助金の廃止など)であった。これらの経済政策は、融資条件としての金融の引き締め政策の枠を超えて、政治構造や社会構造の変革を目指す「構造調整政策」と呼ばれた。この政策は、アフリカの38カ国以上で実施され、大きな社会変動をまきおこした。
 その結果、アフリカは大きく変わっていった。続く1990年代、アフリカ各国は、市場経済の原理にもとづく「新自由主義」の荒波に完全に飲み込まれていく。そして、2000年代にはいるとアフリカ各国の政治指導者たちも、世界を席巻する「新自由主義」という「万能薬」の効用を信じ、グローバリゼーションの「積極的な推進主体」へと変貌していった。
 制度的な基盤が整わないなかで、「新自由主義」を受け入れざるを得なかった国では、急速な市場経済化から生じた歪みが、そこかしこで表面化することになり、その歪みは、ときにはテロや紛争といった暴力的なかたちで顕在化した。
 自らの国家のヴィジョンを描くこともままならず、グローバリゼーションの歪みでテロや紛争が生じ、そして人々が市場競争から取り残され、貧困と絶望のなかで手足をもがれたまま「沈みゆく大陸」 ―― これがアフリカの本当の姿なのである。

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